牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ありがとうございます。祈りは聞かれた

2016-09-21 18:18:11 | Weblog
わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。

祈りは聞かれる。

イエス‥キリストの祈りの約束が、多く与えられている。わたしの家=2人でも3人でも、イエス・キリストのお名前によって集う所が、たとえ大伽藍の大聖堂でなくても、そこが神の家です。キリスト教会は祈りの家です。

マタイの福音書18:19-20 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

すばらしい祈りの約束を体験できます。

マタイの福音書7:7-8 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
ヨハネの福音書14:13-14 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。
16:24 あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。

祈りは答えられます。イエス‥キリストのお名前により祈りと感謝をいつも。

ヨハネの第一の手紙5:14-15 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。

アーメン。ありがとうございます。祈りは聞かれ答えられました。感謝します。ハレルヤ。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。






青春の詩

2016-09-20 18:25:19 | Weblog
するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。

敬老の日の祝福を祈ります。

65歳以上の女性が、3分の一を越えたそうです。100歳以上でも女性が5万人いじょう。男性をはるかに凌駕しています。

還暦、古希、傘寿、米寿、卒寿。白寿、紀寿、皇寿、永遠。




青春の詩=サムエル・ウルマン







青春とは、人生のある期間だけではなく、心の持ち方を言う。

薔薇の面差し、虹の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意思、豊かな想像力、燃える情熱を指す。

青春とは、人生の深い泉の精神さを言う。

青春とは、臆病を避ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。

時には20歳の青年よりも、60歳の人に青春がある。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時、初めて老いる

歳月は、皮膚にしわを増すが、 情熱を失えば心はしぼむ。 苦悩、恐怖、失望により気力は地に這い、精神は芥となる。


60歳であろうと16歳であろうと、人の胸には、驚異に魅かれる心、幼児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる目的地が心にある。


神から美、希望、喜び、勇気、力の霊感を受ける限り君は若い。霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷に閉ざされる時、20歳であろうと人は老いる。

頭を高く上げ、希望の波を捕らえる限り、80歳であろうと人は

青春にして巳む。


ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。











被災地益城町から帰宅

2016-09-19 18:52:42 | Weblog
熊本県益城町から帰って=詩篇94:16ー20 だれが、盾となって私を悪者から守ってくれるでしょう。もしも神様の手が差し伸べられなかったら、私は今ごろ死んでいたことでしょう。「ああ神様、足もとがすべります」

と大声を出した時、神様は救い上げてくださったのでした。

神様。何もかも信じられなくなって動揺している時、どうか私の気持ちを静め、新しい希望を与え、快活さをい取り戻させてください。

どうか、悪が正義に勝っても当然とするような腐敗政治を、神様の保護のもとに存続させないでください。(リビングバイブル)

朝毎に読む聖書のことばどおりの人生です。私のうちで思い煩いが増すときに、あなたの慰めが私のたましいを喜ばしてくださいますように。(新改訳)

43前の7月、堺市で運転中に右脳内出血が起こり、大交通事故でした。電柱にバーンとぶつかり、自動車は大破し、救急車で馬場記念病院救命室に運ばれました。天国から追い返された牧師と言われながら、4年が過ぎました。23日に、小冊子5000部増刷。

なんと4月1日に、信号のない四差路を横断中、一旦停止しない車にはねられる交通事故。まだ診療中。

今日のランチは、インド・ネパール料理オーディカで、ネパール人タクールと握手し、アーメンと祈りました。生駒に8年ネパール人の奥様と暮らしています。ナンもカレーもおいしい店。

今夜は早くから寝るつもり、明日は午前4時30分起床で、朝の祈りに備えます。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。



子どもたちに愛を

2016-09-19 15:46:08 | Weblog
マルコの福音書9:37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」

神学生時代から日曜学校をするようになり、礼拝の前の朝9時から10時まで、自治会館や消防会館を無償で借り、午前7時には会場をきれいに掃除し、子どもたちに聖書の話をしました。礼拝が終ると、昼食も食べずに近くの村落の会館や境内で日曜学校。

奈良市の富雄では、教会周辺地域5か所で、多い時は250名以上の子どもたちが毎週集まりました。

今は赤ちゃんや幼児を見ると、声をかけ若いママたちに牧師です。可愛いお子さんの健やかな成長の幸せを祈らせてください。ほとんどの方が祈りを受け入れてくださり、赤ちゃんも可愛い顔を向けてくれます。

アーメンと言えば救われるを信条に、握手をして幸せと、イエス様を心に受け入れる祈りの出会いです。

今日も幼子たちの平安と守りを祈り、イエス様を迎える出会いを祈る朝です。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。



