枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

自然に学ぶ・・・

2016年11月10日 | Weblog

 人間は、実に愚かなことを思いついて、遣る生き物か。況してや、原発の安全性等、決められないことなのに、何を基準にしてするのだろう。福岡の地下が陥没したのも、地球にとっての微妙な揺れが、長い時間をかけて、自然破壊へと繋がっているのに。

 地震も津波も、起るべくして襲ってくる。人間本意の考え方や、遣り方を改めないと、想定外処の騒ぎでなくなる。首都喪失も、日本沈没も物語だけの世界ではない。何れ、大きな災害が起き、あらゆる物が消えていく。人間の生存の意味さえも失せていく。

 午前中、天気は思わしくなく、洗濯物だけ干す。用事をしに出かけ、帰宅したら友人が待っていた。珈琲を淹れ、リエさんからの絵本を渡す。ストーブがないので早々と帰る。その後、枇杷葉の生葉を採り、鉢植えをしたり移動する。りささんのに1つ見えた。

 クリスマスローズの鉢を、霜や雨のかかる場所に置き、フリージアを軒に仕舞う。球根類の芽が出てきており、春を愉しみに待とう。暖かい日が続くのも、朝夕の冷え込みはめっきりとなる。山茶花が咲き始めて、枇杷葉とブルーベリーの彩づきが美しいもの。

 室内に居ると、寒さを感じるので、珈琲を淹れてパソコンに。膝掛けの毛布が暖かい。新暦では残す処、今年も僅かになった。旧暦とは、1ヶ月の開きがあり、正月が近い実感は薄いものの気忙しさは同じ。今月は、勤務先の介護フェスタが控えているのだ。

 旧暦の朔月の関係で、今年から来年にかけて、勤務となる予定。寝正月にしたいが、仕事を辞めねば不可能だ。尤も、旧正月は有給での休みにした。師走は枇杷葉茶作りと、焼酎に漬ける作業が待つ。花芽茶が思いの外、たくさん採れそうでうれしいのよ。

 末吉暁子さんの、最新作で最後となった、ぞくぞく村にじいろドラゴン5冊を、本屋で買う。クリスマスのプレゼントに用意したもので、小学校に通う子どもに渡す。小さな児には、365日のお話しを、リエさんに頼んでいる。12月になったら、送ってもらう手筈だ。

 左腕が痒くてたまらん。原因は、インフルエンザの予防接種だが、勤務していなければしない。然したる予防的な根拠は薄い、とも思うが義務でもある。夕方になってきたが、気温は余り上らなかったようだ。明日の弁当には、何を入れるかな。牛蒡がいいか。

 大山れん。白い花に限らずだが、芳香を放つのは、夕方からが多い。薄闇に漂う仄かな香りに酔う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生き方の違い・・・

2016年11月09日 | Weblog

 自分を大切にできる者は、他人をも慈しむことが可能な者ではないだろうか。若い頃には、形振り構わず、思うようにできることを好し、としてきた感がある。年齢を重ねてきて、立ち止まったり、振り返ったりして、そういった自分を反省すること頻り。

 子どもの頃には、自分の為りを、ともすれば憧れの対象と比べて、無い物強請りをしていた節がある。誰しも美人に生まれたいが、そうはならないのが悔しかったし、貧乏にも厭気がした。それでも曲がりなりにも、生きてこられたのは本との出遭い。

 美しくあるためには、自分を磨かねばならず、そのために自ずと学ぶ姿勢を持つことにも気づく。化粧をすれば、ある程度誤魔化せるが、本性は隠せない。精神の修行とは怖ろしいもので、家庭での過ごし方が、外でも出てしまう。綻び破綻するよ。

 内と外を、見破られることなく遣れる者は、精神的な挫折や破綻はないのだろうか?感情のコントロールが、自由自在に可能なら、社会はいき易いのか。とも思える。生きることに疲れることもなく、笑顔の絶えない日々が送れれば、素晴しいもの。

