枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

差し伸べられる手を

2022年07月02日 | Weblog
 エンジェルナンバーの、真実には各々の役目に添った数字を現わせて見せる。だからこそ、その真意に気づいた者は高みに立てる。資産が増えるとか人望を得るのではなく、自分の物は一切せず平等そのもの。何もしないのではなく、使命を全うするのは避けられない。空腹に陥ることもないし、諍いも起きず平安が保たれる高次元での暮らしに笑顔が満ち溢れる。

 既に神の裁断は下っており、その知らせを受け取れる者以外は権力ではいかれない。あの数字は、真実に気づけるように導く印で邪念を抱く者は消される。神の声は、していますよ。それが聴こえないのは心の乏しさ故です。視えなくとも、聴こえなくても心で感じることはできますもの。地球は滅び命も消滅、神が人間に委ねた約束を守らなかった為の顛末です。

 今日も、どぴか~んの天気ですが風はある。冷房を29℃に設定しているのが寒くて、カーディガンを羽織る。糠床に糠を足し、キャベツも加えたのは漬物に出来るなら糠床にもと。食の豊かさとは何だろう?コンビニに新発売の物を買いに行くことだろうか、どうにも違和感が抜けない。あの商品には、添加物も合成着色料もたっぷりで癌の発生床を育てているよ。

 枇杷葉茶を飲むようになって、教えられなくてもそれらが判るようになり買わない。一種の麻薬と同じで、一度口にすると買わないではおれなくなる。美味しいと、神経を麻痺させて脳波に伝えると以後は視覚からも促す。身体中に毒が回ってきて体調不良に気づけばいいが、それさえも分からずだ。血管は細くなり詰まり、身体は異常に肥って元には戻らないの。

 骨折やら、膝の痛みで動けなくなり手術やら薬を余儀なくされる。清貧の暮らしであれば、多少の困難にも緊急事態へも対処できる身体と心を培える。夏の暑さに堪えられれば、次なる困難へと階段を上がっていく。血の池に落ちたカンダダに、蜘蛛の糸を垂らしたお釈迦さまの真実は如何ばかりか。わたくしを踏み台にして上がれるなら幾らでも、お先にどうぞ。
コメント (4)
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