枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

鹿の事故死・・・

2016年11月20日 | Weblog

 昨夜のことであろうか?通勤途上の道端に、鹿が横たわっている。車が撥ねた形跡あり。無残な姿に、胸が締め付けられる。小鹿ではなく、成長しているが、未だ若いようだった。民家の並ぶ所まで出てくるとは、余程餌がないのだろうか。車も相当な壊れよう。

 野生の鹿であるから、人間が治療できるものではないが、撥ねた感触は、相当な被害であったろう。所謂、人身事故になる。傷ましい限りだ。これが人間なら、警察も出動するし、ひき逃げ事故で逮捕される。鹿であるから、野晒しにされているのが可哀想だった。

 介護フェスタ。長い拘束状態とも思える、7時間は、認知症状の方には、どんな思いであるのだろうか。歩ける者は、好き勝手に行き来し、それに付き添うのも体力が要る。認知症って、一体何を言うのか?歳を重ねれば、当然あるべき症状で、施設入所ではない。

 どんなに高額な料金であろうとも、内容的には、施設内からは出られない。出る必要も無いのかもしれない。自宅で生活をし、自分の思う様してきた者が、他者と同調したり、右に倣えとはお粗末過ぎるじゃない。行政の有り方が違っている。現状を知らなさ過ぎる。

 快適で便利な落とし穴は、あらゆる場所にあるが、但し、気づかないことも多くある。小さなことにも感謝し、日々の幸せを祈り、自然への畏怖の想いを感じる心が大切だ。どうでも佳いようなことが、実は拘わりが強く、気づけば死に直面してしまう。警告を感知して。

 知人の子どもさんが、夜勤明けを連れて来ていて、女の子の方が、お祖母ちゃんと飛びついてきた。可愛く愛おしい。懐いてくれていることに感動する。他人の子どもではあるが、自分達の両祖父母よりも、相性がいいようだ。責任が無い分だけ、気が楽なのもある。

 初夏の庭には、次々に花が咲き彩る。自分で植えていて、花が咲きそれと分る。あちこち植えて忘れる。

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いただきます・・・?

2016年11月19日 | Weblog

 日本語が乱れているが、ここまでとは思わなかった。小学校の教師であるのに、これは酷い。幾らなんでも聴き苦しいのだ。子どもに言うなら、椅子に座る。来賓も含めて、大人にはご着席願います。で通じるものを、着席頂けますかとは何事か。

 然し、そういった言葉を耳にしても、誰一人として、可笑しく、疑問に思わないのにびっくり。拍手が少ないのは、全校数が少ないのだ。何度も強制でするものではない。厳粛さもなければ、ピンと張り詰めた緊張感も乏しい。問題は、そこでしょう。

 AM8:50分からの開催で、10:30分には終わった。これでは時間があまり過ぎる。開催時間をずらせたり、中休憩をゆったり取ったりして、閉校への子ども達の素直な声も、様々な思い出も聴きたかった。写真掲示は他の場所で、階段が不便だ。

 体育館の端にでも、レイアウトしてくれれば、眺めて時間も経つのだが、家族への対応方法が拙い。階段を移動するのが、何とも無い人ならいいが、そうでない者も居ます。健常者中心の思考にがっかりした。閉校になるのだから、どうだっていいの。

 午後からの勤務に、昼食を娘と共に摂り、休む暇もなく送り届ける。娘の婿は仕事で、本来は息子がする送迎をした。折悪しく、中学生の孫の廃品回収もあり、嫁は気がつかない。学校行事で早くから決まっているのに、前日の夜の連絡に呆れる。

 娘の所の、枇杷葉が育たないそう。おまけに枯れているよう、と言う。家を建てた人の気が残っていたようで、悪しき物を吸ってくれたらしい。枇杷葉のエネルギーには、不可思議なことが多いのだ。リエさんに持って行った時のも、枯れてしまった。

 今は、種から植えたのが2本、日当りの悪いのを物ともせず、元気で育っている。米の研ぎ汁もいいようだ。其処に遭った遣り方が、植えた人への影響を受ける。我が家の場合は、品種も年数も区々で、大きくなっている。生葉には不自由しないね。

 昨夜からの雨も止んで、陽が差してきた。洗濯物は直ぐには乾き難いが、何だかほっとする。明日は、介護フェスタだ。心労が大きいが、無事に過ごしたい。翌日は休み・有給だが、夕方から介護福祉士の研修がある。のんびりは当分無理だよね。

