まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

たすけておくれ(南無阿弥陀仏)

2017-06-29 15:56:14 | 日記
あれ、「怪しい来客簿」がない、何度本棚を捜しても、ない。あぁ、職場のロッカーの中に入っているんだな、そんな心当たりはありますれども、実際のところはどうなのでしょう。

<優しい>と<甘い>はどう違うのでしょう。一方で、<寛容>とは何なのでしょう。そう、私は人生につまずきそうになった時は、師匠=色川武大に戻るのです。

ミスだとしたら、私はこれまで他人のミスに対して寛大でなかったことは一度もなかった。・・・。私たちはお互いに、助け合うことはできない。許し合うことができるだけだ。
「怪しい来客簿(たすけておくれ)」著者=色川武大

私はあえて勝手な抜粋をし、「・・・。」と示しました。そうして、あくまでも重要なのは、「・・・。」の部分にあります。この部分を省いてしまうと、単なるヒューマニズムもどきに陥ってしまう危険性・可能性がありますでしょ。そうではなくって、自然の定理であり、神仏など居ないのだ、という記述を、是非、読んで頂きたい。

昨日の帝王賞で私は、大負けしました。ライオンズは沖縄で負けました。先発の多和田投手は沖縄出身であり、同郷の山川選手は出場すら、かないませんでした。さらには、森慎二投手コーチの訃報が続きました。た・す・け・て・お・く・れ。むろんそのつぶやきは、常に、内向せざるを得ないからこそ、ブログを更新する、そんなまぬけさんなのでした。
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いつでも元気

2017-06-28 13:31:27 | 日記
ブログを更新しているさなか、あっというまに、あっけなく、巣立っていました(笑)

猫対策用のネットを外していたら、挨拶に来てくれました。飛べたよ、という自慢。保護してくれたね、糞の始末も大変だったでしょ、という感謝。むろんこれは、たんなる感傷にすぎないのでしょうし、むしろ、こちらこそ、ありがとう、と、言いたいのですが。

このタイミングで、あえて、この記事を紹介させて下さい。
いつでも元気「介護の未来がかかった裁判 署名にご協力を」

誰にでも落ち度、ミスはあります。それは罪には違いないのでしょうけれども、いちいち罰する必要があるのか、否か。傷つき、後悔し、反省する中で、人は成長するわけですが、この事例における裁判については、人命に関わっていることですし、「前例」の問題もありますから、関心を持たざるを得ません。むろん、介護の問題だけでなく、医療の範ちゅうでもあるわけです。外科医が減っている、介護職が足りない、そこが論点の中心ではないはずです。本質は「寛容」にある、私はそう思っています。
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空の庭へ

2017-06-28 12:40:49 | 日記
2羽の雛が巣立ち、2羽が残っています。落ちた雛が巣立ったのか、あるいは、残っているのか。

飛翔の時期ではあるのでしょうけれども、今年は特に、個体によって成長度が異なるような気もしますので、もう少し、時間が必要なのかもしれません。

片親状態が長すぎることと、巣が狭すぎることによって、餌の摂取量に差が出ている可能性がありますし、さらに、落下した2羽の痛みやトラウマもあったことでしょうから。

いずれにせよ、親はまだ餌を与えに来ていますし、空へ誘っている様子も見られません。
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すずきすずよ展

2017-06-28 07:42:50 | 日記
「縁」ってのは、わからんもんですな。

あの日以前の私は、約36時間、左脇腹の激痛で苦しんでいました。そして、この原因不明の痛みは、仕事における、「罪」→「罰」であると考えていました。睡眠もままならなかったのですが、どうにかこうにかくたばって、約12時間、トイレにも行かず、ただひたすらに眠り続けていたのです。すると、なんとまぁ、回復していました(笑)

「あれ、仕事は?」と、私。
「休んだ」と、ケーコ。
あら、珍しい。私はマンドリン・ウインドの気分でした。これはロッドの名曲です。ロッドが自作を誉めることは滅多にないのですが、この作品は、ほぼ唯一の例外なのではないでしょうか。

私はそうですし、おそらくはケーコもそうですが、与えられた休日以外に「休む」という発想がありません。仕事が好きだから、とか、真面目だから、とか、そうというわけではないんです。私らなんぞが休みたい、休みを頂くだなんて、そんなことは、おこがましい。わかる方にはわかるでしょう。

ケーコは、喜多方に行こう、知り合いの個展があるから、と。私は詳しくは何も尋ねませんでした。こんな時、私ほどの適任者はいないだろう、という自負もあるのです。つまり、私は人生を楽しむ術を知っていて、あらゆる表現に接する欲があり、かつ、人の意見に惑わされない価値があることもわかっている(つもり)。

カオも一緒に、と。え?アイツ、仕事でしょ。外回りの営業ってことにすればいいの?それってつまり、サボタージュ、サボり?まぁ、来月の退職は決まっているわけだし、仕事柄、ある程度のユルさは許されるんでしょうなぁ。ま、いいか。

ケーコを動物で例えるならば、犬でしょう。そのケーコが愛でるのは、猫。私は犬派ですが、おそらく自分自身の気質は、猫に近いはず。不思議なもので、そんな「バランス」ってのがあるんでしょうねぇ。

な~んて、どうして「猫」というキーワードがいきなり出てきたのかと言いますと、ここからようやく本題に入るわけでして、すずきすずよ展のことを。すずよさんの作品のモチーフは主に2種類あるように感じました。ひとつは、人形であり、もうひとつが、猫と月。そうして、そのどちらもに、私は圧倒されていました。さらに言えば、その作文にも。

造形について言えば、例えば私は「石仏(=主に観音さま)」を愛でています。無限の空間を、撮影という方法論によって、切り取る。これはつまり、箱庭(療法)と同じ作業です。仏教でいえば、おそらくは石庭も同じことでしょう。

どうして人形なのか?制約がない、というか、少ない。有限でありつつ、無限であり、極楽のようであり、地獄のようでもある。自由は大切ですが、自由を満喫できるだけの「勁さ」を持ち合わせている人は少ないんです。制約があるから、楽なんです。無人島に流されるような意思・覚悟を、私はすずよさんの人形たちから感じていました。

制作には、熱中・没頭しますけれども、日常生活においては、魂はなかなか安まりません。そんな時の象徴こそが、例えば猫であり、だからこそ、きっと、月なのでしょう。猫は、(物理的には)あたたかく、冷徹でもあり、気ままでありつつ、時には馴染む。一方で、月は、概ね数学的です。地球に沿いつつ、太陽の光を浴びている、そんな存在。

美術館を出た後に、ラーメンを頂いてから、カオを会社に戻しました。その後、再合流した我々は、芦ノ牧温泉に行ってきました。そこで再度、「すずきすずよ展」のチラシを目にしました。7月17日(月・祝)までの開催です。是非。

ケーコは、すずよさんと、入院中に、出会ったのだそうです。入院生活って、悪いことばかりじゃないんだね。

「縁」ってのは、わからんもんですな。
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True Blue

2017-06-28 06:14:23 | 日記
亀山湖に行こうと思っていたのですが、結局、酔っています。雨が降っているし、準備不足。

なんとなくテレビをつけたら、「新冠町レ・コード館」の話題でした。そいで、記憶がよみがえりました。

あの時、確か、飛行機のフライト時間の都合で、時間が足りなくって、焦っていたんだ。けれども、せっかくだから記念に何か一枚聴きたいな、そう思って、棚で目にして、適当にチョイスした曲が、これ。


「True」Spandau Ballet

レ・コードホールで聴きました。客席がそれなりにある空間でしたけれども、ひとりで。
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