 個人的には、喜怒哀楽のある、自分に合った生き方がいい。但し、対人間関係では、摩擦の少ないのが好ましい。思慮分別のある、冷静さを持ち合わせたい。そうしてみると、生きていくことは、日々の心の有様かとも。怒りの感情は、寝るに限る。

 能天気な者を見ていると、それなりの苦労も具間視えたりする。皆其々の生き方があって、何処かで折り合いをつけているのだ。こちらの都合ばかりを並べるのは、違っているんだ。と妙に納得する。人間関係に嫌気が指すと、それさえも煩わしい。

 内田康夫・イタリア幻想曲を読み終える。宗教の違いは、日本人とか言う問題ではない。心の有様かと痛感する。今朝の新聞に、野間賞の発表があって、柏葉幸子『岬のマヨイガ』が児童文芸賞とある。これまでの作品からすると、遅すぎた気も有。

 我が家には、実に白い花が多くある。銀梅花もその一つで、初夏の庭を密やかに咲く。やさしい香り。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神無月、上弦・小潮

2016年11月08日 | Weblog

 久々の雨に、ほっとする。あり難いことであるが、諸般の事情を言えば、洗濯物が乾かないことだ。何しろ9人分の所帯である。日々の汚染物や、入浴がある。然も、衣類を必ず確認していないと、雪が舞う。これを取るのが大変な作業。ポケットに入っている。

 知人が、枇杷葉の生葉を、肩凝り予防に当てているらしい。勤務中も肩に乗せてしている。適度なひんやり感が好いらしく、こちらは無くなる頃合いを見計らって、持って行く。そろそろ我が家のも、焼酎に漬ける分を採りたい。品種に依っては、大きな葉もあるよ。

 花芽茶も作りたいが、西側の枇杷葉に決めている。未だ硬い苞の状態なので、来月になったら採ろう。日当りが半日陰なので、育ちが悪い。寒さ予防をしないので、結実には遠い。冬の間だけ、温室が現われてくれればいいが、資金面での問題もあるからな。

 道路が陥没したニュースに、皆一様に驚くが、ガソリン税との上乗せで、道路公団の懐は温かい筈。誰かが、何処かでちょろまかせて、知らん顔を決め込む。その結果がこれである。地震が起きて、津波が寄せれば、日本は海の中である。地下鉄にも閉じ込め。

 地震列島の何処に逃げたって、安心も安全もない。自分の命をどうするかだけで、精一杯だと思う。人を当てにせず、自然からの恩恵に感謝し、生きる術を学ぼう。便利で快適な生活に浸っていると、それがそのまま死への路に。着の身着のまま生きられるのか。

 草の種類にも、何処をどうやって食べれば好いか、知っておきたい。季節に応じて、山の恵は獣の餌だが、横取りするからには、相当の覚悟も必要だ。地球が人間だけの、棲む星ではないことに気づこう。アメリカの言い成りは、聞いてはいけない。自然破壊だ。

 オリンピックは、即刻返上しよう。豊洲だけではない。沖縄は、独立してしまえばいいのだ。日本の領土などと決めるから、ややこしいことになるのよ。本土の有利さと、沖縄との落差には、納得し難い想いがある。ごり押しや無理難題ばかり。民を守るのが首長。

 Aさんの坪庭には、夏になったら咲く大山れんがある。手入れも丹精だが、その見事さに見惚れる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神無月、立冬・小潮

2016年11月07日 | Weblog

 二十四節気 立冬 陰気深く籠もり、冬の気立つ、と云う意で、立冬と言う。次第に冷気深くなる。毎年、十一月七日頃である。朝夕の温度差が強くなって、早朝の起きがけは辛いものが出てくる。未だ、ストーブを買っていないので、懐炉で凌いでいる。

 暖かい。小春日和の穏やかさで、布団もほかほかになり、洗濯物も乾く。カメムシが、枇杷葉にさばっている。雨蛙は、冬眠前のエネルギー充填をしている。枯れた葉を取り除いたり、知人にあげる生葉を採る。ぐるりっと歩き、台所の葉をみてびっくり。

 何と、1枝苞の硬いのが見える。南側の今年のにも、1枝加わった。陽気に誘われて、膨らんできたものか?それにしても、と柑橘類を見遣ると、黒くなった揚羽の幼虫が、じっと止まっている。確か、3匹ほどであったが、生きていたらしい。孵化するか?

