中山道加納宿場にある加納天満宮を訪ねた 、直ぐ北にはJR岐阜駅がある、
文安2年(1,445年)に斎藤利永 がこの地に築城し、その守護神として天満宮を
勘請したとの事である。
御本殿は先の戦争で焼失したが昭和24年再建された、さらにこれが老朽化に
が進み、平成13年に新しく造営され今日に至っている。
中山道から北方を望む、右の建物は脇本陣跡である
社務所は鉄筋作りである
本殿から南方 を望む
中山道加納宿場にある加納天満宮を訪ねた 、直ぐ北にはJR岐阜駅がある、
文安2年(1,445年)に斎藤利永 がこの地に築城し、その守護神として天満宮を
勘請したとの事である。
御本殿は先の戦争で焼失したが昭和24年再建された、さらにこれが老朽化に
が進み、平成13年に新しく造営され今日に至っている。
中山道から北方を望む、右の建物は脇本陣跡である
社務所は鉄筋作りである
本殿から南方 を望む
中山道研究会におりましたが、その殆どは
信州の中の中山道の研究でした。そのなかで
この加納宿の名前は聞いていましたが・・
この土地に降り立ったことはありませんので
新鮮に感じます。加納天満宮・・菅原の
道真公と縁のある・・なんとなく親しみを
感じさせられます。
に位置しています、私も岐阜県内の中山道巡りを
やっていますが、岐阜市内は区画整理などが行わ
れており街道の面影は少なくなっています、各務原
の鵜沼宿とこの加納宿の間は一番長く5里ほど有り
ます、このためほぼ中央に新加納と言う、間の宿場
が作られています、本陣も脇本陣も有った様です、
このあたりは街道の形も良く残されています。