枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

二百十日、文月・中潮

2018年09月01日 | Weblog

 窓を閉めていると、雨音さえ聞こえずらい。風呂場には、ヤモリのこどもが侵入していて、外に出そうとしたら、網戸が外れた。冷房は、帰宅して直ぐに切り、室内温度に注意している。今朝は、雨の降り具合から点けていない。すばるの居場所で、大体の見当をつけているが、留守中には不要のことも。

 本来は、自然の気温と風向きでの室温なので、身体に悪いのは極力避けたい。湿度が高いのは仕方のない、日本の風土であり、適応していける方法が望ましい。便利で快適であれば、身体への負担が増える。これは取説には書かれてないが、充分に気をつけておくべき事柄だ。電気代は要ってもドライか。

 原発再稼働や、新規の設置にも反対だ。そうなると、必要最小限での使用をしたい。もんじゅが廃炉への舵取りをしたが、三人寄れば文殊の知恵も、大勢で寄って集ってでは、仏さまも遺憾であろう。御仏を侮辱した名にするのも如何であろう。根本の、始まりが間違っていたのを、速い段階で止めてたら。

 国民を鼻っから馬鹿にした国策にうんざりなのに、よくもまあ三選等と、厚かましいにも飽きれてしまう。松本清張の作品を読めば、裏での駆け引き、取引等、真相にも驚きを隠せない。実際に国民・庶民を舐め切った政治には、普通の者なら怒り心頭だろう。辺野古埋め立ても、沖縄の人等の土地を不当に。

 勤務も激務の繰り返しだが、各々の業務をちゃんとしておいて、至らないことをしていくのならいいが、自分勝手な事ばかりで、平気で手抜きをする。何を基準にしての判断かは怪しい。基本は、ほうれんそうに尽きる。また、できていないことには、皆で助け合わないと、業務の遂行は不可欠。熱があるの?

 帰宅して、ブログの続きを書こうとしたが、ネット切断が起きている。何度も試みたが、さっぱりなので、仕方なく読書に精出す。若草物語は、2冊借りており、もう1冊も読まねば。一気に半分ほど読み、今月の献立メニューを書き起こす。全く、いい加減な内容に呆れつつ、材料の補充をしていき、書きあげる。

 何だか身体がだるい。しんどいなぁ、と感じつつ枇杷湯に浸かり、すばるの噛みついた痕を、塩で揉み解す。歯型が残っていて、硬いしこりが残っているのだ。それにしても、自然からの恩恵に感謝しつつの施行には、驚く効果があるのに、今更乍ら再認識した次第。人間が、地球を壊していって、災害は人災です。

 台所のテーブルに、枇杷の実を乗せていたら、さっと飛び乗って来て、早速興味深々となる。

 

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