 天気が続けば、鉢植えのが枯れそうに、土が乾いている。慌てて水遣りをする。ヒアシンスの球根を植える。このまま暖冬でいれば、フリージアも咲いてくれるが、霜にやられるのは分かり切っている。軒下に移動するかな。クリスマスローズの苗届いた。

 知人が仕事を終えてから寄る、と言うので散らし寿しの用意をする。今回は、牛蒡がある。それに加えて、茗荷も残しておいた。後は何時もの蒲鉾と竹輪だ。酢飯が美味しいと好評だが、何よりも子どもさんに人気が佳いそうだ。おだてにも弱いのです。

 正午には、羽織物のカーデェガンを脱ぐ陽気さで、小春日和を満喫する。午後も3時を過ぎたので、洗濯物を仕舞う。リエさんから友人に、絵本が届く。田舎では、本屋が無くなって、書籍の注文にも事欠く。何でもアマゾンで買えよ、ということだろうかな。

 夜半に宇宙を観て、その美しさに圧倒される。オリオン座流星群の流れ星、それも流星痕の残るのを、日曜日に偶然眼にした。午後7時前であったが、可なりの大きさだった。この時期には、月が早く傾くので、観られることがあるのだ。足元に注意して。

 月と、金星も、土星も、西の宇宙に賑やかだ。金星は、-4.0等星だから、人目で分かる。火星は東南に輝く。エチオピア王家の、ケフェウス、カシオペア、アンドロメダ。その下には勇者ペルセウスと、天馬ペガサスが観える。大気が澄んで、眺めは抜群。

 珍しく晴れた、梅雨の宇宙。雨を嫌わずに、過ごす方法は、こんな晴れ間に出遭えるからだが、観ないとはもったいないなぁ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神無月、旅愁

2016年11月06日 | Weblog

 勤務先の大浴場の囲いに、山茶花のあるのが、一輪、また一輪と咲いていく。若い子が、あれは椿か、と問うので、山茶花と答える。この子のように、分からないことを素直に聴いてくれるのは好感が持てる。椿は、見て読んで字の如く、春に咲くのだが。

 如月になったら、京都の寺院は、椿で満開になる。そう言えば、リエさんと一緒に行った、小石川植物園の椿も見事だった。田舎では、藪椿が素朴で好い。紅葉が見た目良くなく、シーズンには遠いようだが、漆や櫨は橙色が風に揺れる。触ると腫れるよ。

 日曜日。献立は焼きソバであった。勤務の時には、必ず弁当なので、どうということはないが、若向きに調理したら、その殆んどを残した。こちらは雑炊に撤し、人参と玉葱、卵だけで味のしっかりした美味しいのを作る。カップラーメンよりは、好いと思うなぁ。

 知人が、温泉に行こうと言ったきり、中々予定が立たない。個人的には、湯布院の方面を計画したい。1泊でないと、仕事が休めないし、知人の子どもさんのこともあって、無論連れて行くからだ。有馬温泉位の距離が程好い。さてどうなるかな?と思案中。

 寒い場所が苦手なのと、遠くに行くのは、何かアクシデントが起きた時、日数のことも入れていないと、職場に迷惑がかかる。春から初夏に掛けての、東北の旅もいいものだろう。当分は、あちこちしないで、kazu君の大学院の卒業式に、行きたいものだ。

 昨年は、丁度その頃にお邪魔して、桜の咲き初めを案内してもらった。今度会う時には、ショパンのノクターンを弾いてくれる?リエさんの調子が良くならないと。こちらも出掛けることが、気分的に少なくなる。出不精の元気の素は、枇杷葉のお蔭ですね。

 団地の溝に咲いていたのを、持って帰って植えた。これの白が、中々手に入らない。楚々とした素朴さ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時を超えて・・・

