牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

長寿世界一の座を明け渡した日本女性

2013-01-24 05:37:03 | Weblog
日本女性は長年、平均寿命世界一でした。2011年、香港女性が世界一になりました。香港では新鮮な海の幸、山の幸が豊かで、塩分の多い保存食はほとんど食べないそうです。 

 何回か香港に行きましたが、そのレストランでの賑やかさと食べっぷりの良さに驚いきました。香港返還以来、中国大陸からの長寿食(大豆や野菜や果物)が香港にさらに多く入って来ているそうです。

 また,高齢者もマンション暮らしが多いけれども大家族が多く、楽しくにぎやかに食卓を囲みながらの食事です。

 神学生がワタミの夕食弁当配達のアルバイトをしていますが、今年は日本の一人暮らし人口が三分の一に増えると報じられていました。低カロリーで塩分カットですが、個食化が進み弁当宅配の声を聞く以外は、生の声を聞く機会もないほどだそうです。

 最近の女性の傾向は(一部だと思いますが)、「かんたん」ということばが大好きだそうです。そうすると世界に評価された和の伝統食が衰退し、コンビニでの総菜をレンジでチンする時代になりました。

 アフリカの例です。1989年の調査でキリマンジェロの山麓に暮らすマサイ族はミルクやヨーグルトを常食にし、塩分はそれだけでした。だから高血圧のマサイ族はゼロでした。ところが10年後、肉に塩を振って食べる食習慣に変わり、何と12パーセントものマサイ族が高血圧になっていました。

 日本の長寿県と言えば沖縄が有名です。新鮮なゴーヤなどの野菜、美味しい果物もたくさんあり、海産物も豊富な沖縄です。でも基地の島でアメリカ的な食生活、豚肉や牛肉もたくさんあり、しかも泡盛の島でもあり、今でも女性は全国一85.08歳)ですが、男性は4位(77.4歳りました。ちなみに長寿県男性トップは長野県(78.8歳)です。

 二大生活習慣病(心筋梗塞と脳卒中)を防ぐには、人は血管とともに老いるといわれています。この二つに気をつけるだけでも、健康長寿が与えられます。そのためには薬よりも食生活に気をつければ良いと言われます。

 脳卒中は脳の血管が詰まったり、破れたりしておこります。脳の細い血管が破れて脳の内側に出血するのが、「脳内出血」です。血管が詰まって怒るのが脳梗塞です。

 何と昨年7月に右脳内出血、10月に小脳梗塞と相次いで経験しました。幸い手術なしで入院期間も短く、退院後もムリはできませんが。聖書学院授業やチャペル業務などを行なっています。

 そんな経験上から、多くのからもアドバイスを受け、健康の関する本を読んだりです。

 日曜日は聖書学院教会、午後からは大阪エリムキリスト教会と午前午後と説教で仕えております。またラジオ牧師としても、毎週水曜日ABCで話しています。

 イエス様のいやしに感謝するとともに、多くの祈りに支えられていることも感謝しています。聖書には多くの個所で健康に対する約束と、イエス様が癒し主である紹介があります。

 退院後は食生活にも十分注意し、接待は半年もせずにご迷惑をおかけしたりしています。甘いものが好きで気をつけながら、減塩65パーセントカットのポン酢を使いながら。

今朝も元気な天国の一日です!体調も管理しながら。ボツボツゆっくり今日も授業です。感謝します。

コリント人への第二の手紙

6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。

6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

6:3 私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、

6:4 あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、

6:5 また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、

6:6 また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、

6:7 真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、

6:8 また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、

6:9 人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、

6:10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。

まごこはやさしいよ

2013-01-23 09:11:14 | Weblog
 昨年7月22日に脳内出血&交通事故で入院し、早いもので半年過ぎました。15年前に東京で脳内出血になり、毎日一万歩歩きを続け、元気で学院&教会の働きを続けてきました。

 東京での左脳内出血も完全に癒され、薬もほとんど使用せずでしたが、昨夏の退院以来、こちらも完治していますが、体調のためこの半年、健康関係の書物を読むことも多くなりました。

 ブログも思いつくまま健康の関することを書くことが多くなっています。最近、100歳まで、切れない詰まらないタフな血管をつくる!」(高沢謙二監修・マキノ出版)と言う本を読みました。40名近くの名医たちが専門の立場から、タフな血管をつくる提言をしています。

