枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

文月二日・十方ぐれ入り・大潮

2022年07月30日 | Weblog
 ブログの更新も、違和感なくしているが巷の彼方では終わりがない雲行きも。今朝、其処に行ったら以前訪問していた。書いてあることや思考回路が食い違うので、止めた覚えがある。えっとブログ名書けないけど今までもこれからも、自分を変えることなく続けて下さい。そんなのを相手にしないで更新して。

 以前、同人紙に入会していた時。わたくしが書くSFが羨ましくて、盗作した人がいたの。莫迦丸出しの唐変木で、読んで直ぐに判る者が居るとは知らずアシモフの子守りロボットロビィをね。以後活動できないように徹底的にやっつけたかったが、主催者の仲立ちで心を鎮めた。裁きを下すのは神だけですわ。

 ソロモン王が、王位に座る際に祈ったことは正しい判断が出来ますように。どんな事象も、間違いがあっては人心は離れる。ソロモンは他には何も必要ないと、一つことのみを。わたくしが悩んだり迷ったりの時に、願うのではなくて祈りなさいと諭してくれた方が居る。多くを願うなら、命を差し出すのだと。

 神は、己の心中にいるのだとも。冷静な判断が不可能な時には、自分の存在さえ否定する。生きているのも苦しく、自分中心にしか考えられなくなる。崖っぷちに追い詰められたら、一度落ちてしまうのが好い。その時に、運よく風が吹けば一気に上がれる。奈落の底にも、自分では気づかなかった物があるの。

 価値観の相違だが、どちらかが譲ったりでなければいがみ合いは止まぬ。ブログへの書き込みにも、誰にでも同じ文章であるのは厭きてしまう。今朝も、ちょっとした経緯があり焦ってしまう。嗤って赦す、という行為には多岐に渉る精神修行が出来ていないと無理だろう。返事を読んで、風向きに泣きそうに。

 ブログの持ち味には自分の知らないでいたことや、気づくことも多い。自分と同じよりも異なっての方が愉しいもので、一概にこうだからと決めるのは心許なくも思える。更新の回数を増やせば、離れていく者や近寄っての方も居るだろう。基本さえ変えなければいいので、全てを含んでがその人に違いないとも。
コメント (2)
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