2016年11月05日 | Weblog

 一昨日の夕方、鼻に異常を感じた。祖母もそういったことには敏感であったが、新しい命の誕生を予測した。自分の身近な者、或いは親しい者に宿る。心当りが無きにしも非ず。生命の不思議さは、望んでいる場合ばかりとは限らないが、自然からの贈り物。

 リエさんが、白雪姫のDVDを贈ってくれた。娘が幼かった時、テレビで観た思いがあり、継母が老女になって、谷底に落ちていく場面に釘付けになった。教訓とは怖ろしい物で、悪の行いには、必ず報いのある事を知る。天知る、地知る、人知る、我知るである。

 インフルエンザの予防接種の時期。勤務の関係で、致し方なくするが、疲労からくるものが多くあり、暖房を点けるから、菌も繁殖する。食事療法での予防の方が、効果は大きいと思う。それなのに、日本の農業を危うくする、TPPへの参加の強行採決とは馬鹿。

 百姓を経験するか、遣ってみなければ分からないものを、無関係の者等が何を言うか。食の安全性など置き去りの、無鉄砲な遣り方であろう。官僚自身の懐具合で、採決するとは卑怯。これが民主主義というなら、既に消えたも同然である。情けない国政だか。

 勤務していて、目配りと気配りの大切さを思う。然しながら、実情は極めて厳しく、心底疲れるものだ。職員の連携と、ほうれんそうがなくてはならず、言葉使いにも、態度にも気をつけないといけない。相手が誰であろうと、日常的な言葉は必須条件。心易さは否。

 内田康夫の、イタリア幻想曲に入った。残る冊数は少なくなり、新しい書籍に近づいてきた。図書館では、借り手も殆んど無いので、ゆっくりと読める。延長にも気を使わなくても好い。ナルニア国物語を読み直したり、ニルスのふしぎな旅も読破せねばならない。

 夏への扉も読み返したい。文学の古典には、その豊かな文字に情がある。感情移入できることも醍醐味。本の世界に没する、至福の一時がうれしい。個人の趣味の違いもあるが、図書館利用で安上がりだ。夜間には宇宙を観上げる。オリオン座の何と眩さだろう。

 長崎茂木の赤枇杷と、静岡土肥の白枇杷。我が家で生ってくれているので、純粋な物ではないが、甘くて美味しいよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書に浸る・・・

2016年11月04日 | Weblog

 午前中の晴れ間に、布団を広げ、洗濯物を干す。新聞を丹念に読み、珈琲を挽いて淹れ、縁側に腰を掛けて、読書に講じる。正午を過ぎた頃から、雲が多くなって来たので、布団を仕舞うが、本は限のいいところまで読む。その後、フェンスの外に出て片付ける。

 蔦を切っておこうとして、鎌の刃が左指に当った。当然、切れて血が出て止まらない。咄嗟に枇杷葉の生葉を1枚捥いで、患部を巻いた。おおっ!!血が止まったばかりか、傷みも消えたではないか。驚くべき威力に眼を瞠った。焼酎に漬けていなくても同じだ。

 粗方、片付けて家に入り、枇杷葉のエキスで拭う。これまた傷み処か、傷口を塞いでおり、びっくり仰天する。素晴しい効果に、ここまでとは思われずたじろぐ。医者要らずとは、身を以って知る。勤務先の同僚に、枇杷葉の生葉を採る。大きな葉がたくさんあり助る。

 平岩弓枝さんも、宮城谷昌光さんも、ファンの一人でしかないが、その作品の殆んどが手にある。そういった方が、文化勲章や功労賞を受けられたことは、とても喜ばしい。読者は、作品の中に活躍する、史実の有様も不確かだが、その面白さは堪らない魅力だ。

 歴史・時代物が好みであるが、矢鱈と殺生を行う内容にはついて往けない。書き手の癖があってもなくても、読者がのめり込める人物であってもらいたい。そうして、その時代の背景も、自ずと視える描写が必要だろう。お二人の作品には、情状をかき立てられる。

