枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

宇宙を眺める・・・

2018年09月18日 | Weblog

 八朔になって三日月までは、朧であったが観えた月も、その後は曇りか雨で、暫くご無沙汰だった。昨夜は、久々の上弦の月と、火星が観えて眺める。自然の齎す情景には必ず、宇宙からの警告が含まれている。自分の身体で体験することと、造られた人工的な物とでは、雲泥の差がある。

 枇杷葉は、自然が贈ってくれる物だと信じ、受け取れる力を大切にしていれば、解って来ることもある。然し、それらが必ず、誰にでも理解できるか?というと強ちそうでもなく、無理なことの方が多い。手軽で直ぐに手に入る物にしか、興味を持たない。自分と言う物体は、存在しない。

 各地での台風や、地震に因る被害にも、水や電気の不足を補える不手際が、広い範囲であったが、機械に頼らざる生活こそ、問題を含むものだろう。真夜中でも電機は消えない。蛇口に近づけば水が出る。井戸には蓋をし、時間制限の電力供給はしない。可笑しいではないか、非常事態に。

 地震時に、星が観えるだの、とても綺麗だの言うが、それこそが当たり前の暮らしなんです。便利で快適でクリーンな生活自体に、疑問を持つことをしていなければ。暮らしていくことの重要性には、自然からの警告に、何時も心を清ませて。忙しいというのは、心を亡くすことでしょう?

 同僚が来ることになっていたのが、大幅に遅れて連絡が入る。夜勤でぐったりしている。若さで乗り切っているのだろうが、疲労は隠せない。珈琲を淹れるが、猫舌でげんなりしている。冷まして飲むしかないと、話をしていたが、肝心の子どもさんへの物がない。仕舞いこみ過ぎたんだわ。

 すばるが歓迎して姿を見せる。あらっ、初めてのことである。人間の基準よりも正しいので、感心してしまう。天気が回復して来ているが、蒲団を干すか迷う。自分の生活スタイルを持っているのも、好ましい限りだ。出身校で頭の良し悪しを判断するが、努力とやる気で撤回できるものです。

 枇杷葉を見回っていたら、何とあちこちに苞の膨らみが見える。それも初生りのようで、愉しみが増える。剪定にする枝を決め、これまで生ってきたのを休めよう。夕方にはフェンスの外の草刈りを。つゆ草も環境汚染の基準だが、ここまで繁ると難儀だ。木香バラも、新芽が出て繁っている。

 すばるのトイレを換え、洗濯機の二度目を回す。図書館は休みなので、借りた本を読まねばならず、休日の予定は盛沢山。すばるが甘えて、膝に来る。そのまま背伸びをやらかす。落ちるだろう!と言う間に墜落。重いし大きくなってきて、抱っこもままならず。悪戯盛りを少し過ぎたようで。

 りささん枇杷葉。種類は房州枇杷であった。一昨年から花芽は付いていたが、今年やっと結実。

 

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