枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

介護の現状・・・

2016年11月16日 | Weblog

 天気がいいので、近くの散歩を思うが、人手が足らず断念する。条件が揃っている時には、雨が降っている。自宅で看る分には、それも仕方の無いことであるが、施設での生活だと、様々な弊害が出てくる。厄介なことでもあり、それが介護でもある。

 施設自体が、自然に囲まれて、一定の場所までは自由に行き来できれば、それに越したことはない。施設を一歩出れば、不利解な人間が多くて、一寸見には然したる変化の無い者としか映らない。事故が起きるのはそういった時で、命に拘るのだ。

 田舎も都会も、高齢者が急に飛び出してくれば、避けようがない。ノロノロ運転であれば別だが、時速はそれなりに出ている。一瞬の隙が、大きな事態に陥るのだ。可と言って、四六時中見張っているのも、軟禁だったり拘束にもなる。判断を誤ると。

 高齢者が、住み難くなったことは確かだ。以前には、家族の団欒もあり、年寄りが当たり前に留守を守っていた。子ども等が悪戯をすれば叱り、注意をするのも当然のことだった。今は、小難しい人権だの何だの、実に喧しい。従って簡単に殺める。

 勤務を終えて、クタクタで帰宅する。駐車場に愛車を停めると、枇杷葉の花芽が仄かに匂う。アロマを態々買わなくても、季節の到来と共にある、日本の四季を感じることは可能だ。素朴な香りは、其処此処にあって好いものだ。野菊の如き君なりき。

 文学の古典。伊豆の踊り子や、古都。野菊の墓、潮騒。美しさもあり、純真さや気高さもあったが、描写が印象的で、活字の中に情景が見えていた。キャリーは、SFホラーだが、哀しいまでの少女の心理描写に圧倒される。追い詰められて力は最大。

 年金の仕組みがよく分からないが、何でも遺族年金は、割がいいようだ。生きているのと、亡くなってしまうのとでは、その思いも異なるが。厭な相手でも、死ぬのを待つか、我慢できなくて別れるか。金銭も多少は絡まるか?そう上手くは死なないのよ。

 初夏の庭に咲き出した、ドクダミを、せっせと刈る。それを新聞紙に、小さく切って広げる。一日一回混ぜ返す。

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