まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

aigaafureteirukara

2018-10-15 23:20:02 | 日記
「ロニー・レイン・メモリアル・コンサート」

ヤバイね、これは。のっけから素晴らしくって。

「ARMSコンサート」の比ではありません。あれはあれで、とっても素晴らしかったけれども。

彼は愛し、だからこそ、愛された人。ロニー・レイン、永遠に。
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涙、涙、旦那、何だ?

2018-10-15 22:34:30 | 日記
「なぜ柳家さん喬は柳家喬太郎の師匠なのか?」著者=柳家さん喬 柳家喬太郎

なんだかもう、読んでいますと、やたらと涙が落ちますね。人間って、いいなぁ、人間って、切ないなぁ、って。

師匠はあくまで師匠で、ず~っと師匠のままなのですけれども、同じ道を歩むことは出来ないので、志は引継ぎつつも、別の方法を模索しなくてはならないわけで。

色川武大的に記せば、ぶつかり稽古。相手は、大きければ大きい程、よろしい。

以下は蛇足ですが、さん喬師匠のネタでは、「棒鱈」がいちばん好きなのです。しかも、まだ生では聴いたことがないのです・・・。

さらに蛇足ですが、今宵もマエケンやクソベーに、偉そうなことを何度も、説いていたのです。むろん、自分の考え方を押し付けているのではなく、こういう考え方もあるだろ、だから、気をつけよう、気づいてね、と。彼等なりの方法論に、私ごときが、あれこれ言うべきではないし、言ったつもりもありません。
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#MeTwo

2018-10-15 08:53:17 | 日記
父の生家は目黒にありましたが、疎開の時は、親戚を頼って、山梨の韮崎に赴いています。ちなみに、信州の佐久に、私の苗字と同じ地名がありますので、そこいらがルーツということになるのでしょう。佐久と韮崎では、距離はありますけれども、街道一本であることには違いありません。面白いのは、父の母系の方、ま、遠い親戚の方の著作に「地蔵が岳」という本がありまして、ちょっとした縁を感じています。縁というか、この場合は、血筋ということになりましょうか。母の生家は静岡にあり、先祖代々生粋な感じです。今でも、親戚付き合いが太くありますので、はっきりしている。まぁ、要するに、甲州と駿河の混血なのです。な~んだ、って感じ?でもさ、これが江戸時代だったら、って、ちょっと想像してみて下さい。こんなことを記しているのは、実は、「おおかみこどもの雨と雪」の影響なのです。ハーフやクォーター、国籍はどうであれ、皆が皆、混血でしょ、ってこと。人間ってのは、自然と、腹も減りますし、警戒もしますし、怖れもします。しょせん、動物ですから。グローバルなご時勢だからこそ、より、ルーツを愛でたり、意識したりなんかもしますが、少なくとも、黒船到来以前のこの国における、「国境」は、関所だった、と。私はそういうことを言いたいんだナ。
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2018-10-15 08:05:40 | 日記
先日の飲み会の時は、クソベーに説教ばっかしてたな。すまん。でもまぁ、仕事のことじゃないんだ。お酒の席でそんな話を持ち出すような野暮じゃないんで。

面白かったのは、F女子が僕のことを、食堂で観察してた、ってこと。むろん、食堂で僕のことを観察してるのは、F女子だけじゃなくって、皆が観察しているんだろうけれども、それ程までに、僕は異様だってこと。テレビに背を向け、活字を追う。僕にだって、少しは言い分がある。

「家族ゲーム」という、森田芳光監督、松田優作主演の映画がありましたでしょ。知らない?ま、あったんです。実は僕も観ていないのですが・・・。で、同じ方向を向いて食事をしている写真というか映像、それが印象的でして。食事の場は大切でしょ。いろんな意味で。

お昼頃ってぇと、タモリさんが去った後は、ワイドショー的なね、時事ネタって感じの番組が流れていることが多い。皆さまの会話も、そこから導かれる、こともある。例えるならば、僕はそこから「世間」を知りつつ、背を向ける。僕が必要なのは目の前のあなたです、ということであれば、読書の必要はないわけですけれども、概ね、それらの文字は僕の頭の中には入っていない。

そもそも、時事ネタについては、とっても興味があるんです。でも、それらはネットの情報で十分。さらに、誰も僕のコメントなんて必要としていない。というかそもそも、人と同じことが言えない。そのつもりがない。

僕の興味の中心は、器を片付けることにあります。ほんの少しの、厨房の方たちへのメッセージ。ごちそうさまでした。ありがとう。たぶん、シミならわかってくれる。奴はきっと、僕と同じことをするはず。

むろん、そんな馬鹿げたことを、クソベーに説教したりなんかは、しない。そもそも、自己満足の域に過ぎないのだから。でも、応用編に気づけ、とは思う。神は細部に宿るのかどうか。

人の器にも、いろんな種類がある。例えば僕の師匠のあっくんは、器を片したりはしない。でも、大きい。違う意味で、シミも大きい。だから彼らは、役職に就くべきして、就いている。

今度、クソベーと一緒の夜勤があったならば、静岡へ行こう、と、約束をしました。
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