この追悼文というか、記事は書きたかったし、彼の存在を僕自身に、そして、何らかの縁で繋がってくれていた僕の友人たちに重ねて、伝えたかったことでもあります。
しかし、気分が重く、気負わずにパソコンの前に座ることが出来ず、ずっと悶々としていたままでした。
勘違いして欲しくないのですが、それは彼を失った寂しさなどではなく、彼の盟友であるグラハム・ナッシュやニール・ヤングとの、ごく最近の軋轢について僕なりに考え込んでしまったから。
デヴィッド・クロスビーという人は、ある種の才能、特にその声には恵まれていましたが、その一方で、問題児でした。刑務所にも入っているし。
グラハム・ナッシュは、そんな時でさえ、彼を支え続けていたし、時には尻拭いをすることもままあったらしい。
ふたりは何度もタッグを組み、多くのアルバムを出し続け、その数は、お互いのソロ作よりも多く、要するに、長年の間、コンビとして認知されていました。
しかし、このふたりが、近年になって、絶交状態に陥ってしまった。
ニュースによると、紳士で温厚なナッシュが、ついにクロスビーに愛想をつかせてしまった、らしい。
一説には、SNS上で、毒舌クロスビーが、新婚ヤングの嫁さんに、極めて汚い言葉で罵ったことが決定的だった、らしい。
ともあれ、ナッシュが激怒したまま、というか、少なくとも許す気にはなれなかった時に、クロスビーがぽっくり死んでしまった、という、なんとも後味の悪い結末を迎えてしまいました。
誰だって、喧嘩くらいはしますけれども、ねぇ。
むろん、ナッシュ&ヤングは、公式の追悼文においては、大人の対応をしていましたが、その本心は、どうだったのでしょうか・・・。
老害なのかどうか、僕にも大いに当てはまります。
軽率な言葉や行動が、無駄に人を傷つけ、怒らせてしまう。
親しき仲にも礼儀あり、けれども、甘えてしまうみたいな。
ともあれ、覆水盆はに返らず、だから、前を向くしかあるまい・・・。
「Ohio」David Crosby and Venice