大阪全日空ホテルで今日は結婚式司式です。ブライダルを頼まれることも覆いのですが、土曜、日曜、祭日と予定がギッシリの牧師ですので、教会員の結婚式中心の司式です。
今日は、教会でピアノ奏楽を長年続けてきた中学校教師と会社員の結婚式。式後は川崎市に住みます。
ホテルでの式は短いのが特徴です。今回はお二人の強い願いで、説教を少し長くすることになりました。
結婚式の主役は花嫁です。長い話は大変ですが、二人のたっての願いに答え、同時に参列者にも長く感じないように話すつもりです。
結婚式メッセージ
愛はすべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。第一コリント13:4-7
ご結婚おめでとうございます。またご両親はじめ、ご家族の皆様、ご参列の皆さま、おめでとうございます。
神のことばは生きていて力があります。クリスチャンの結婚は、先ほど牧師の前で二人が愛を誓いました。聖書のことばにアーメンと言う誓約をし、二人はその父と母を離れて夫婦となりました。おめでとうございます。
聖書のことばに愛について書かれた箇所がたくさんあります。その中でも有名な第一コリントの手紙13章をお読みしました。
その中からいくつかのことを申し上げます。愛はいつまで決して絶えることはありません。いつまでも残るものは信仰、希望、愛です。その中でもっとも大いなるものは愛です。
人間は愛がなければ生きて行くことができません。人間にとって生きることは愛することです。人の心の奥底にある願望は愛されたということです。愛される限りにおいて、人は人間として存在している実感を持つものです。
お二人の結婚は決して二人だけの幸せだけではありません。愛し育ててくださったお互いの両親の愛の喜びであり、愛の実りなのです。おめでとうございます。
結婚生活は愛されることだけをお互いに求めてはいけません。愛するとき愛されるのです。要求し合う関係からは、愛も温かさも生まれてきません。要求し合うだけだと、愛は塩の海のようになってしまいます。
私はあなたを愛しますということばには、二つの意味があります。一つは、あなたが欲しい!あなたが必要だ!という意味だけの愛です。
もう一つは、私はあなたを幸せにしたい!あなたのことを気遣っている!
最初の愛はエロースの愛、自分のために何かよいものが欲しい、「愛は惜しみなく奪う」ということばが、それを上手に表現しています。奪うもの得るものがなくなったら、サヨウナラしてしまう愛です。
しかし、もう一つの愛はアガペの愛です。その意味するところは、相手に何かよいものを与えたい!「愛は惜しみなく与える!」のです。今日結婚した二人には、またここのお集まりの皆さまには、アガペの愛が聖霊によって満ち溢れることを心からお祈りいたします。アーメン。
そのような愛の模範をイエス・キリストは示してくださいました。
「人がその友のために命をすてるという、これよりも大きな愛はだれももっていません」とイエス・キリストは教えました。キリスト教は愛の宗教だとよく言われます。その理由を少しお話させてください。
私は種子島で生まれ育ちました。キリスト教ではなく、無神論で唯物主義者の家でした。
高校生のとき、アメリカ人の宣教師の英会話クラスに出席、礼拝にも行くようになりましたが、日本語が話せない宣教師は、聖書を読むだけでした。箴言31;10
神の愛を知りました。人間には罪があること、心が汚れていることも分かりました。どうしたら雪よりも白くなれるのだろう?
