狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

名所信表明演説

2008-10-08 10:00:33 | 怒ブログ

十月六日(月)(余の日記から転載)
 朝から雨なり。終日降る。
殆ど何もせず。ましま氏の「反戦塾」ブログで麻生太郎の所信表明演説冒頭の「御名御璽」発言を初めて知った。それもその筈で、オレはテレビも見ていないし、ラジオも聞いていない。今頃になって三十日付け朝日新聞を探し出して隅から隅まで目を通してみた。とうとう見つからなかった。恐らく夕刊記事だったのだろうが、田舎なので夕刊は入っていない。それにしても不思議である。
その後今日まで読者の「声」欄にも、とうとう関連記事は見つけらなかった。

《首相に選んだのは天皇でなく国民(衆議院)である。憲法に疑義をいだかせる中山発言におとらない失言だが、誰も問題にしない。戦後は遠くなりにけりで不感症になっているのがこわい。》とましま氏が嘆いておられた。朝日新聞までこの症状に冒されてしまったのだろうか。
ネットで捜したら沢山出てきた。アサヒコムの記事も他のブログの参照URLから漸く探し当てた。

麻生太郎的ユーモアなのであろうか。聞いていないので不明だが、爆笑は誘わなかったようである。永久保存に耐えうる名演説として前文をコピーしておいた。 

わたくし麻生太郎、この度、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽(ぎょめいぎょじ)をいただき、第92代内閣総理大臣に就任いたしました。

 わたしの前に、58人の総理が列しておいでです。118年になんなんとする、憲政の大河があります。新総理の任命を、憲法上の手続きにのっとって続けてきた、統治の伝統があり、日本人の、苦難と幸福、哀(かな)しみと喜び、あたかもあざなえる縄の如(ごと)き、連綿たる集積があるのであります。

 その末端に連なる今この時、わたしは、担わんとする責任の重さに、うたた厳粛たらざるを得ません。

 この言葉よ、届けと念じます。ともすれば、元気を失いがちなお年寄り、若者、いや全国民の皆さん方のもとに。