 白枇杷が大量に収穫でき、その甘酸っぱさを堪能する。甘いだけよりも、少し酢っぱさが美味しい。

 

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月と引力の関係・・・

2016年11月18日 | Weblog

 月の満ち欠けと、潮の満干潮に、地球の重力や引力の関係で、新しい命が誕生し、或いは亡くなって逝くが、その不思議な現象に、自然の摂理を思わないではいられない。胎内に長すぎると、死産になる可能性もある。自然とは神・宇宙の領域でもある。

 早出で勤務をし、半日で帰宅する。明日は、下の孫の学習発表会で、統廃合が決まっているので、最後にもなる。小学校生活は後数ヶ月しかない。来春には中学生だ。善行児童数が30名という、複式学級も含むが、孫等が一番少なく、5名の同級生。

 現代農業・11月号に、山女の記事があった。山形県が主流らしいが、栽培しているのを見たら、我が家でも可能らしい。余り、山との境もない田舎である。山形県のは、皮を調理して食べる方法らしい。試してみたが、苦味がきつかった。焼酎漬けが良。

 山女・通草は、天恵の長命果とあり、利尿作用、抗炎症作用、通乳作用と記されている。今なら、情報が豊富で、直ぐに分るが、祖母が生きていた頃にはなく、その効用も朧なものだったと思える。然し、実践してみて、その効果に驚く。蓄膿症にも効くが。

 痰の絡みを和らげ、咽喉の通りを良くする。焼酎に漬け込んでおけば、何年でも持つ。毎朝、5cc程を飲用する。風邪の症状の出始め、少し多めに飲用して眠る。翌朝起きると改善されていてびっくり。枇杷葉茶と一緒に飲んでも好く、嗽に使っても効果大。

 子どもや小児には、アルコールは禁止だが、通草の種を丁寧に洗って干し、乾燥させてお茶で飲むのも好い。野生の物は、それ自体が無農薬なので、安心して飲めるのだ。保存方法は焼酎でしているが、酢や塩漬けはしていない。種は、冷凍庫保管。

 梔子も、秋口の頃に、緑の大きな虫に齧られると、花が咲かない。今年、見つけては駆除した。台所の窓の下に咲く。

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再稼動・延長は何故?

2016年11月17日 | Weblog

 当初の約束では、稼動年数は30年であったのが、いつの間にか体よく、延長になって40年と言うのは、実に馬鹿げている。安心も安全も崩れ去ったのに、これ以上の放射線漏れが無い保障もなく、延長や再稼動をする理由が判らない。自民党の驕りだけ。

 国民を守るどころか、危機に陥れ、地震王国の実態を曝け出す。加えて、印度との原発輸出とは、これはもう狂気の沙汰としか思えない。詰るところ金だろうなぁ。戦争への危惧を抱くばかりの者には、計り知れない。孫や曾孫への哀しみは増すばかりだが。

 庶民の目先の良さをちらつかせて、本来の問題を有耶無耶にする。国会議員の嘘吐き目、これで年間所得の莫大さで、悪に突っ走る。これ全てが、庶民の税金である。なけなしの血税を納める先から、不正に持って行かれ、憤怒は治まらずである。愚弄。

 国民も、嘗められた者である。大きな官僚が大手を振って物言い、自分達に都合の好いように閣議決定する。投票で選ばれた筈が、その時だけのおとなしさで放漫ばかり。新聞の投書にもあったが、時給制や割高制にすればいい。自分等に不利は行わず。

 勤務を終えて、駐車場までの距離を、宇宙に眼をやる。夏の大三角が、可なりに傾いたが、どうにか天頂付近に観える。金星も山の頂に昇って来ている。午後7時前だと、冬の大三角は姿がない。8時過ぎればオリオンも観える。昴が燦然と輝。得した気分。

 某新聞に掲載される、金岡新聞と言うのがあり、隔週の記事に楽しみで待つ。殊に、今回は宇宙の記事で、将来は天文関係に進まれるそう。森羅万象への想いが豊富な、或いはギリシャ神話に心弾ませ、あの宇宙を翔けている。知識がなくても夜空は素敵。

 個人的には、宇宙の変化がもたらすことに、大いに興味がある。北天の宇宙、それも一部ではあるが、自宅から観れる幸せに感謝するばかり。この一時の想いを、星々は知っており未知なる映像を具間見せる。お金も取られず、時間も自由に観覧でき最高だ。

