枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

機械に疎いのも・・・

2018年09月19日 | Weblog

 三隣亡。昨日、フェンスの外の草刈りを、しておいてよかった。と安堵する。今朝も天気に恵まれており、蒲団を干す。陽射しを浴びた、ほかほかふっくらの蒲団がいいので、可能ならやっているが、湿気が多いとそうもいかない。室内での干し方にも、一応掛けているのだが、ふかふかには遠い。

 人間の想いにも依るが、雨を嫌い、天気を好むのは、ちょっと違うところもある。自然からの贈り物には、風も雨もあること、曇りの日もあれば、快晴もあるのだ。こればっかりは、人間の自由にはならない。人工的に雨は降らせても、晴れには出来ない。感謝と祈りを忘れず、日々を送りたい。

 自宅に居るとテレビは観ないし、外出もしないが、図書館が近いのでそこだけには寄る。然し、田舎の財務事情で、月曜日だけでなく祝日も閉館する。加えて午後6時と、日曜日は午後5時までの運営である。サマータイム導入して、朝早くはいいが、勤務が終わってからとなると、閉まってしまう。

 特別に、カフェ等してくれなくても、時間差での勤務をすれば、とも思うが、少数派には配慮がない。衣類にしても、普通を基準にするので、ウエストはゴム仕上げ、ズボンの丈は短い。流行なのでとうたい文句を挙げ、ちんけな格好に腹が立つ。足首を冷やすと、肋なことにはならないのにである。

 夏場の冷房にも、冬の寒さにも、足首を冷やすと、坐骨神経痛や、膝への負担が腰痛にも罹る。人体の脆さに気づいている者も、テレビでの宣伝には飛びつくが、然したる役には立たない。サプリメントが効けば食生活は崩れる。日常生活の異変にも問題があり、便利で手軽には、毒が一杯詰まってる。

 感覚が消えてしまって、医者の言うとおりにするが、自分の意志は無い。これで病が癒えるのなら、病気には罹らない。自分の身体は、他人の物ではなく、医者と言えども任せられないのだ。医者は難しい事を並べ、煙に巻くことはしても助けにはならない。命を創るのも、終えるにも、神のみぞ知る。

 わたくしの信じる神は、森羅万象である宇宙のこと。自然も同等であり、委ねることもするが、治そうと心も向ける。驕りも疑いもなく真摯な気持ちでしかない。援けてもらうのに真っ直ぐに向き合うのも、病を取り去ってくれる。人体には、悪い物は一切なく、心得ることで変わっていくのだと想う。

 多くを望めば、それだけを失う。煌びやかな光を求めれば、邪悪な闇を呼び込む。魔法にかけられて、を何回か観ながら、ジゼルの純真さに考えさせられた。ちょっと辻褄の合わない場面もあったが、許容範囲に収める。少数派の意見をこそ聴いて、政治も司れば、国民の信頼も取り戻せるのに、無念。

 燃料補給に行く所から、貰って来たのはいいが、陰猫で、然も雄だった。本ニャンには抗議も。

コメント
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