 その本ではないのですが、送られてきたパンフレットに、健康長寿を達成する食事は、「まごこはやさしいよ」とありました。

ま=豆  ご=ごま  こ=米  は=わかめ等の海藻  や=野菜   さ=魚

し=シイタケ等のきのこ類  い=いも類  よ=ヨーグルト

世界の食研究から、健康10カ条も導かれているそうです。

1.食塩を控える

2.脂肪、特に動物性脂肪を取り過ぎない

3.野菜と果物をたっぷり

4.乳製品をとる

5.魚や大豆で良質なたんぱく質を

6.食事は大勢でにぎやかに

7.新鮮な食材をバランスよく

8.一日一膳

9.長生きは勝ち取るもの

10.前向きに明るく楽しく生きる

 ともかく天国に召される日まで、健やかに元気にすごせたらいいですね。ご健康を祈ります。今日もまた天国の一日です。

詩篇

91:14 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。

91:15 彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。

91:16 わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。

ピンチはチャンスだ。決断の時だ。

2013-01-22 09:07:40 | Weblog
今日もまた雨の天国の一日です。朝のチャペルでピンチはチャンスだというメッセージを聞きました。

 雨の日は、ピンチ ピンチ チャンス チャンス ランランと、歌いつ改装工事中の聖書学院の広いキャンパスを歩いています。

 問題や困難の時こそ、最大のチャンスであり決断の時です。

 昨夏、病と事故絵入院して早いものでちょうど半年を迎えました。イエス様の癒しと回復に感謝しつつ、朝を迎えています。

 青年はスポーツの試合で背中を痛めました。軍隊を目ざしたが、背中の傷が理由で拒絶されました。それでも青年はあきらめません。

 身体を鍛え抜き、海軍に。そして、魚雷艇に乗り、戦争に。そこで敵の艦隊と接触、、船体は引き裂かれてしまい、その時、青年はまた背中を痛めてしまいます。

 それでも青年は激しい痛みの中、自分の体と仲間の身体をロープでつなぎ、ちいさな島まで泳いで、仲間の命を助けました。



 そこで彼らは一週間、餓えとかわきにくるしみます。軍の司令部は、彼らが全員戦死したと思っていたのです。それでも青年はあきらめなませんでした。

 青年はヤシの実にメッセージを刻み、だれかに自分たちの存在を知らせ、それがきっかけ彼らは軍に救出されました。

 戦争が終わると青年は戦死した兄の意思を継いで政治家を志します。そして29歳で議員になましたが、負傷した背中の傷の悪化と、何度も手術が必要になり、それが議員活動の障害となりました。

 それでも青年はあきらめず、強い決断をしました。人間の共通の敵である暴力政治、貧困・疾病及び戦争と戦おうと。そして、人類英和を。また人々に夢を与えるためにも、人を月面に送り届けるとも。

 その強い決断は、第35代アメリカ大統領を誕生させました。彼こそ決断のリーダー、ジョン・F・ケネディです。

 大統領選のとき、若すぎる、経験不足だと批判されたり、多くのピンチがありましたが、彼は、今もアメリカの伝説的リーダー。すべてはピンチの時の強い決断から生ままれました。人生は早いも遅いもない。今、やることを決断しよう。あきらめないで、今、ピンチの時こそ決断の時です。

 私は私を強くしてくださるイエス・キリストのよって、どんなことでもできるのです。ピリピ人への手紙4章13節

 今日も心から感謝しつつ、感謝、感謝、ランランと前進の日です。感謝します。

コリント人への第二の手紙

4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。

4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。

4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。

4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。

4:13 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。

4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。

4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。

4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

行き止まりか、そからスタートか

2013-01-21 05:28:07 | Weblog
行きどまりか、そこからか。 2013年01月20日
 半年ぶりに山道を歩きました。生駒市内のほとんどを歩いていいます。坂や小道の多い町。道のないような生駒山の中も良く歩きました。しまった!行き止まりと思ったことも何度もあります。

 そんなときの方法は、新しい道を切り開くか、引き返して正しい道へ戻るかです。小川で足を滑らし背中から落ちて、しばらく起き上がれず携帯もずぶぬれで、必死で帰ったら、脱臼し救急車で運ばれたこともあります。

