<鼻歌で散歩>

くも膜下出血で受け死にかけました。鼻歌を歌って散歩しながら体力つけて100まで生きるつもりです。

今日は『希望』を歌いながら『海辺のカフカ』を読んだ

2005-04-29 21:41:46 | ガルマルの鼻歌で散歩
この前、東京に行った時、駅前に新しくできた丸善に行きました。新しい書店をみるとつい入ってみるのが習い性の様になっています。その時に、ロバート・パーマーのブルースの解説書と村上春樹の海辺のカフカの文庫本を買いました。

今日は、海辺のカフカを先に読みました。印象は、映画のマトリックスと同じで、メタファーが多すぎてよくわかりません。登場人物のナカタさん風にいえば、「ガルマルは頭が悪いのでムラカミハルキさんの小説の意味がわかりません」となります。でも、私は字が読めるので、ナカタさんからは怒られるかも知れません。

ところで、読んでいる最中にずっと、歌っていたのが希望という歌です。なぜかを考えていると、歌詞の中に「けれど私が大人になった時、黙ってどこかに立ち去ったあなた」というところがあります。あなたというのは、希望なのです。大人になると希望が去っていったという意味なのです。

それが、どうして、海辺のカフカと関係があるのか、今もわかりません。この小説は、ドアーズの「ジ・エンド」とそっくりです。父を殺して、母と交わる。オイデプスのことですよね。

そうすることで、主人公の田村カフカは自由になる予定でした。でも、自由にはなれなかった。いや、自由なんてないのかも知れない。今西錦司がなるべくしてなるというんですが、そんなものかもしれません。

子供のころは、不自由なことが多くて自由になりたいと思います。でも、大人になっても自由というものがないということに気付く。そうすると、希望が去っていく気がするんでしょうね。ただ、希望というものが最初からあったのだろうかとなると疑問です。自由とか、希望とか、あると思って大人になるのに、いざなってみると、そんなものがないことに気付く。自分の定めに粛々としたがって生きていくだけだということになるのかも知れません。そんなことを無意識のうちに思いながら、海辺のカフカを読みながら希望を歌っていたのかも知れません。

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