枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

生き方の違い・・・

2016年11月09日 | Weblog

 自分を大切にできる者は、他人をも慈しむことが可能な者ではないだろうか。若い頃には、形振り構わず、思うようにできることを好し、としてきた感がある。年齢を重ねてきて、立ち止まったり、振り返ったりして、そういった自分を反省すること頻り。

 子どもの頃には、自分の為りを、ともすれば憧れの対象と比べて、無い物強請りをしていた節がある。誰しも美人に生まれたいが、そうはならないのが悔しかったし、貧乏にも厭気がした。それでも曲がりなりにも、生きてこられたのは本との出遭い。

 美しくあるためには、自分を磨かねばならず、そのために自ずと学ぶ姿勢を持つことにも気づく。化粧をすれば、ある程度誤魔化せるが、本性は隠せない。精神の修行とは怖ろしいもので、家庭での過ごし方が、外でも出てしまう。綻び破綻するよ。

 内と外を、見破られることなく遣れる者は、精神的な挫折や破綻はないのだろうか?感情のコントロールが、自由自在に可能なら、社会はいき易いのか。とも思える。生きることに疲れることもなく、笑顔の絶えない日々が送れれば、素晴しいもの。

 個人的には、喜怒哀楽のある、自分に合った生き方がいい。但し、対人間関係では、摩擦の少ないのが好ましい。思慮分別のある、冷静さを持ち合わせたい。そうしてみると、生きていくことは、日々の心の有様かとも。怒りの感情は、寝るに限る。

 能天気な者を見ていると、それなりの苦労も具間視えたりする。皆其々の生き方があって、何処かで折り合いをつけているのだ。こちらの都合ばかりを並べるのは、違っているんだ。と妙に納得する。人間関係に嫌気が指すと、それさえも煩わしい。

 内田康夫・イタリア幻想曲を読み終える。宗教の違いは、日本人とか言う問題ではない。心の有様かと痛感する。今朝の新聞に、野間賞の発表があって、柏葉幸子『岬のマヨイガ』が児童文芸賞とある。これまでの作品からすると、遅すぎた気も有。

 我が家には、実に白い花が多くある。銀梅花もその一つで、初夏の庭を密やかに咲く。やさしい香り。

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