 いま歩いている裏の山道は、行き止まりから行けないこともないが、小川沿いで長靴を履いていれば歩けますが、いつも行き止まりから引き返します。

 「O」は「Oshiete(教えて)」、「K」は「Kotaeru(答える)」の頭文字、OKWave(オウケイウェイヴ)サイトを知りました。


 「教えて(質問)」・「答える(回答)」を仲介し、みんなが抱えている疑問や悩み、望みを『OK』な状態にし、それを『Wave(波)』のように世界に広げていくという意味だそうです。

 OKWaveは、「世界中の人と人を信頼と満足でつないで、ありがとうを生み出していく」ことをMISSIONとし、世界20ヶ国語、200ヶ国にサービスを提供し、世界規模で助け合いを推進するグローバルカンパニーとのことです。

 兼元謙任(かねもとかねとう)さんは在日韓国人で差別を受けたり、、さらにギランバレー症候群=筋肉が弛緩(ちかん)する難病に少年時代から悩まされでした。

 就職してからは、デザイン会社室長としてすこぶる順調に見え結婚もしました。だが人間関係がうまくいかなかったり、アメリカにデザイン会社を興す事を持ちかけられ、退職までしてアメリカに飛びましたが、信頼していた仲間に裏切られて計画は頓挫しました。

 仕事に全力投球し、子育ては奥さんに任せ、バイオリニストの奥さんが子育ての合間に生活費を稼ぎ、アメリカ帰ると離婚を要求されました。

土下座し て離婚を止まってもらい、東京で稼いでくるとなけなしのお金でパソコンを買い、ホームレス生活でしたが、デザインの仕事が評価されて収入は少しづつ増えました。それでも児童公園に寝泊まりし、トイレからの電源で、食事はコンビニや弁当屋で期限切れや廃棄処分をもらいながら、でも、仕事は順調で30万円ほどあり、自分に1万円だけ残し、後はすべて奥様に送金し、自分はホームレス生活でした。

 ある日ネットに何げなく質問を書きこむと、聞き方が成っていない。マナーを知らないと冷たい反応を受けました。ネット上のQ&Aのアイデアが浮かび、奥さんに相談すると、彼女は黙って通帳を差し出しました。

 彼からの送金を全部貯金して、総額400万超になっていました。。2年寝近くになるホームレス生活を止め、その資金を元手に会社を立ち上げた。今は一流企業とのことです。

 人のためになることをしたい!その兼本さんの強い思いから生まれたOkWave。今は一流企業で発展中だそうです。

 いろんなことがある人生です。でも行き止まりではなく、そこから始まる人生も多くあることを思いつつ書いています。

聖書の詩篇3篇大好きです。ダビデが最愛の息子アブサロムに背かれ、命まで狙われ逃亡捨ているときの詩です。

表題から紹介します。

ダビデがその子アブシャロムからのがれたときの賛歌

主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。

多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない。」と。

しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。

私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。

私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。

どんなときにも真の愛ある全能の神は守り助けてくださいます。

私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。

主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。

救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。

今日もまた天国の一日です。祝福をお祈りいたします。


寒中お見舞い

2013-01-20 07:00:04 | Weblog
寒中お見舞い申しあげます。

 暦の上では寒中。正月の祝い納めの日として、昔は仕事を休むならわしがあった20日正月。人は昔から、太陽や月の巡るリズムを、季節や月日などを知る手がかりにして、生活を営んできました。

 聖書の創世記に、「神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた」(1:14-18)とあります。

 ユダヤの暦では今年、5773年だそうです。

  季節が巡る、種子島では秋の紅葉も無く、年中緑の季節でした。生駒に来て季節が巡る春夏秋冬を体で実感しました。

 それでも今年は温かく、生駒もまだ雪も積もらずですが、凍てつく大地の下には春が息吹いていると思います。

 この季節、いつも冬来りなば、春遠からじと、春(暦の上では2月4日が立春)はすぐそこです。

 昨日は半年ぶりに、山の散歩道を5000歩ほど歩きました。家のすぐ近くにある小学校と幼稚園の裏に用水路があり、その取水口までを自分用の散歩道として歩きます。

 久しぶりに散歩道に入りましたが、半年の間に枯れ枝や落ち葉もあり、かなり荒れていました。杖代わりの棒で道をきれいにしながら往復。歩きやすくなりました。田植え頃になると取水路がきれいになり、水も豊かに流れますが、今は荒れたままです、

