枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

冷房設置したら・・・

2018年09月02日 | Weblog

 余りの暑さに、網戸にしての暮らしであった。誰に話しても顔をしかめられるが、枇杷葉のお陰で、意外と涼しいし、わたくし独りのことなら構わない。昨年にも、野良猫は来てはいたものの、すばるが相手をせず、事なきを得ていたものだが、今年は網戸を挟んで雄叫び合う。

 安眠を、突如破られるのにも腹立たしい。留守中の安全にも不安で、悩みに日々を過ごしていたが、冷房設置に決める。涼しいのよりも、すばるの危険を回避するのが目的で、ドライにしておいたが、電気代が相当かかる、とのことに冷房へと換えた。然し、安普請のため利過。

 一旦は、止めて置いていたが、ひんやりさは持続しており、就寝時にも安心状態。こうなると心配事は、他に移る。屋敷が風邪を引きやしないかと、痛く心配になる。今朝は、身体がだるく熱い。測ってみると、熱が36.4℃もある。勤務先に連絡して午後からの勤務に変更した。

 普段の体温が低いので、36℃台になると、しんどいのです。身体は、実によく知っていて、何かしら信号を発する。自然からの声に耳を澄ませて、異常時の時にはどうするかを判断したい。神さまは森羅万象であり、心の声に従う。この世に、自然災害等はなく、人災が原因だ。

 石田衣良氏の、炎の中へが、新聞連載を終えた。広島に長崎へと、原爆が投下された事実は、世界にも知られているが、東京大空襲は然程ではない。とあった。その頃には、各地で空襲があり、焼け野原になった箇所は知れない。だが、何よりも多くの犠牲を出した沖縄を忘れないで。

 わたくしたちは、その夥しい犠牲の上に生活しているのだ。自分達だけが、快適で便利な、安心したものを、お金さえ出せば手に入れられる。でも、沖縄の人々の生活には、基地との惨憺たる事故や事件が後を絶たない。加えて、沖縄を二分する、卑怯な遣り方での政府の動きがある。

 戦争を忘れないで。原発を再稼働しないで。声なき声を上げても、全く無視した暴言に、人間の心を持たない集まりだと、こちらが恥ずかしくなるばかり。人間が人であろうとすれば、お互いの話し合いが大切なことだ。小狡い者ばかりの巣食う国会には、人間の良心は見当たらず。

 昨年の枇杷葉の実。我が家のは、小さいが果汁たっぷりで、実に甘い。でも、心が通じぬと転じる。

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