被災地益城町へ

2016-09-17 07:12:10 | Weblog
奈良から東関東大震災地のいわき市まで、九州ラーメン党ボランティアの福祉施設に着き、
理事長との最初の出会いだった。いわき市内のレストランで夕食。種子島高校3年後輩。西之表キリスト教会に中学生まで通っていたことも知り、アーメンん信じますと、イエス・キリストを受け入れる祈りをしてくれた。
帰路に、名神京都南口インターまで迎えに行き、翌日、生駒聖書学院教室で、ボランティア理論を講義。質疑応答で、女子神学生が、濱田先生はイエス・キリストをどう考えますかと聞くと。信じています。今日洗礼を受けてクリスチャンになります。ためらいもない即答で神学生全員の感激の拍手が教室に響く。
その日の昼に、生駒聖書学院で洗礼式=濱田龍郎自著受洗の日がある。
濱田龍郎理事長は、多くの顔を持つ不思議な男だ。ラーメンボランティアに生涯をかけて取り組み、阪神大震災からは、全国各地の被災地=地震、風水害、介護施設や老人ホーム、大阪西成区三角公園ホームレスにも1500食。種子島星原中学での福祉祭りでも1500食。
その住まいは、熊本県上益城郡益城町で福祉事業所を拠点として、家族ぐるみで働いている。
2016年4月、熊本大地震が益城町を震源地として起こり、住まいと福祉事業所も壊滅し住めなくなり、車中泊で寝泊まり。
自ら被災者であるのに、車中泊でラーメンボランティアを開始し、現在も毎日炊き出しを続けている。
福祉作業所建設を目指して、被災地で活躍を続けている。その被災地に立つエリムキリスト教会世話人としても励んでいる。
17日(日)は、益城エリムキリスト教会献堂4周年記念礼拝です。益城町古閑450、被災地の立ち、民間ボランティアセンター。ボランティア宿泊所。救援支援物資受付所。駐車場ではラーメン党が毎日ラーメン炊き出し中。
主任牧師として、被災地にすぐ駆けつけられなく=4月1日車に跳ねられる交通事故、車イス生活、歩行厳禁状態が続き、やっと6月26日に一泊、そして今回の訪問です。
神のなさることはみなその時にかなって美しいと、すべてのことに感謝しながらの、献堂4周年です。お祈りありがとうございます。
詩篇103:1-5 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

大いに祝福を

2016-09-16 18:15:24 | Weblog
マルコの福音書9:23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」

生駒聖書学院はIBCです、不可能は挑戦となる!可能性の扉はいつも開かれます。もしできれば助けてほしいとの願いに、イエス・キリストは、もしできるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。と宣言されました。

今日も限りない可能性を信じて、希望は失望に終わらず、恥にならないと信じ、告白し、行動する時、、大きな幸いを体験できます。

ヤベツの祈り=第一歴代誌4:9-10 ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた。彼の母は、「私が悲しみのうちにこの子を産んだから。」と言って、彼にヤベツという名をつけた。ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。

アーメン。ありがとうございます。大いに祝福されました。

地境は広がりました。

主の御手が共ともにありました。

災いから遠ざけられ、苦しむことはなかった。感謝してます。


ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝してます。


祈りはアーメンで応えられ、与えられた

2016-09-15 18:33:34 | Weblog
祈りのすばらしさは、必ず聞かれる約束があり、ありがとうございます。答えられました。感謝してますと、祈りの座から立ち上げることができることです。
自分の願った通りにならないと、文句を言ったり、ふてくされたり、つぶやいてばかりでは、祈った価値が薄れてしまい、せっかくの求めも願いも意味が消えてしまいます。
キリスト教のアーメンは、題目でも呪文でもないので、アーメン。アーメンと繰り返す必要はなく。アーメンはアーメンで、誠に、真実その通りです。
コリント人への第二の手紙1:20 神の約束はことごとく、この方において「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。
クリスチャンの祈りは、イエス・キリストの十字架と復活によって実現した、7000の聖書の約束を、そのまま誠実に実現したことを信じて、イエス・キリストのお名前でアーメン。実現したことを宣言することです。
マルコの福音書11:23-24 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメンと言ったら、ありがとうございます。祈りが聞かれ、答えられ、与えられました。感謝してます。幼子のように喜ぶだけです。
ヨハネの第一の手紙5:1415 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。、




青春の詩

2016-09-15 18:11:20 | Weblog
詩篇92:13ー15 彼らは主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らはとしおいてもなお、実を実らせ、みずみずしく、生い茂っていましょう。こうし彼らは、

主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。

敬老の日の19日も近づき、アーメンと信じる人生。神様に祝福されて、活力がみなぎります。イエス様を信じて、従うとき、流れの側に植えられた樹木のように、青々と繁ります。老樹になっても実を結び、その果実は味わい深く、栄養も豊かです。

