すっきりと晴れ渡っていたので、布団を広げるが、1時間程度で雲ってしまう。その後時雨、今亦晴れてきたが、風があるので断念する。初冬のこの時期には、籾を筵に広げて、天日干しをしていたから、大慌てて筵を畳む。北側の雲の様子では片付けた。
乾燥機が無かった時代、百姓は決して楽ではなかった。その代わりに仕事はたくさんあって、頭を使うことは少なくなかった。猫の手も借りたい思いでやっていた。便利で豊かな時代になって、日常にすることがなくなって、余暇ばかり増え考えることも減る。
自分の人生設計をしてはいても、突発事項は必ず起きてしまう。それにたいする免疫力の差で、或いはまた人生も転じて往くのかもしれない。笑顔でばかりは過ごせないが、山あり谷ありでこそ、愉しむことが可能になる。諦めなくては先へは進めないことも。
その時に、自分の心の有様で、生かされて往くのかもしれない。と穿ったことを考えてみる。人生に悔いのない人間等居はしまい。それを上手くコントロールしてこそ、人間ではないのか。他人を殺めるなど以ての外。虐めも暴力も、虚しいエネルギーだが。
友人が来て、珈琲タイム。ケーキを食べ、お喋りに講じる。枇杷葉談義だが、千振の効用にも触れる。個人差もあるようだが、口の中の爽やかさは格別だ。然し、友人は苦いの一点張りで、それだけで飲みたくないらしいのだ。こちらはあり難く感謝で飲用する。
通草の種を干していたのを、ナイロン袋に入れて冷凍庫に仕舞う。自然の物には農薬が掛かっていないので、虫の出現が多い。そのままだと塵に化してしまうのである。昨日、テーブルクロスを交換し、その汚れをボディソープで取る。粒状の柄物ハイターも。
化学洗剤は極力使わないようにして、自然の力を借りるが、どうしても残るしつこい汚れには効く。拭き掃除には、雑巾と枇杷葉茶で行う。時たま掃除機を掛ける。愛車にも掛け、中の塵を吸っておく。愛車には、常に枇杷葉茶が乗せてあるので、これで拭いた。
庭の枇杷葉の枝に、今年付いた苞を見つけたが、ふと眼を留めると、何と2枝あるではないか。これって何年目になる?リエさんのは9年だが、まだ5年程の気がする。種類に依ってはこれだけ違うのか。枇杷葉の謎でもある。世田谷から飛んで来たのかも。
夏の庭に咲く銀梅花。この枇杷葉は、花芽は付くが、未だに結実しない。西側なので日当りが悪いのね。