枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

嵐の後で。

2018年09月05日 | Weblog

 昨日は、文月・長潮に中り、大型の台風の予想が早くから報道されていた。にも拘らず、各地で被害が出たのには頷くしかない。水は高いところから低い方へと流れる。然し乍ら、それらを遮る物があれば、逆流してくるのは当たり前だろう。何時も思うが、自然災害ではなく、人災である。

 自然を侮ることは、どう抗っても人間へと還って来る。加えて、善人も悪人もなく、神の手に委ねれる。人類が、宇宙を眺め、異変を知り得ていた頃には、ノアの箱舟も役だったが、今や説教は利かない。神の僕たる者等の堕落しきった心には、何等福音はもたらせられないし救いも起きない。

 生活が豊かになった時点で、人類は驕りを反省し、愚かな行為を止める舵取りをする謙虚さを持てば、ここまでの被害は避けられた。原発を再稼働させ、沖縄の辺野古に基地を造ると、更なる悪化で被害も広がる。自然の恩恵に、言葉や口で言う程の感謝があるなら、人間の都合勝手は出来ず。

 自然を相手にして、到底勝算はないのだ。四季の移り変わりには、どういった事柄が起きるのかを、学び覚えていくことこそ、命も援けてもらえる。世の中が、金で全てと思うには、必ず見返りがつく。宮部みゆきさんの作品に、宝くじで買った家に、心を狂わせていった主人公がいたのを想。

 安倍政権が今後も好き勝手を行い、国民の、庶民の生活に見向きもしない駄策で、何年も続けて行く気なら、国は立ちいかないどころか、繕いは出来ず、破綻に向けて疾走するだろう。今でも苦しい暮らしに、課税をかけて行く等、無視か舐めているかだ。国民の人の好いのを騙すのも程がある。

 足長蜂が、巣を作ろうと飛び回っている。今後も幾つか、台風の到来がある様子。古来の考えが通じないのは、余りにも淋しいことだが、そういった特殊な能力を授かった者も、隠遁生活を余儀なく送って居よう。当たり前のことを、さり気なく行うことの難しさに心が冷える。憂いは増える。

 夕方には、接遇研修があるので、それまではのんびりしている。身体が危険信号を発しているのは、機能回復に向かおうとしているからだが、熱の華が出てしんどい。人間の体力にも限界があるのだ。枇杷葉のお陰で、年齢よりも見かけはいいが、頑張り過ぎない注意も必要。最近転倒が多いな。

 我が家の枇杷葉は、長崎茂木を始め、淡路田中、房州枇杷、白枇杷とある。偶然から揃った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする