狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

大詔奉戴日

2008-12-08 21:30:05 | 怒ブログ
         
今朝メールを開いたら、ブロ友T兄より 今日12月8日は「大詔奉戴日」であること、またそれに伴う、ネット上の関係アドレスが14種もおくられてきた。
1番目のアドレスを開いたら、「特攻隊出撃」当時の動画写真であった。
それ以上開いて見る気持ちは起こらなかった。
すっかりボクは今日太平洋(大東亜)戦争開戦の日であることを、忘れ去ってしまっていたのである。
T兄に啓発され、当時の世相を、膨大な「朝日新聞社史」から拾ってみた。
(全4巻:大正・昭和戦前篇)の第8章太平洋戦争下の多難な社業より。
 
4:大勝に湧く初期作戦十二月八日の朝日新聞  昭和十六年(一九四一年)十二月八日、日本はついに米英に宣戦布告した。ハワイ奇襲、南方諸要域急襲の緒戦快勝の記事は十二九日付夕刊(八日発行)の全紙面をうずめた。衝撃と興奮と歓喜のあふれた、歴史に長くのこる紙面である。九日の朝刊は「ハワイ・比島に赫々の大戦果」を伝え、十一日は「英東洋艦隊主力全滅す」とうたった。
 しかし、開戦の日の八日の朝刊は、一面トップが「時難突破の士気昂揚、きょう第二回中央協力会議」という大政翼賛会の行事予定を報じた地味で平凡なもので、社会面のトップもこれをうけてその会場の紹介だった。社説も「満州農業と食料の自給」であり、これらには、きょうにも開戦という切迫感はみられない。毎日新聞が、開戦の日にふさわしい強い調子の紙面をつくったのにくらべ、報道競争としては朝日は完敗であった。

添付写真≪言論の死」まで『朝日新聞社史ノート』≫[(同時代ライブラリー:260)岩波書店]は、朝日新聞記者36年という元記者が、この「朝日新聞社史」を徹底的に検証した社史の解説書で、これを見てからでないと、読書人ならぬボクには、社史の膨大な記録を読みこなすことは不可能に近い。
本書は図書館から借りて読んでみたが、期限付きで、読むような本ではない。
同時ライブラリーは現在絶版である。ネットで検索し、隣市の古書店にあったものを、直接行って購入した。文庫判よりは、約10㎜縦幅が大きい変形判で貴重な本である。

それにしても「大詔奉戴日=太平洋戦争開戦記念日」を忘れてしまうようになっては、「昭和も遠くなりにけり」である。Tさん、メール有り難う。