 今年の白枇杷の収穫。裏年であるにも拘らず、豊作にびっくりした。何時ものように、リエさんと某作家に贈る。

 

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介護の現状・・・

2016年11月16日 | Weblog

 天気がいいので、近くの散歩を思うが、人手が足らず断念する。条件が揃っている時には、雨が降っている。自宅で看る分には、それも仕方の無いことであるが、施設での生活だと、様々な弊害が出てくる。厄介なことでもあり、それが介護でもある。

 施設自体が、自然に囲まれて、一定の場所までは自由に行き来できれば、それに越したことはない。施設を一歩出れば、不利解な人間が多くて、一寸見には然したる変化の無い者としか映らない。事故が起きるのはそういった時で、命に拘るのだ。

 田舎も都会も、高齢者が急に飛び出してくれば、避けようがない。ノロノロ運転であれば別だが、時速はそれなりに出ている。一瞬の隙が、大きな事態に陥るのだ。可と言って、四六時中見張っているのも、軟禁だったり拘束にもなる。判断を誤ると。

 高齢者が、住み難くなったことは確かだ。以前には、家族の団欒もあり、年寄りが当たり前に留守を守っていた。子ども等が悪戯をすれば叱り、注意をするのも当然のことだった。今は、小難しい人権だの何だの、実に喧しい。従って簡単に殺める。

 勤務を終えて、クタクタで帰宅する。駐車場に愛車を停めると、枇杷葉の花芽が仄かに匂う。アロマを態々買わなくても、季節の到来と共にある、日本の四季を感じることは可能だ。素朴な香りは、其処此処にあって好いものだ。野菊の如き君なりき。

 文学の古典。伊豆の踊り子や、古都。野菊の墓、潮騒。美しさもあり、純真さや気高さもあったが、描写が印象的で、活字の中に情景が見えていた。キャリーは、SFホラーだが、哀しいまでの少女の心理描写に圧倒される。追い詰められて力は最大。

 年金の仕組みがよく分からないが、何でも遺族年金は、割がいいようだ。生きているのと、亡くなってしまうのとでは、その思いも異なるが。厭な相手でも、死ぬのを待つか、我慢できなくて別れるか。金銭も多少は絡まるか?そう上手くは死なないのよ。

 初夏の庭に咲き出した、ドクダミを、せっせと刈る。それを新聞紙に、小さく切って広げる。一日一回混ぜ返す。

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掃除奉仕に・・・

2016年11月15日 | Weblog

 午前中、散らし寿しの約束をしていたので、いつも通りに起きて作る。外は、時雨があるのか、霧雨か降っている。友人が来て、枇杷の花芽に付きようを話す。今年は、我が家に限らず何処でも多いようだが、雪の心配もある。蜜蜂が忙しく飛び交っている。

 散らし寿しは、昼食の約束なので、昼までに届ける。その後、窓拭きに集中するが、雑巾は瞬く間に真っ黒になる。溝や枠も丁寧に拭く。室外機の上も拭いておいた。普段の掃除が出来ていないのが、一目瞭然である。風呂場、脱衣所、トイレの窓も全部。

 中に入って、全室の扉と箪笥の外を拭く。窓も全て拭いていく。開かない扉が、急に軽くなってすっと開く。壁は、汚れてないようだが、雑巾をかけると、真っ黒になった。皆一様に眼を丸くする。厭、汚れているんですってば。掃除の仕方が違うんだよ。立腹。

 化学洗剤では落ちません。雑巾を持ったり、束子で擦って!それから漂白剤で拭きましょう。掃除の基本をしないで、汚れは落ちない。白雪姫もシンデレラも、遣っているでしょう?掃除機だって同じです。雑巾片手に掃除をすれば、痩せるしスタイルも良。

 その後、3時から歯医者なので行く。疲れがどっと出て、居眠りしそうだったが、あの金属音に眼が開いた。明日は早出だし、掃除がついているし、ブログもある。歯医者終了後、図書館に寄って返却する。末吉暁子さんのコーナーが出来ていた。うれしいなぁ。

 個人的には、全作品を並べてほしかったが、無理もあるだろう。好意でしてくれているのに、口出しするには及ばず。携帯で撮影して、りささんに送ろう。枇杷葉も、りささんのに2枝ほど、花芽が付いている。昨年には、結実しなかったが、今年はどうかな・・・。

 夏の夜。妖精のパックが、不意に現われて来そうで、思わず佇む。ガラスの仮面、その後どうなったのか?

