まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

老いては若者に従え

2018-10-30 16:48:37 | 日記
「老いては自分に従え」著者=山藤章二

私の父と山藤さんは、幼馴染だった、らしい。友だち付き合いをしていた、とか、そういうことはわからないし、もはや(父に)確かめようもないけれど、山藤さんから頂いた手紙を見たことがあるので、少なくとも山藤さんが父のことを知っていた、ということは、事実なのです。そんなわけで、父は山藤さんのファンでした。例えば、週刊朝日はほぼほぼ買っていたはずです。Wikipedia検索してみますと、山藤さんの生誕は目黒区で、昭和12年2月20日生まれ。っことは、父の同級生。きっと、同じ小学校に通っていたんだろうな、と、これは私の推測です。

そいで、山藤さんの著作、老いては自分に従え、についてですが、上記のような訳もあって、このメッセージは、ある意味で、父からの伝言でもあるのかな、な~んて、そんな重い思いもあるわけです。

しかしながら、実際はどうでしょう。少なくとも私は、若者たちに従っています。偉そうにはしていますが、喜んで従っています。例えば、ウンリューさん。私は彼を全面的に信頼していますし、心底、素晴らしい若者だな、って思っています。彼はガンダムおたくで、ゲーマーで、観る映画はアメコミですけれども、それが何?だから何?でも、まぁ、同じ介護職だからなのかなぁ、って思うこともあります。というもの、釣りの師匠、あっくんなんかと話をしていますと、(若者たちに関する)私の意見とは正反対だったりもしますので。

時には真面目に、重要な話を。あの、お年寄りを支えているのは、若者たちだったりするような、そんな現実もあるわけですよね。けれども、その点で(若者たちに対して)負い目は必要ありませんでしょう。というもの、落語の世界ではありませんけれども、先祖代々、そんな風にして、その役割を引き継いできたわけですから。しかしながら、問題は「選挙」にあるのです。むろん、選挙だけに「問題」があるわけではありませんが、どうしたって、票を得ようと思えば、高齢者対策的な政策になりますでしょ。それは違うだろう、というのが僕の意見なのです。
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浦野すずちゃんみたいな、湿布山さんへ

2018-10-29 12:55:07 | 日記
悲しいことに、僕の演技が長けているだなんてことは、一切なかったんだ。役者失格なもんで。思うに、世間知らずのクソベーは、落語の世界の若旦那で、おいらは、太鼓持ち。つまり、まぬけな幇間役。それでも僕は、この先も幇間役演じを続けるでしょう。後継者が育つまでは。

伝えたいことってのは、理屈じゃないし、まして、言葉に限界があるのだとしたら、自らの行動で示すしかないのだけれども、十中八九、伝わらないんだよね、そんなもんだよね・・・。

僕の本質は反省猿で、その行動が正しいとは、全く、思っていません。誰も彼もが湿布山さんだったら、この世界の片隅は、どれだけ素晴らしいことか。そんなわけで、僕は、言い訳猿に成り下がりました。

クソベーは、ロッククライミング?に挑戦し、競艇にも挑戦したらしい。あぁ、なんて素晴らしいことなのだろう!
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髪結いのまぬけ

2018-10-29 12:29:33 | 日記
今現在、僕の髪の毛がとんでもないことになっています。つまり、伸び放題、ってこと。

以下は、ぜ~んぶ、言い訳なのですが、ひとつ、理由がありまして・・・。

というのは、僕の知り合いが、独立して、美容院をオープンしたのです。おめでとう!!!

そいで、少しは売り上げに貢献したいわけですよ。でもね、でもさ、僕は小心者なので、一人で行くのがどうにも按配が悪くって、というか、約束したんですよね、誰か一緒に連れて行きますよ、って。そいで、なべちゃんに声をかけて、彼も了解はしてくれたものの、まぁ、忙しいわけで、なかなかカットに行けないのです。そういうわけなのです。
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個展

2018-10-29 12:08:49 | 日記
こんな時に、ちゃねりがいたら、すべからく、任せていたに違いありませんし、僕はそれで安心を得ていたことでしょう。

僕は、彼女の才能を疑ったことはなく、実際、そのセンスは図抜けていましたし、きっと今だって、衰えてはいないはず。

けれども、今となっては、それが拙かろうが何だろうが、自分でやることこそが、彼女への恩返しになるのかどうか。

それでも、例えば、ロト6が的中するようなことがあったならば、彼女を雇うべく、声をかけてみるでしょう。ひとりよがりにならぬように。
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まぬけの休憩時間(受験勉強について)

2018-10-28 23:29:29 | 日記
「数学者の休憩時間」著者=藤原正彦

昨今は、全く自慢にはなりませんけれども、勤務時間、あるいは、運転中以外の時間は、大概、酔っています。呑まずにいられるか、ってなもんで。そう、帽子を深くかぶっているような時は、特に怪しいのです。かえって怪しいのに、ねぇ・・・。

僕が読書に芽生えた、というか、淫するようになったのは、随分と遅くって、浪人時代です。そいで、自分の全盛期、つまり、脂が乗っていた20~30代ってのは、企業に貢献していました。貢献していたはず、そんな自負がありますが、どうだったんだろう、なぁ、ムネゾー。少なくとも時間的な概念では、間違いなく、そうだった、はずなんだけど・・・。そいで、沼田時代の約1ヶ月を経て、あとは、ほとんど、休憩時間です。それが事実でしょう。すみま千円。

脂が乗っていた頃は、まだ自分の役割っていうのか、何だろう、まだ自分の限界が、わかっていませんでした。自分はもっとやれるはずだ、と、思い上がっていたような、そんな時もあったような気もします。けれども、今になってみると、そもそも、そんな脳みそがまるでなかったという悲しいような現実が、はっきりとわかります。

思うに、宮本輝さんが「優しい」のは、人は生まれながらにして、いろんな差があるのだ、と、はっきりと語って下さったことなのではなかろうかと。むろん、努力は必要ですし、無駄ではありませんが、それは、自分の力量を知るためなのではないか、と。受験勉強が無駄だなんて、全く思いませんけど、ね。あぁ、辛いやなぁ。
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