まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

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2018-10-21 13:17:09 | 日記

がんばれ~!!!
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僕らのいた場所(危惧は杞憂だったのか)

2018-10-21 00:17:32 | 日記
「僕のいた場所」著者=藤原新也

僕らがガキだった頃は、近所に空き地がたくさんあって、確かにそこで、遊んでいました。40年以上前の話です。ありとあらゆる「遊び」を、ひとりじゃなく、近所のガキたちと一緒に、遊びました。金なんてほとんどなかったけれど、そんなん全く苦じゃなくって、危険な冒険、ヤバイ遊び、何でもやりました。むろん、室内でも。ちなみに当時は、インベーダーゲームに代表されるようなコンピューター系のゲームの創生期でもありました。あぁ、学校には必ず不良がいて、イジメもあったし、喧嘩もあったなぁ。

上記のようなことは、僕らの世代、むろん、僕らより古い世代にに説明する必要はないわけで、つまり、若い人たちに向けて語っているつもりです。

僕らが育った住宅地は、「若葉台」という名称なのですが、今では、まさに、枯葉台。お年寄り率が高いってこと。全国的に少子高齢化のわが国ですが、まさにその最前線です。小学校や中学校が、閉校、統合をし、老人ホームは盛況かと思いきや、あぁ、需要はあるけれども、担い手がいない現実。思うに、僕らに、地元意識はあまりありません。育った場所に過ぎない、という認識。都会でもなく、かといって、田舎でもない。変な言い方だとは自覚していますが、少なくとも僕は、たぶん、普通に、というか、平均的に育ちました。そんな僕が、いろいろとあって、10年前に、育った場所に戻りました。そうして今、僕は、幸いなことに、いろんな世代の方たちとのお付き合いがあって、さらに、郷土意識さえ芽生えました。それは例えば、埼玉西武ライオンズや、FM NACK5を好む、というような。

そんな僕の実感として、若者たちから学ぶことは多く、年配者から学ぶことは少ない、そんな時代なったのかな、と。というのは、インターネット、携帯電話の普及が大きかった。だから、概ね、藤原さんの危惧は杞憂だったのかな、と。むろん、世界レベルの話ではなく、僕らの周囲の事柄に過ぎませんけれども。

僕は藤原さんの愛読者ではなかったとしても、折にふれて、読んだり見たりはしています。だから、ファンには違いないと思う。勉強になるし、感動もするし、何らかのインスピレーションを得ています。凄い方、素晴らしい方だと思っています。でも、やっぱし、藤原さんの危惧は、杞憂だったと、思いたい。望みたい。

言いたいのは、こんなこと。僕らは、野原で草野球をして、育ちました。多くの同級生が去ったまま、消息は、わかりません。でも、僕たち、少なくとも旧友tayamaと僕は、頼もしい若者たちと供に、西武ドームにいます。

埼玉西武ライオンズがんばれ~!
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