狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

回想(一)

2008-12-15 09:46:09 | 日録


折角書き綴ったものが、「投稿」ボタンの押し間違えで、どこかへ消え去ってしまった。何回か同じようなことを経験しているが、これほど残念で惨めなことはない。
 書き直した次の文は、昨日終日、部屋の掃除をしていた際出てきた畏友N兄への回想記で、以前エントリーしたものと重複しているかも知れない。長いことブログを続けていると、視野の狭いボクには当然ありがちなことである。もしも、重複が見つかったらご容赦のほど。

回想
 昨年11月の末、畏友N兄夫人のF子さんから、彼女の住む学園都市のそれぞれの大通りの紅葉の彩が美しいことや、私が運送店をやめ気落ちして風邪にでもやられまいかと案ずるメールをいただいた。気持ちが一段落したら、我が家での「家庭集会」を期待していますと結んであった。その昔N兄が元気だったころ、拙宅の「家庭集会」でみんなに振舞ったけんちん汁(F子さんはノッペィ汁と感違えしていた)のことを思い出されたような内容だった。
 いつ頃であったか、N兄を病院に訪ねた時、彼も私の運送店廃業を奥さんのF子さんから聞いて知っていて、今後どうするなどと訊ねられたこともあった。この頃のN兄の容態は比較的安定していた様子だったから、彼のことにはメールでは一切触れず、アメリカのイラク侵攻のことのみに集中した過激な返信となってしまった。
イラクでの日本高官が殺害されたニュースを初めて聞きました。テレビに釘付けされてしまいました。
昔ならこれを口実に国民の敵愾心を煽り、帝国陸海軍を出動させ、石油の利権を武力で脅しとろうとしたに違いありません。「東洋平和の為ならば、なーんで命が惜しかろう…」昔の軍歌が、いまそこにあるような気が致します。
キリスト友会T月会のなすべきことではないかも知れませんが、戦争を否定するクエーカー徒として、もう少し積極発言があっても良いのではないかと思います。
 学園大通りも随分ご無沙汰してしまいました。貴メールであの紅葉並木を思い出しました。拙宅の楓の紅葉もまだ秋の名残を留めています。2003.11.30 20:24発信

クリスマスの済んだmを12月26日再びF子さんにメールを差し上げた。
今や戦時下を思わせます。小生は最近キリスト者にも疑問を持ち始めています。最も戦争反対であるべきクエーカー徒に、何の運動も起こらないことです。悲しいと思います。宗教者に戦争反対の大合唱が起こらないということが不思議でなりません。
最も遺憾なことは、創価学会を母体とする公明党です。
 寅年や千人針復活初の夢   2003.12.26 9:15発信

翌日F子さんから返信があった。思ってもみない内容だった。開いてはみたものの、しばらくの間、放心状態が続いた。
バタバタしていました。夫のNが21日に亡くなりました。尿毒症でした。
幸いなことに昏睡状態になるまで、「昼食がまだ来ない」とか云って苦痛の自覚がなかったようです。家族と、友会のIさん、Kさんの両氏だけの密葬ですまさせました。…(略)12.27 15:22発信

年が明け、1月3日は恒例の新年礼拝会。遠い下妻市から、Fさんと、Aさんがお見えになった。Fさんは補聴器こそつけておられたが、背筋の伸びた、その端正な身熟しは90余歳とはとても思いない若さに見えた。
F子さんもやや遅れてお出でになり、何か小声でご挨拶をなされた。聞き取れないほど低い声だった。小生は東京から帰省していた幼児を連れて来てしまったのを理由に、F子さんに弔意の挨拶をしただけで、N兄の追悼礼拝会の打ち合わせに出席せず、早々に会堂を辞してしまったのである。
 1月18日N兄の追悼礼拝会が、友会会堂で、簡素の中にも厳粛に執り行われた。
 午後1時ぴったり予定時刻通りに始まる。
友会のK氏が司会。賛美歌・聖書朗読後、I氏がN兄の履歴の紹介文を読み上げた。下妻市からFさん(氏とか翁という敬称は当てはまらない)が祈りの言葉、県都月会からお出でになった女性の方、中学同級のK君、小生の順でそれぞれ感話。私だけが予め用意しておいた原稿を読み上げた。(この友会追悼礼拝回では「弔辞」という次第はない。その代わりが「感話」で今思っていることを述べ神に祈る。)
式は数時間後、参加者全員の献花で終わった。夢が醒めたような思いであった。

N兄の思い出の中で特に印象に残るのは、中学時代下校の時、当時裁判所前にあったN邸に何度がお寄りさせて頂いて、その膨大な蔵書の数に度肝をぬかれたことなどであるが、あまりにも遠い昔のことになってしまった。塩元売会社で運送のお手伝いをさせていただいたこと、N兄の入院生活の原因となった屋敷内樹木の剪定の時に脚立から転落事故があった直前、拙宅の上棟式に駈けつけてくれ、お祝いの詞などを述べて頂いたことなどはまだ数年前の出来事のような回想である。(未完)