イエス・キリストが十字架の上に死んだことを聞きました。それは自分の罪のためではなく、全人類を救うため、私を愛していのちをささげてくださったのです。
罪も呪いも病も貧乏も、地獄の苦しみもすべてを引き受けてくださったのです。
私を愛していのちを捨てた!驚きでした。感激でした。母や父の愛。友達の愛。
その日に、アーメン信じますと、イエス・キリストを心に受け入れました。50年になります。それがキリスト教です。キリストを信じるとは、茂樹さんのプロポーズを美和さんが受け入れたのと同じです。そして今日の結婚式があるようにです。
結婚式のこの日、ぜひイエス・キリストのプロポーズを受け入れて、アーメン信じますとお祈りくだされば幸いです。
そのような十字架の愛を大家するとき結婚生活は豊かな愛に満たされたものとして継続され続けるのです。
愛はすべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
ふたりの結婚生活がその聖書のことばどおりに豊かなアガペの愛の実を結ばせることを確信します。
ではアガペの愛をどのようにして与えるのでしょうか。
愛は相手をあるがままで受け入れます。相手を受け入れることは、あらゆる人間関係の秘訣でもあります。お二人にとっては、これまでのお付き合いにまさってお互いを受け入れあうことになります。
愛はまた相手をあるがままに理解します。どれくらい愛しているかを時計で計ることができると言われています。それはほんとうです。人は愛しているもの、興味のあることに時間を使います。人の心のあるところに時間もあります。明日は日曜日です。イエス様を愛するクリスチャンたちは、時間をささげて礼拝を守ります。
愛は見つめています。愛するとき必ず愛するものを見ています。アイ・コンタクトは、愛のコンタクトです。お互いに気づきあいのある夫婦となってください。
愛は長い耳を持っていると言われます。人間に一つの口と二つの耳があるのは、話すことの二倍、愛する者の話を聞くように、神様がしてくださったのです。
愛はまた相手に何かを与えることを喜びとします。その最高の表現は、自分自身の心と身体を相手のために犠牲にすることです。イエス様は、「人がその友のためにいのちをすてるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」ヨ15:13と語り、十字架の上に私たちの身代わりとなってくださいました。
伝道4:9 ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
4:10 どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。
4:11 また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。
4:12 もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。
その大きな愛により私たちは救われました。聖書はそのことを夫婦の関係にも適応しています。
妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。エペソ5:22-25
最後に、そのような愛によって結ばれたお二人に申し上げます。
どうぞ、お互いの成長と祝福のために、妻は夫に従ってください。夫は妻を愛してください。それが夫婦となったものへの神のみこころです。
毎日の挨拶と微笑を絶やさないで、与え合いましょう。ゴールデンルールを実行し合うすばらしい家庭を築いてください。
マタイ7:12「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」
7:1ルカ6:38「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです」
使徒20:35「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです」
すばらしいし愛と幸せがお二人を通して、世界中に広がりよう期待し、祝福をお祈りします。アーメン。
今日は、教会でピアノ奏楽を長年続けてきた中学校教師と会社員の結婚式。式後は川崎市に住みます。
ホテルでの式は短いのが特徴です。今回はお二人の強い願いで、説教を少し長くすることになりました。
結婚式の主役は花嫁です。長い話は大変ですが、二人のたっての願いに答え、同時に参列者にも長く感じないように話すつもりです。
結婚式メッセージ
愛はすべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。第一コリント13:4-7
ご結婚おめでとうございます。またご両親はじめ、ご家族の皆様、ご参列の皆さま、おめでとうございます。
神のことばは生きていて力があります。クリスチャンの結婚は、先ほど牧師の前で二人が愛を誓いました。聖書のことばにアーメンと言う誓約をし、二人はその父と母を離れて夫婦となりました。おめでとうございます。
聖書のことばに愛について書かれた箇所がたくさんあります。その中でも有名な第一コリントの手紙13章をお読みしました。
その中からいくつかのことを申し上げます。愛はいつまで決して絶えることはありません。いつまでも残るものは信仰、希望、愛です。その中でもっとも大いなるものは愛です。
人間は愛がなければ生きて行くことができません。人間にとって生きることは愛することです。人の心の奥底にある願望は愛されたということです。愛される限りにおいて、人は人間として存在している実感を持つものです。
お二人の結婚は決して二人だけの幸せだけではありません。愛し育ててくださったお互いの両親の愛の喜びであり、愛の実りなのです。おめでとうございます。
結婚生活は愛されることだけをお互いに求めてはいけません。愛するとき愛されるのです。要求し合う関係からは、愛も温かさも生まれてきません。要求し合うだけだと、愛は塩の海のようになってしまいます。
私はあなたを愛しますということばには、二つの意味があります。一つは、あなたが欲しい!あなたが必要だ!という意味だけの愛です。
もう一つは、私はあなたを幸せにしたい!あなたのことを気遣っている!
