枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

文月、下弦・小潮

2018年09月03日 | Weblog

 涼しくなったものと一息入れる。秋の気配も、台風の影響で遠くに感じてはいたが、それでも着実に訪れていた。エアコンの世話になりたくなく、風も通るので網戸にして過ごす。すばるは寝そべって、気持よさそう。やはり人工的な室温には慣れないので、適当に管理することに。

 介護の職種を選んだのは、資格が無くても務まる内容であった。家事一般の手助けであり、普段から行っていることと同じで、洗濯 掃除 食事での補助的な業務で、これなら何とかできはしないか。という気持ちで行った。然し、現実は研修することと、資格習得が暗黙であった。

 そこから真面目に学び、根気よく段階を上げていったが、職場での人間関係にはうんざりした。女性の職場とも言われるが、仲間内でのグループ作りで、自分達の好き勝手に、思い通りにならない者には、虐めと言う手段で、仲間外れにしたり、業務を強制的に押し付ける者等が居た。

 それでも、未だ体力があったので、乗り越えて来たが、還暦を過ぎてからは、拒絶反応が多くなる一方で、根気も体力にも限度を感じた。加えて、年金を受けるようになると、収入に応じた税金の徴収とくれば、生きているのが厭になる状況。政府の坊ちゃん政策に呆れうんざりする。

 つましやかな暮らしを、どうにか遣り繰りで賄い、辛抱と我慢とに囲まれて、静かにしている。その中で、読書し、郷土の歴史を学ぶことや、青春を愉しめるのに感謝し、枇杷葉を育て、困った人が居れば駆け付け、難儀な方には手を貸す。何事も、枇杷葉があればこそで、祈り感謝。

 気温が低くなると、猫の習性であるので、膝に乗って来ることが増えるが、昨年とは違い重い。ずっしりとした塊に足が痺れるので、暫くするとどかす。そろそろ毛布の用意をしておこう。形はでかくなっても、未だ甘えてくるので、構うことになる。耳や咽喉を撫でるとうれしそう。

 枇杷葉の生葉が、今月の中旬頃から採れそうだ。旧暦では葉月になり、新芽も硬くごわごわとしてくるので、焼酎に漬け込む。略毎日のように、湿布で用いており、これが無くては支障を来たす。医者嫌いの者としては、切らさないように心掛けていくしかない。時期もあるので注意。

 初夏になったら咲くのが、バラであり、菖蒲でもあるが、この銀梅花も可憐な花を咲かせる。

 

 

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