大好きな内村鑑三の詩、春は来りつつあるを暗誦しながらの午後のひと時でした。

春は来たりつつある


雪は降りつつある
しかし春は来たりつつある
寒さは強くある
しかし春は来たりつつある
 

春は来たりつつある
春は来たりつつある

雪の降るにもかかわらず
寒さの強きにもかかわらず
春は来たりつつある

慰めよ、苦しめる友よ
なんじの患難(ナヤミ)多きにもかかわらず
なんじの苦痛(イタミ)強きにもかかわらず
春はなんじにもまた来たりつつある

エレミヤ書29:11 わたしはお前たちのために立てた計画を良く知っている。それは災いではなく、祝福を与える計画で、ばら色の将来と希望を約束する。(リビングバイブル訳)

鎌倉武士の念死の修練の日々

2013-01-19 08:44:49 | Weblog
昨日、鎌倉武士の念死修練と言う言葉を知りました。

 鎌倉武士はいつ死んでも良いように、常に修練を常に重ねていたそうです。

1.昼と夜の一日中、24時間

2.昼間の間、12時間

3.昼間の半分

4.食事の時

5.一膳の時間(お椀一杯食べる間)

6.半膳の間も

7.食を一口飲みこむ時間も

8.一息(息を吸って吐く間)

 それくらいの生きざま、生死一体の生き方だったと知りました。すごいと思うと同時に、聖書の言葉を思いました。

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ書2:20

私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。ローマ書14:7-8

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。ピリピ書1:21

イエス・キリストとともに死に、イエス・キリストともに生かされている恵みに感謝しつつの、今日もまた天国の一日です。

ローマ書

6:3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。

6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

6:5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

6:7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。

6:8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。

6:9 キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。

6:10 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。

6:11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。

言葉一つで変わる日々

2013-01-18 06:16:56 | Weblog

 言葉で治療する=ムントセラピーという言葉を知りました。

 言葉一つで変わることを身にしみて感じつつの日々です。

 聖書に触れたのは15歳の時、本は大好きだったので手にした時の感激は今でも覚えているくらいです。

 文語訳新約聖書で、期待しながら一頁目を開くと、アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムイサクを生み、イサク、ヤコブを生み・・・・と続きます。

 さっぱり分からずそのままにしておきました。それからしばらくして教会に行き、聖書の話も聞き、アーメンと信じて洗礼を受けクリスチャンになりました。毎日身体に食べる物が必要なように、心の栄養こそが聖書だと知りました。

 人はパンだけで生きるのではなく、神の口からです一つ一つのことばによっていきるのです。クリスチャンになったのが16歳、その日から聖書は片仮名のラレツではなく、カーナビのように人生を導く光になりました。もう聖書を読むようになって57年になりますが、今もなお聖書のことばに導かれながらの日々です。

 人は口癖どおりの人生を過ごします。大きく分けると二つの口癖があります。机上に、感情コントロール・カードがあります。ブルーの字とピンクの字でかかれています。その時の気分のままに言葉を発せず、ピンクの言葉を口にするように。



ブルーの字

•1. イライラ

•2. むかむか

•3. 怒り

•4. 心配

•5. むなしい

•6. 絶望

•7. 悩み

•8. うんざり

•9. 欲求不満

•10. 劣等感

•11. 恐れ

•12. 憎む

•13. 不幸

•14. 無力感

•15. 敵意

と書かれています。



ピンクの字で

•1. スッキリ

•2. 朗らか

•3. 喜び

•4. 安心

•5. 充実感

•6. 希望

•7. 確信

•8. うれしい

•9. 満足

•10. 自信

•11. 好奇心

•12. 愛する

•13. 幸福

•14. 熱意

•15. 友情

と前向きの言葉が並んでいます。いくらでも良い気持ちのことばを加えることもできます。



 御霊の実は、愛、喜び、平安、親切、善意、誠実、柔和、自制です。

 わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です。(ヤコブ3:2新共同訳)

私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。(新改訳)

舌を思い通りコントロールできる人は、すべての点で、自分を完全に制御できる人です。(リビングバイブル訳)

聖書のことばを口癖に、今日もまた天国の一日です!感謝しつつ過ごしたいものです。



詩篇新改訳

118:1 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵み(愛)はとこしえまで。



118:2 さあ。イスラエルよ、言え。「主の恵み(愛)はとこしえまで。」と。



118:3 さあ。アロンの家よ、言え。「主の恵み(愛)はとこしえまで。」と。



118:4 さあ。主を恐れる者たちよ、言え。「主の恵み(愛)はとこしえまで。」と。



118:5 苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。主は、私に答えて、私を広い所に置かれた。



118:6 主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。



118:7 主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。



118:8 主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。

ストレス転じて健康に!