 枇杷葉の周りから、仄かな微香が漂う。自宅の庭を開放する気にはならないが、環境的には最適な場所だ。図書館では、文化祭とブックカフェが催されているが、態々出掛けるには価しない。我が家で充分な縁側での、読書三昧には静けさがある。至福の時だ。

 旧暦の、霜月と師走の予定を立てる。正月は休みたいのは山々だが、職員の人数的なことでそうもいかない。夜勤をしない分、日勤には辛い。年金ももうちょっとあるので、それまでは辞めれない。まあ、のんびりとはいかぬまでも、自分にあった暮らしをしよう。

 桔梗が咲いた。清々しさに夏の涼風を想う。桔梗の種が何時しか零れて、新たに花が咲いてきた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

切断ばかり

2016年11月03日 | Weblog

 こちらが接続しているのを、何故勝手に切断するのか、判断に苦しむ。異常が生じているのではなく、OCNが接続しないのだから始末が悪い。ブログの更新を細々とするだけの、愉しみを奪う権利は無い。規定の料金を払い、不当な扱いを受ける謂れもない。

 何だか昨夜は、そういったアクシデントに疲れて、内田康夫の化生の海を、目が冴えて読み進んだ。今朝は早出なのだが、中々踏ん切りがつかなかった。眠くも無く起きて、弁当をこさえて勤務に。里芋の煮しめが美味しい。祝日の献立は、粕汁で臭いに酔う。

 室内は暖房を点けて、職員は半袖での仕事だが、こちらはとてもそんな恰好はできない。カーデガンを着たり脱いだりする。日中は汗ばむ暑さ、朝夕にはグンと冷え込む。この時期の手洗いと嗽はしておこう。と言っても1年中だが、結構あり難い習慣であるな。

 風向きで寒く感じたり、窓際が暖かかったりする。それでも、仕事の内容柄、其処にじっとしている訳にはいかない。掃除もしなければ、汚れが目立つばかりだ。モップを掛け、雑巾で拭いて回る。細かい所に気づかなければ、溜まる一方でもある。素振りが多いよ。

 介護の仕事をしていると、休日も祭日もないのを覚悟しなければならない。看護師さんとは、ある意味では違うが、実にしんどい内容だ。皆の協力と、息の合った連携がなければ、一日として成立たない。本当に日々、クタクタになってしまい、寡黙になっていく。

 何でも可んでも、薬で対応するから、自律神経の衰退ばかりだ。薬草を上手く取り入れて、自然治癒能力を推進する働きができないものか。金銭で解決する方法には、思考的なものも失せる。ちょっとした工夫を、思いついたり、喜んでくれることを考えたいもの。

 尤も、そういった事柄は、誰にも認めてもらえる訳でもなく、却って疎まれることが多い。旬の魚や野菜の活用、と言っても、何時がそうなのかが分からない。或いは、野菜の何処が、大切なエキス豊富なのかが。大根や人参の皮を剥くのは、糟を調理しているの。

 さて。蕎麦の花であったか?写真を見ただけでは、それと分からないが、季節が廻ると、必ず咲いてくれる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暦を見つつ・・・

2016年11月02日 | Weblog

 旧暦を見ていると、枇杷葉の花は、師走に咲くとある。つまりは、寒中のことである。田舎にあった枇杷葉の樹は、まさにその通りに満開だった。父母の了解を得て伐ったが、見事な花が付いていた。その後には脇芽が出ていたのだが、心無い身内に切られない。

 長崎茂木には、早くも綻んだのがあるが、白枇杷には未だ硬い苞である。この白枇杷は、今年の寒中に開花したのもあって、鈴生りになった。速いのもあったが、寒中に咲いたのが多くあったので、たくさんの結実になったのか。枇杷葉の不思議さに、驚くばかりだ。

 リエさんに、友人の持って来た銀杏と、青空市で買った胡桃を送った。胡桃割りにも、和製の画あるらしくて、それが小さなのには好いと言う。銀杏は、友人の里にあるらしく、毎年届けてくれる。その中に少しだけ千振を入れておいた。苦さがあるが、口中すっきり。

