枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

昨今の現状・・・

2018年09月16日 | Weblog

 空が明るくなって、陽射しが零れて来た。久々の天気に洗濯物を干す。表の旦那さんが勢いよく、草刈り機をかけ始める。仕事でなかったら、こちらも草刈りをしたいところだ。明日に持ち越そう。敬老の日であるが、昨今は呼び方も、敬老フェアだの、老人の日だのと、可笑しな言い方が増えた。

 敬老と言うことさえ、定かでない現状では、人間の価値観の相違が、ここまで異様になったものと淋しい。新聞にしろ、書籍に於いても、やたらといただきすの連呼、おをつけての過剰さに、一体日本語の正しい言い回しは何処に?と嘆かわしい。これをやるのが、文学に携わる者であるのも淋しい。

 自由と平等とが、誰にでもあるのは当然のことだが、ではなぜ、沖縄にはないのだろう?アメリカの言い成りを、政府は沖縄へ押し付けていき、強引にも押し通す。基地は要らない、という前に、その土地が一体誰のものであるのかを質したい。戦後に騙されて取り上げられた、現地の人の物だろう。

 政府の陰謀は分っていることで、沖縄を二分して、思うように操ろうとの策略が見えている。人間としての価値観の差もあろうが、他者への思いやりに欠け、欺き、土壇場で手の平を返す。遠隔操作の殺人にも値する仕打ちに、情け容赦のない不気味さを感じる。そういった者が、政界の頂点とは。

 このところ入浴した時に、せっせとお腹と腰を塩で揉んでいる。多少は効果があるようで、スカートが苦しくない。普段からの手入れを怠っていたのが、肥満に繋がるのは知っているのに、横着を決め込んだ結果だ。ダイエットは基本的には、その心算はなく、美味しい物を作って食べたい性格で。

 昔は、食事は三度ではなかったし、あってもおかずが乏しかった。栄養面も何も、三度の食事が戴ければ、満足していたものだ。それが時代が変わってきて、贅沢が当たり前になり、質素堅実には見向きもされない。沢庵があり、梅干しがあれば上等。お頭付きなんてご馳走だった。ひしおも旨い。

 自然災害と言えば、保証が出たり、受け取れるものと考えるが、あらゆることの根底には、人間が無知故に起きた災害でもある。資源には限りがあるし、それさえも人間の物でもなく、自由でもないのだ。地球と言う青い星が、エネルギーを注いで、育てているのではないか。人類は、勝手気儘だ。

 ようやく慣れてきて、動いたり、足音にびくつかなくなった。ちょっとポーズを決めて。

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