近藤勇の首塚のある法蔵寺は
家康が幼少のころ、
手習いや漢籍などの学問に励んだと伝えられる寺。
六角堂。開運勝利観音像が祀られていて、
勝負事の前にお参りしたい開運スポットだそう。
霊廟の先に
東照宮裏の石積み
東照宮からの眺め
御朱印をいただきに庫裏に入ったら、
立派な天井の梁と広い玄関に圧倒された。
このお寺、一見の価値あり。
岡崎に行かれたら、是非、拝観下さい。
おまけに
瀧山寺から法蔵寺に向かう途中のT字路の交差点の菜の花畑と
帰りに寄った、
カクキュー八丁味噌の味噌ソフトクリーム。
味噌の塩味が効いて、とても美味しかった。
京都の宝蔵寺行った時、
宝蔵寺について/伊藤若冲ゆかりの寺/宝蔵寺
岡崎市の法蔵寺に近藤勇の首塚があるのを知って
瀧山寺 御開帳で秘仏を拝観後、
法蔵寺に行ってきた。
岡崎おでかけナビより拝借
近藤勇は慶応4年4月25日に
35歳で東京の板橋で処刑され、
それから昭和33年まで
首がどこにあるのか判明しなかったのだそう。
彼の首塚は何ヵ所かあるようだけど、
近藤勇の最後を簡単に解説!なぜ処刑された?最後の言葉は?首はどこへ消えた? | Histonary- 楽しくわかる歴史の話 -
それぞれ何らかの由来があるのだろう。
法蔵寺の場合は、昭和33年に
法蔵寺の総本山で、京都の宝蔵寺の近くにある誓願寺の記録に
近藤の首が法蔵寺に埋葬されていると記されていることが分かり、
同年6月、当時名古屋南山大学の先生をされていた
中根慶一氏方にもその文献があり、
また、岡崎市の松井弘氏方にも文献5点程あることが解り、
それらを照合し、初めて詳しく判明したのだそう。
しかし、それでもなおかつ、
台座に彫られている名前から
近藤勇の首塚ではないのではと。
法蔵寺 -「近藤勇の首塚」: 歴旅.こむ
さてさて、近藤勇の首はどこに・・・・・・・。
瀧山東照宮の
保存修理工事完成を記念して、
本来なら50年に一度の
瀧山寺本堂の秘仏の御開帳が
5月11日(日)まで行われているということで
拝観に行った。
ちょうど稚児行列もやっていて賑わっていた。
本堂には本尊の薬師如来坐像、
脇侍に日光・月光菩薩立像、
その両脇に6体ずつの十二神将立像が。
ここ瀧山寺には運慶・湛慶親子の作品の
聖観音・梵天・帝釈天像があり、
十二神将の制作には運慶の係累が
関わったと考えられているそう。
波夷羅、私の干支辰の守護神は甲冑もつけず素足。
戦いの集合時間に寝坊して、
慌てて武器だけ持って飛び出して来たんじゃないかと(^_^;)
また、真達羅(しんだら)は左手に椀に盛った山岳を載せ、
鮫の口に似たブーツを履いている。
口には歯、鮫の顔には目もある。
仏師の遊び心じゃないかと。
ちなみに干支は寅。
分かりにくいので、こちらのを↓
十二神将はどのお寺でも
姿、形、衣装が同じと思っていた。
ここの十二神将の形相のユニークなこと、
チョッと漫画ティック。
また、個性的な衣装に、
そういえば頭に干支を載せている十二神将もあるなと、
初めて仏師によって違うんだと目から鱗。


※波夷羅と真達羅の写真は
『伝教大師最澄1200年魅力交流
コミュニケーションサイト「いろり」』さんより拝借
今日は代休を取って、小雨の中、
犬山の寂光院へ行って、
9時から始まる「おいただき」の
お加持を受けに行った。
胎内仏の秘仏観音の写真はホームページから拝借
山上にある秘仏の千手観世音菩薩像の
胎内にあったという、秘仏観音像は
山麓の内仏堂に安置されていて、
ここで、「おいただき」があった。
両手の上に、如意寶珠守をのせ、
その上に一寸八分(約5.5㎝らしい)の
小さな秘仏観音像をいただき、
大般若経をパラパラと繰り、
仏様の智慧の風を受けるというお加持。
とても小さい千手観音像にビックリ!
「おいただき」が終わって、山上の本堂で、
大護摩祈祷が行われ、参加してきた。
本堂のお前立の千手観音像が
頭上に両手で仏像をいただいていた。
「おいただき」、これに因んでるんだろうな。
しかし、お厨子に入っている秘仏の千手観音像は
いただいてないようだけど・・・・・。
天気は悪かったけど、
朝早くから、清々しい気持ちになったなぁ。
蒲郡クラシックホテルでランチして、
竹島へ。
先日ツアーで行った多景島のように
島全体が神の島のよう。
また、島全体が天然記念物になっているそうだ。
四つの神社をお参りして、
島の反対側に下りると遊歩道があり、
海岸沿いを歩いて橋まで戻ることができる。
小雨が降ったり、曇り空だったので、
天気のいい日にお弁当持参で、
もう一度、竹島水族館と竹島に来たいな。