最初の愛はエロースの愛、自分のために何かよいものが欲しい、「愛は惜しみなく奪う」ということばが、それを上手に表現しています。奪うもの得るものがなくなったら、サヨウナラしてしまう愛です。
しかし、もう一つの愛はアガペの愛です。その意味するところは、相手に何かよいものを与えたい!「愛は惜しみなく与える!」のです。今日結婚した二人には、またここのお集まりの皆さまには、アガペの愛が聖霊によって満ち溢れることを心からお祈りいたします。アーメン。
そのような愛の模範をイエス・キリストは示してくださいました。
「人がその友のために命をすてるという、これよりも大きな愛はだれももっていません」とイエス・キリストは教えました。キリスト教は愛の宗教だとよく言われます。その理由を少しお話させてください。
私は種子島で生まれ育ちました。キリスト教ではなく、無神論で唯物主義者の家でした。
高校生のとき、アメリカ人の宣教師の英会話クラスに出席、礼拝にも行くようになりましたが、日本語が話せない宣教師は、聖書を読むだけでした。箴言31;10
神の愛を知りました。人間には罪があること、心が汚れていることも分かりました。どうしたら雪よりも白くなれるのだろう?
イエス・キリストが十字架の上に死んだことを聞きました。それは自分の罪のためではなく、全人類を救うため、私を愛していのちをささげてくださったのです。
罪も呪いも病も貧乏も、地獄の苦しみもすべてを引き受けてくださったのです。
私を愛していのちを捨てた!驚きでした。感激でした。母や父の愛。友達の愛。
その日に、アーメン信じますと、イエス・キリストを心に受け入れました。50年になります。それがキリスト教です。キリストを信じるとは、茂樹さんのプロポーズを美和さんが受け入れたのと同じです。そして今日の結婚式があるようにです。
結婚式のこの日、ぜひイエス・キリストのプロポーズを受け入れて、アーメン信じますとお祈りくだされば幸いです。
そのような十字架の愛を大家するとき結婚生活は豊かな愛に満たされたものとして継続され続けるのです。
愛はすべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
ふたりの結婚生活がその聖書のことばどおりに豊かなアガペの愛の実を結ばせることを確信します。
ではアガペの愛をどのようにして与えるのでしょうか。
愛は相手をあるがままで受け入れます。相手を受け入れることは、あらゆる人間関係の秘訣でもあります。お二人にとっては、これまでのお付き合いにまさってお互いを受け入れあうことになります。
愛はまた相手をあるがままに理解します。どれくらい愛しているかを時計で計ることができると言われています。それはほんとうです。人は愛しているもの、興味のあることに時間を使います。人の心のあるところに時間もあります。明日は日曜日です。イエス様を愛するクリスチャンたちは、時間をささげて礼拝を守ります。
愛は見つめています。愛するとき必ず愛するものを見ています。アイ・コンタクトは、愛のコンタクトです。お互いに気づきあいのある夫婦となってください。
愛は長い耳を持っていると言われます。人間に一つの口と二つの耳があるのは、話すことの二倍、愛する者の話を聞くように、神様がしてくださったのです。
愛はまた相手に何かを与えることを喜びとします。その最高の表現は、自分自身の心と身体を相手のために犠牲にすることです。イエス様は、「人がその友のためにいのちをすてるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」ヨ15:13と語り、十字架の上に私たちの身代わりとなってくださいました。
伝道4:9 ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
4:10 どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。
4:11 また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。
4:12 もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。
その大きな愛により私たちは救われました。聖書はそのことを夫婦の関係にも適応しています。
妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。エペソ5:22-25
最後に、そのような愛によって結ばれたお二人に申し上げます。
どうぞ、お互いの成長と祝福のために、妻は夫に従ってください。夫は妻を愛してください。それが夫婦となったものへの神のみこころです。
毎日の挨拶と微笑を絶やさないで、与え合いましょう。ゴールデンルールを実行し合うすばらしい家庭を築いてください。
マタイ7:12「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」
7:1ルカ6:38「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです」
使徒20:35「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです」
すばらしいし愛と幸せがお二人を通して、世界中に広がりよう期待し、祝福をお祈りします。アーメン。
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