 自然の中で暮らしていても、感謝していないと、その恩恵には預かれない気がする。暦を憶えていて、自分成りに取り入れていかないと、困ったことが増える。歳を重ねてくるにつれて、納得できることも多くある。実にあり難く、感謝に堪えない。水が最もな命の源ね。

 DVDの、蝿男の恐怖を手に入れたかったのだが、大幅に内容の異なるのしか、残念ながら無かった。うげぇ・・・という想いが強く、最新の技術を使っての映像だろうが、買ったことを後悔する。原作に然したる興味も薄く、あの蝿と博士とが入れ替わるのが新鮮なの。

 失われた世界。モロー博士の島。原題を読んでいても、映像とは違っており、どこまでを忠実に再現するか、監督の力量にも依るのだと、凄くがっかりした。唯、身近な者が、原因不明の病に侵されて、明日の命さえ保障できないとすれば、どうするのかを想って・・・

 そういう意味では、SFでありながらも、深く胸底を抉った作品であった。天才科学者の哀しすぎる末路に、決して他人事ではない思いもある。科学の本来の有効性とは何だろう?詰りは戦争をして殺し合い、武器の性能を誇る事?機械なら、心が存在しないからなの。

 白枇杷。少しばかり、赤枇杷とは色が薄く見える。口に含むと、甘酸っぱい味が広がっていく。毎年鈴生り。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天気不安定・・・

2016年11月01日 | Weblog

 すっきりと晴れ渡っていたので、布団を広げるが、1時間程度で雲ってしまう。その後時雨、今亦晴れてきたが、風があるので断念する。初冬のこの時期には、籾を筵に広げて、天日干しをしていたから、大慌てて筵を畳む。北側の雲の様子では片付けた。

 乾燥機が無かった時代、百姓は決して楽ではなかった。その代わりに仕事はたくさんあって、頭を使うことは少なくなかった。猫の手も借りたい思いでやっていた。便利で豊かな時代になって、日常にすることがなくなって、余暇ばかり増え考えることも減る。

 自分の人生設計をしてはいても、突発事項は必ず起きてしまう。それにたいする免疫力の差で、或いはまた人生も転じて往くのかもしれない。笑顔でばかりは過ごせないが、山あり谷ありでこそ、愉しむことが可能になる。諦めなくては先へは進めないことも。

 その時に、自分の心の有様で、生かされて往くのかもしれない。と穿ったことを考えてみる。人生に悔いのない人間等居はしまい。それを上手くコントロールしてこそ、人間ではないのか。他人を殺めるなど以ての外。虐めも暴力も、虚しいエネルギーだが。

 友人が来て、珈琲タイム。ケーキを食べ、お喋りに講じる。枇杷葉談義だが、千振の効用にも触れる。個人差もあるようだが、口の中の爽やかさは格別だ。然し、友人は苦いの一点張りで、それだけで飲みたくないらしいのだ。こちらはあり難く感謝で飲用する。

 通草の種を干していたのを、ナイロン袋に入れて冷凍庫に仕舞う。自然の物には農薬が掛かっていないので、虫の出現が多い。そのままだと塵に化してしまうのである。昨日、テーブルクロスを交換し、その汚れをボディソープで取る。粒状の柄物ハイターも。

 化学洗剤は極力使わないようにして、自然の力を借りるが、どうしても残るしつこい汚れには効く。拭き掃除には、雑巾と枇杷葉茶で行う。時たま掃除機を掛ける。愛車にも掛け、中の塵を吸っておく。愛車には、常に枇杷葉茶が乗せてあるので、これで拭いた。

 庭の枇杷葉の枝に、今年付いた苞を見つけたが、ふと眼を留めると、何と2枝あるではないか。これって何年目になる?リエさんのは9年だが、まだ5年程の気がする。種類に依ってはこれだけ違うのか。枇杷葉の謎でもある。世田谷から飛んで来たのかも。

 夏の庭に咲く銀梅花。この枇杷葉は、花芽は付くが、未だに結実しない。西側なので日当りが悪いのね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする