人によってではあるのかもしれないけれども、信仰には、古今東西、万国共通で、命を賭けるに値するような、そんな尊さが宿っています。
そういう意味で、戯れに神仏に関わるべきではないのかもしれません。そんな戒めを教えてくれる地、それが長崎なのだと改めて痛感しています。
あまりにも多くの血が流れ流された、ここ長崎の地に、まるで追い討ちをかけるかの如く、原爆が落とされました。だから、同時に連想せざるを得なかったのは、戊辰戦争で犠牲になり、あげく原発で破壊された福島であり、また、戦争の痛手から回復していないにも関わらず、未だに大和(本土)の尻拭いを押し付けられている沖縄でもあります。
遠藤周作記念館の近くにある、沈黙の碑には、次のような一節が刻まれています。<人間がこんなに哀しいのに主よ、海があまりに碧いのです。>
この嘆きは、地球レベル、宇宙レベルなのではあるまいか。遠藤周作のキリスト教観が、例えば浄土真宗の教えと似通っているのは、偶然ではないのかもしれませんね。
以上、明日はどこに行こうか迷い、眠れないまま深夜を過ごしているまぬ家さんより。
そういう意味で、戯れに神仏に関わるべきではないのかもしれません。そんな戒めを教えてくれる地、それが長崎なのだと改めて痛感しています。
あまりにも多くの血が流れ流された、ここ長崎の地に、まるで追い討ちをかけるかの如く、原爆が落とされました。だから、同時に連想せざるを得なかったのは、戊辰戦争で犠牲になり、あげく原発で破壊された福島であり、また、戦争の痛手から回復していないにも関わらず、未だに大和(本土)の尻拭いを押し付けられている沖縄でもあります。
遠藤周作記念館の近くにある、沈黙の碑には、次のような一節が刻まれています。<人間がこんなに哀しいのに主よ、海があまりに碧いのです。>
この嘆きは、地球レベル、宇宙レベルなのではあるまいか。遠藤周作のキリスト教観が、例えば浄土真宗の教えと似通っているのは、偶然ではないのかもしれませんね。
以上、明日はどこに行こうか迷い、眠れないまま深夜を過ごしているまぬ家さんより。