2013-01-17 10:38:10 | Weblog
 冬来りなば 春遠からず、今の時期になるといつも、内村鑑三の詩を思い出します。その詩を吟じながら、聖書学院の庭を歩いているこの頃です。

春は来たりつつあり
雪は降りつつある
しかし春は来たりつつある
寒さは強くある
しかし春は来たりつつある
 

春は来たりつつある
春は来たりつつある

雪の降るにもかかわらず
寒さの強きにもかかわらず
春は来たりつつある

慰めよ、苦しめる友よ
なんじの患難(ナヤミ)多きにもかかわらず
なんじの苦痛(イタミ)強きにもかかわらず
春はなんじにもまた来たりつつある


 勇壮な詩に心弾ませ、ストレスもまた転じて健康になると思います。

 賛美する心は人間にだけ与えられているものです。

 神様、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!イエス様、感謝します。

 そして、

わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。

わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。

主は私のすべての不義をゆるし、私ののすべての病をいやし、

私のいのちを墓からあがないいだし、いつくしみと、あわれみとを私ににこうむらせ、

わたしのの生きながらえるかぎり、良き物をもって私を飽き足らせられる。こうして私は若返って、わしのように新たになる。(詩篇103:1-5)

 12月は理髪へも行けず、昨日やっと美容室へ2ヶ月ぶり調髪しさっぱりしました。所用をしながら感謝!感謝!の恵みの中の日々です。

詩篇

34:1 わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。

34:2 わが魂は主によって誇る。苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう。

34:3 わたしと共に主をあがめよ、われらは共にみ名をほめたたえよう。

34:4 わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された。

34:5 主を仰ぎ見て、光を得よ、そうすれば、あなたがたは、恥じて顔を赤くすることはない。

34:6 この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。

34:7 主の使は主を恐れる者のまわりに/陣をしいて彼らを助けられる。

34:8 主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。

34:9 主の聖徒よ、主を恐れよ、主を恐れる者には乏しいことがないからである。

34:10 若きししは乏しくなって飢えることがある。しかし主を求める者は良き物に欠けることはない。

すべてのことに感謝!感謝!

2013-01-17 08:20:51 | Weblog
このお方(全知全能、天地創造の愛である神)は、私が決してつまずいたり、足をすべらせたり、倒れたりしないように守ってくださいます。また、眠りこんだりもなさいません。いつも大きく眼を見開いて、見守ってくださいます。リビングバイブル訳;詩篇121:3,4)

マタイ11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。



詩篇55:23 あなたの重荷を主にゆだねよ/主はあなたを支えて(心配してくだ)さる。

主は従う者を支え/とこしえに動揺しないように計らってくださる。



68:19 ほむべきかな。日々、私たちのために(わたしたちを担い)、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。セラ



Ⅰペテロ5:7 あなたがたの思い煩い(心配)を、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

ストレスから解放されよう

2013-01-16 06:05:12 | Weblog
 最新のアメリカの研究によると、病(心と体両方すべて)の95パーセントが、ストレスから来ることが分かったそうです。今までは90パーセントと言われていました。

 ストレスとは、思い通りにならないことを、思い通りにしようとして、それでも思い通りにならないので、身体でも精神にも軋轢がかかることです。

 よいストレスもあるそうです。物事をキリキリに仕上げることなどもそうです。原稿を頼まれてなかなか書けない。締め切りだと思った瞬間書きあげる。そのようなストレスがあるとできることもあります。

 しかし、いずれにせよそれが精神衛生上良いわけがありません。ゆとりを持って心緩やかに、あれもこれもという欲求不満、自我の満足だけを追求していると、心だけでなく身体中ストレスの塊りになってしまいそうです。

 イエス様は、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と招いてくださいました。

 すべてのストレスやトラウマを、下ろすことができるとは何と言う幸いでしょう。、人生は思い通りにならないから仕方がないと思うのではなく、「あなたはあなたのままで良い」と、そのまま委ねる人生です。休ませて上げますと言う招きに答えて、ストレスから解放された平安を体験なさいませんか。

詩篇55:23 あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えて(心配してくだ)さる。

主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる。

詩篇68:19ほむべきかな。日々、私たちのために(わたしたちを担い)、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。

Ⅰペテロ5:7 あなたがたの思い煩い(心配)を、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

ピリピ4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。