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神無月、望・大潮

2016年11月14日 | Weblog

 昨夜は、下り坂の天気で、今朝は時雨があった。今晩の期待は、裏切られそうな気配がする。それらが総て自然からの贈り物で、人間が決めていることが可笑しい。洗濯物が乾かないのである。終いかけていた扇風機を点ける。夏には殆んど使用せず。

 枇杷葉の苞にも、色々あるものと感心する。日向なら育つというものでもなく、日陰であるから花芽が咲かないとも限らない。では何だろうか?肥料や地温かな、と考えてみる。肥料といっても、野菜屑を捨てていたり、焼きすくもや、糠が多くて無農薬だが。

 屋敷の周りは、枇杷葉で囲っていると言っても過言ではない。それにしても、思ってもみなかった枇杷葉に、苞の付いているのを見つけた感激は、びっくりしゃっくりである。で、何年経っているかという計算だが、9年を過ぎてはいず、眉を顰め首を傾げる。

 これは、品種に縁るものかとも考えるが、土の肥えの状態や、水分や気温にも偏るのではないか。詳しくはメモがないので不明だ。同じ白枇杷でも、一向に育たないのもあり、移動した条件や土の状態で違ってくる。自然の為せる技とも言うべきだろう。

 仕事を辞めて、枇杷葉に打ち込めば、研究にも熱が入るが、休日の不安定さや、いい加減な遣り方では、分かることも少ない。自然から学ぶことは多くあり、更なる努力には時間もかかる。人生は短いが、しなければならないことはたくさんある。前途多難。

 明日は、歯医者に行く。どっちでもいいのだが、定期健診ときたもの。下手くそなので、以前からの歯科に戻そうか、とも思っている。何しろ、出不精であり、あちこち行くのが苦手なのだ。町内の田舎の周辺で、用事ができればそれに越したことはないのだ。

 図書館は休みだし、読書に勤しむばかり。郵便局へは、年賀状を予約していたので、止む無く受け取りに。印刷をするのは、年末になってからであり、投函は更に元旦である。できれば旧暦でしたいのだが、その嗜みの少ない人種が多い。花芽の写真で。

 薔薇が咲き始める。駐車場の棹に、絡まっている薔薇。フェンスの方に伸びている。それは見事な艶やかさ。

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発想の転換、三隣亡

2016年11月13日 | Weblog

 瓶に貼ってある、糊の強いシールを剥がす方法に、ふとした思い付きで、遣ってみたら、これが驚く効果があった。粘着力のある物には、冷たくすれば剥がれるだろうと、水で洗ってみたが取れない。何日か浸していたのもさっぱりだった。ところがある物で劇落ちした。

 これは、摩擦の関係かもしれない。物理的なことも、化学的な反応も、知識がないから分からないが、思い付きの実験が効を発したらしい。兎に角面白いほどに、シールが剥れた。瓶なので金属束子を使ったのもよかった?何を使って落ちたのかが、お分かりですかな。

 不思議なことって、身近に存在しているが、意外と見過ごされていたり、気づかないことも多いのだろう。不便さを感じたり、直ぐに買うことができなかったり、ちょっとした工夫を心掛けていると、どうしたらいいかを思い付くものだ。実験も愉しいし、成功すればにんまりだ。

 枇杷葉で、これまで様々なことを学び、それを生かすことに努めてきた。きっと、自然からの贈り物に感謝する気持ちが、小さなことにもある、発見へと繋がっていくのだろう。とても有難いことである。書物を読み親しみ、人生への張りに繋げ、豊かな感情への在り方に。

 木村秋則さんの、無農薬の林檎にも、家族を農薬から守る想いがなかったら、できなかったことだ。でも、その年月の長さは、夷かばかりであったろう。あの映画には、描ききれなかった心の起伏が図られる。実際に、遣ってみてこそ、初めて分かるもの。納得できること。

 人間の成功するチャンスなど、一握りの者でしかない。金銭的なことも、名誉も、何が影響するかは知れない。学歴も無く、歳だけを重ねてくると、悲嘆することばかりが増えるものだ。然し、活字を追っていると、自分で考えることをする。試行錯誤していけるのは愉しい。

