牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ランチタイムに、ロウリーズステーキを

2016-09-14 19:01:02 | Weblog
今日の昼は、75歳の誕生祝で、歯科医師親子に、西梅田のロウリーズ・ザ・フラウムリブのランチへ招かれた。

ランチメニューは、サラダ、デザート、コーヒーの2時間コース。

プライムリブの大阪カットのステーキ。日本限定の小さなカットだが120グラム。しっかり食べ答えがあった。二人はデパートへ。四つ橋線と近鉄戦で真っ直ぐ帰宅。夕食なしのビッグなランチタイム。




詩篇91:14ー16彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは彼に答えよう。わたしは苦しみのおときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。

わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、私の救いを彼に見せよう。

聖書には、詩篇にモーセが私たちの齢は70年。健やかであっても80年。と述べています。

創世記では神様が、いのちは120年と宣言し、イザヤも百歳で死ぬ者も若かったと言われる時代が来ると、預言しています。

今年もすぐ敬老の日、100歳以上が5万人を越え、男性は1万人、女性が4万人。米寿は八十八歳。米=十+上向きのハハ+下向きにもハハ。80過ぎの方に出会うともうすぐ米寿ですねというと、年齢を教えてくれます。牧師ですが、米寿の幸せを祈らせてくださいと握手しアーメンと祈ります。

米寿はコメという字は、キリスト教的です。真ん中に十字架がありますね。

上に向かうのは両手でアーメンとハレルヤの意味です。下に向かうのは両足でありがとう。感謝です。毎日両手を上にあげ、天地創造の神をハレルヤ、アーメンと賛美し、両足でありがとう、感謝で幸せです。と聞いくださる方に福音を伝えます。

イエス・キリストを信じお迎えくださいというと、ほとんどの方が家の宗教はと言われます。そのとき、家の宗教があっても、心の中はいかがですか。正直な方は空っぽだと虚しさを話します。その心にイエス・キリストを迎える祈りをされます。一番素晴らしいのは無神論や無宗教の方です。その心に

イエス・キリストを迎える祈りを素直になさいます。

熊本、若い時から共産党一筋の84歳のご婦人。熊本では著名な方ですが、その時、共産党員ですが、洗礼を受けてもいいですか。差支えがありますかと聞かれました。イエス・キリストを信じるなら差し支えありません。その日にアーメンと信じ洗礼を受けました。1時間半かけて熊本城近くのお住まいから、益城町のエリムキリスト協会の礼拝に出席で、昨日もよい出会いでした。

人は必ず死を迎えますが、イエス・キリストの十字架と復活の知らせを、アーメンと信じるだけで、永遠のいのちを与えられます。

イエス・キリストを愛し、平安で幸せに守られます。敬老の日の最高のプレゼントは、イエス・キリストの救いをお届けすることです。

ありがとうございます。今日もまた天国一日でした。感謝します。






口から入る物は大丈夫、心からでくる思いが問題

2016-09-14 18:43:49 | Weblog
マルコの福音書7:15外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。」

健康食品の時代。何を食べるか食べないかで、寿命さえ決まると言われています。旧約聖書のレビ記に食べてはならない汚れた生物が決められ、厳しく禁じられており、現代でもそれを厳守しているユダヤ教徒、キリスト教徒の中でも厳守している者もあります。それはそれで良いのですが、それを食べると救われないという教えをつくり出す必要はありません。

イエス・キリストのことばは、2000年前の時代で革命的なことばでした。

弟子たちでさえとまどい、その意味を尋ねます。マルコの福音書7:17-23 イエスが群衆を離れて、家にはいられると、弟子たちは、このたとえについて尋ねた。

イエスは言われた。「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」

今日も食べる生活にも注意深くある以上に、口から出る言葉にも気をつけ、天国ことばだけを口から語り、御霊の実に満たされ、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制豊かな歩みをと祈る朝です。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。



祈れば答えがある

2016-09-14 08:51:29 | Weblog
クリスチャンになるまで、祈ったことのない無神論人生でした。何にも手を合わせたことない、無信心の子どもで神社仏閣に行くこともない生活でした。
中学生の時、家の宗教を聞かれ、知らないと答えたら社会科教師に叱られました。幸いその教師も種子島で自宅を訪ね、アーメン信じますと祈り、バプテスト教会でメッセージする時は出席してくれます。
長男家族は、愛知県でクリスチャンホーム。孫が帰省の時、食事の前に祈っていただきますと言い、不思議な顔でじいちゃん祈らないの?と聞かれ、戸惑っていたころ、ちょうど種子島へ行っており、自宅を訪問。
アーメン。信じますと祈ってくれ、孫が来たときは、一緒にアーメンと言えると喜んでくれました。
天地万物の創造者、唯一の真の神に、アーメンと祈れる幸い。神は手のお父様。愛と全能のできないことは一つもない主です。
イエス・キリストをアーメンと信じて救われ、神の子とされ幸いです。
マタイの福音書7:7-8 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
ヨハネの福音書14:13-15 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。
ヨハネの第一の手紙5:14-15 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。