75歳以上後期高齢者が、熟年高齢者。64歳から74歳まで若年高齢者。どうしても高齢者と呼びたい苦慮だが、高齢者。

高貴、光喜、光器、好機、光器、好奇、香気、幸喜と言い換えて楽しんでいます。、

百歳以上が万人を越え、75歳以上が1500万を越え、65歳以上が30000万人を越え、過去最高になっているそうです。

いつも青春の詩を敬老の日に朗読します。


青春の詩=サムエル・ウルマン


青春とは、人生のある期間だけではなく、心の持ち方を言う。

薔薇の面差し、虹の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意思、豊かな想像力、燃える情熱を指す。

青春とは、人生の深い泉の精神さを言う。


青春とは、臆病を避ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。

時には20歳の青年よりも、60歳の人に青春がある。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時、初めて老いる


歳月は、皮膚にしわを増すが、 情熱を失えば心はしぼむ。

苦悩、恐怖、失望により気力は地に這い、精神は芥となる。

60歳であろうと16歳であろうと、人の胸には、驚異に魅かれる心、幼児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる目的地が心にある。

神から美、希望、喜び、勇気、力の霊感を受ける限り君は若い。霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷に閉ざされる時、20歳であろうと人は老いる。

頭を高く上げ、希望の波を捕らえる限り、80歳であろうと人は
青春にして巳む。







ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。












ランチタイムに、ロウリーズステーキを

2016-09-14 19:01:02 | Weblog
今日の昼は、75歳の誕生祝で、歯科医師親子に、西梅田のロウリーズ・ザ・フラウムリブのランチへ招かれた。

ランチメニューは、サラダ、デザート、コーヒーの2時間コース。

プライムリブの大阪カットのステーキ。日本限定の小さなカットだが120グラム。しっかり食べ答えがあった。二人はデパートへ。四つ橋線と近鉄戦で真っ直ぐ帰宅。夕食なしのビッグなランチタイム。




詩篇91:14ー16彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは彼に答えよう。わたしは苦しみのおときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。

わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、私の救いを彼に見せよう。

聖書には、詩篇にモーセが私たちの齢は70年。健やかであっても80年。と述べています。

創世記では神様が、いのちは120年と宣言し、イザヤも百歳で死ぬ者も若かったと言われる時代が来ると、預言しています。

今年もすぐ敬老の日、100歳以上が5万人を越え、男性は1万人、女性が4万人。米寿は八十八歳。米=十+上向きのハハ+下向きにもハハ。80過ぎの方に出会うともうすぐ米寿ですねというと、年齢を教えてくれます。牧師ですが、米寿の幸せを祈らせてくださいと握手しアーメンと祈ります。

米寿はコメという字は、キリスト教的です。真ん中に十字架がありますね。

上に向かうのは両手でアーメンとハレルヤの意味です。下に向かうのは両足でありがとう。感謝です。毎日両手を上にあげ、天地創造の神をハレルヤ、アーメンと賛美し、両足でありがとう、感謝で幸せです。と聞いくださる方に福音を伝えます。

イエス・キリストを信じお迎えくださいというと、ほとんどの方が家の宗教はと言われます。そのとき、家の宗教があっても、心の中はいかがですか。正直な方は空っぽだと虚しさを話します。その心にイエス・キリストを迎える祈りをされます。一番素晴らしいのは無神論や無宗教の方です。その心に

イエス・キリストを迎える祈りを素直になさいます。

熊本、若い時から共産党一筋の84歳のご婦人。熊本では著名な方ですが、その時、共産党員ですが、洗礼を受けてもいいですか。差支えがありますかと聞かれました。イエス・キリストを信じるなら差し支えありません。その日にアーメンと信じ洗礼を受けました。1時間半かけて熊本城近くのお住まいから、益城町のエリムキリスト協会の礼拝に出席で、昨日もよい出会いでした。

人は必ず死を迎えますが、イエス・キリストの十字架と復活の知らせを、アーメンと信じるだけで、永遠のいのちを与えられます。

イエス・キリストを愛し、平安で幸せに守られます。敬老の日の最高のプレゼントは、イエス・キリストの救いをお届けすることです。

ありがとうございます。今日もまた天国一日でした。感謝します。






口から入る物は大丈夫、心からでくる思いが問題

2016-09-14 18:43:49 | Weblog
マルコの福音書7:15外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。」

健康食品の時代。何を食べるか食べないかで、寿命さえ決まると言われています。旧約聖書のレビ記に食べてはならない汚れた生物が決められ、厳しく禁じられており、現代でもそれを厳守しているユダヤ教徒、キリスト教徒の中でも厳守している者もあります。それはそれで良いのですが、それを食べると救われないという教えをつくり出す必要はありません。

イエス・キリストのことばは、2000年前の時代で革命的なことばでした。

弟子たちでさえとまどい、その意味を尋ねます。マルコの福音書7:17-23 イエスが群衆を離れて、家にはいられると、弟子たちは、このたとえについて尋ねた。

イエスは言われた。「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」

今日も食べる生活にも注意深くある以上に、口から出る言葉にも気をつけ、天国ことばだけを口から語り、御霊の実に満たされ、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制豊かな歩みをと祈る朝です。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。