 西側の枇杷葉は、花芽は咲くが、結実はしない。日当たりも少し足らないのか?その向うには銀梅花が繁る。

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雲一つ無く、十三夜

2016年11月12日 | Weblog

 早出出勤し、午前9時までに粗方、片付を終える。険食になっているので、栄養科まで食器の返却に行く。空は、雲一つ無く晴れ渡り、飛行機が朝日に機体を輝かせて飛行しているのが、くっきりと見えた。風もなく気温も穏やかである。深夜の眠さも吹き飛ぶ。

 常識と言うのは、育った家庭や環境にも左右されるが、略一般的な考えとして。金曜日の次は、休みには違いないが、そうで無い者も居れば、早朝からの仕事や、夜勤者も居る。持ち家でも隣近所への騒がしさは慎むべきだ。団地内深夜入浴して大声出す?

 車が1台やっと通る幅であれば、夜間には小さな声でも聴こえる。眠れないので、仕方なく内田康夫・上海迷宮を広げるが、頭も眼も冴えるばかり。今朝はAM5時過ぎに起きたが、油断したら遅刻である。毎週、これを遣られているが、溜まったものではない。

 介護フェスタが近い。施設内の掃除が気になり、休日を返上してのボランテェアに、窓拭きをしなければ、と上司に伝える。玄関は特に、綺麗にしてください。出は入り口が汚れているのは、凄く厭ですよ。自分の親を預けるのに躊躇します。褥瘡等信じられない。

 某新聞連載の、介護の話しだが、余りにも出来すぎている嫌いがある。実際には、そういったことは、簡単には出来ないし、簡単に事が収まるものでもない。悲惨な結果は見えている。一時凌ぎを遣ったって、上手くいくことではない。恐ろしさに、毎朝手が震える。

 介護の現場に来て見れば、其処での暮らしがどんなものかが良く分かる。先ずは、産まれた家を離れ、嫁いで来て守っていた家を出て、幸せな生活等あろう筈がないのだ。人が生きていく過程には皆、掛替えのない物がある。信頼も愛もなくでは、住めないよ。

 年金を減したり、受給年齢を上げたり、政府の小手先の誤魔化しに、国民の怒りは広がる。自分達に実に都合良く、改善していく。言葉の持つ意味さえ、解からなくして、正しさを嘯くのだ。庶民の生活を舐めきっている。じっと我慢して、仕方がないと諦めて。

 今年の胡瓜。瑞々しく、新鮮で美味しかった。苗が少なかったので、10本ほどであった。枇杷葉に巻きついた。

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星に願いを・・・

2016年11月11日 | Weblog

 流れ星に、願いをしようにも速くてできない。尤も、願うべきことも咄嗟には思いつかず、呆然と見送る。オリオン座流星群の、気紛れな流れ星が観られる。宇宙を観上げられる楽しみは、その偶然さも含まれる。夜の帳の中で、冴え亘る輝きに見惚れる。

 アメリカが大統領選出に、大変な騒ぎである。人民の人民による人民の為の政治。とうたったリンカーンに比べれば、過激な人物らしいが、ジョーカーがあったのだろう。勝利をものにした限りは、就任するしかないが、逆風が巻き起こっており、拡大の兆し。

 日本は、そういったことを知っていたかのような、TPP参加への強行採決と、参院通過の慌て様だ。然るべき筋書きが、書かれていたのに違いない。胡散臭さが周辺に漂う。国会議員と言わずとも、議員と名のつく者には、自給での支払いを願いたいね。

 名誉ある役職に就く者にも、高価な住まいを提供したり、家賃を肩代わりするなど、以ての外だ。仕事という内容ではないのに、国民の税金を充てる必要等、ありはしない。福島の汚染水やら、熊本に鳥取への支援の方が優先じゃないか。莫迦にしてる。

 今年の干支は猿であり、その締めくくりは波乱になったことも、年が変われば酉となり、その賑やかさに閉口しよう。然しこれもまた、そういった年周りになっているので、本音の部分が多く現われるのかもしれない。自分の運勢と合わせみて、冷静な判断を。

 枇杷葉の花芽も、1分方咲いてきて、庭の隅々まで匂ってくる。花屋さんには申し訳ないが、クリスマスローズも大きくなって、株が増えてきた。零れ種も発芽するので、愉しみなことである。箒での落ち葉掃きも慣れ、冬の澄んだ空を見上げる。腰が伸びた。

 林檎の無農薬を食べたく買った。最初の年は生ったが食べられず、翌年は生らなかった。今年、やっと花が咲き生る。

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