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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

141冊目:「モウリーニョの流儀」

2015-08-23 18:55:14 | 
総評:★★★☆☆ モウリーニョの人間性を垣間見ることができた。
面白い度:★★★☆☆ 当時のインテルがよく分かった。
読みやすい度:★★★☆☆ 普通。
ためになる度:★★★☆☆ ためになるかというと普通。
また読みたい度:★★☆☆☆ あまりいいかな。


あのサッカー界の生ける伝説、ジョゼ・モウリーニョのことについて書かれた本。
日本人記者によって書かれている。2009年発行。
ちなみにモウリーニョのレアル就任前のインテル監督時代に書かれた本である。

自分はサッカーの監督っていうのが好きで、本当に監督の手腕や、普段の練習、規律、フォーメーション、人となりだったりにとても興味がある。
前回はオシムだったので、今回はヨーロッパサッカーで異なる4つのリーグでのリーグ優勝と、2つのチームでのチャンピオンズリーグ優勝と、本当に伝説を打ち立てている今も現役の監督、モウリーニョについて色々知りたかったので読んでみることにした。

モウリーニョはかなり独特な監督というか、人間である。
自分の哲学がしっかりしていて、完璧主義、周りに敵を作るのも全く辞さない。
物議をかもす発言は今までに何回もあり、それでマスコミと色々対決することも何度もある。

そんな「クセ」が非常に強い人がここまで伝説的な偉業を打ち立てて来れたのは何故か?
自分はそれが非常に気になるのである。


オシムはとても論理的に、理性的に話し、時にはウィットに富んだ発言でマスコミを煙に巻く。
マスコミへの対応はモウリーニョと対極で、敵を作らない。
元マンUの監督、アレックス・ファーガソンは包み込むような人間性でチームの選手を成長させ、鼓舞し、時には怒り、選手達の父親のような存在である。

今も現役のアーセナルの監督、アーセン・ベンゲルは選手の育成を念頭に置き、長い時間をかけて熟成されたチームを作る。それはファーガソンとも似ている所でもある。
今はドルトムントの監督を退任してしまったユルゲン・クロップも選手達とマスコミの盾となり、自分のチームの選手達を子供達といった感じで扱い、選手からの信頼は抜群で、一緒に成長していくといった感じでチームを長い時間をかけて育てていった。

その他、最近の活躍がめざましいアトレティコ・マドリードのシメオネ監督とか、現在のサッカー界のトレンドの第一線であるバイエルン・ミュンヘンのグアルディオラ監督とか、色々な監督達を調べたりしている中で、本当にひときわ異彩を放っているのがこのモウリーニョ監督なのである。


なぜモウリーニョ監督は就任後の短い期間の中で類まれな結果を残すことができるのか?その原因は何なのか?
そういったことを知りたくてこの本を取ったのであった。


そんなんで本を読んだ所分かったのは、モウリーニョ監督は非常に頭が良い。というか頭の良さもあるし、頭の回転も非常に良い人なんだなということが分かった。
それだけに留まらず、規律を非常に重視し、システムというのを非常に大事にするという監督なんだなあということが分かった。

似ている例で言うと三国志の諸葛孔明である。「泣いて馬謖を斬る」のような故事にもあるが、規律やシステムのためには類まれなる才能を持ってはいるが例外的な行動を取った選手は容赦なく切り捨てる。「それがチームのためなのだ」という第一優先は常に譲らない。ある程度の温情はあるが、それを繰り返した時には冷酷的な采配も辞さない、究極的な所ではある一線を越えた所では人間らしさを排除するというそういう一面があるんだなあと思った。

最近で言うと進撃の巨人のエルヴィン隊長みたいな人でしょうか?
「何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人はきっと、大事なものを捨てることができる人だ」というそんな人間性を持った人のような気がします。
何かを成し遂げるには、何かの代償が必要である。自分はこのことがちょっと引っかかってはいて、自分は、何か大きな物事を達成するには、何かしら大きな犠牲が必要なのであれば、自分は大きな物事は達成しなくていいから人間らしく生きたい。とそういう風に思ったりします。

そういうことを考えると、自分は何も残せないんじゃないか?と思ったりするのだが、何かしら大きいものを残すのが人生ではないとそんなことも考えるようになって、前は結構ギラギラしていたところもあったが、そういったところは最近丸くなったような気がします。。。
とりあえず、自分はモウリーニョのようになるのは難しいなあと思いました。自分は・・・ファーガソンやクロップみたいになりたいかなあと思うが、いかんせん努力がないです(笑)


ちょっと話しが逸れたが、このチームのためには選手を切るというのは、当時のインテルのアドリアーノだったりバロテッリのことだったりします。確かに、一部の例外のために規律を捨てるのもどうかと思うし、とりわけ、モウリーニョは、結果のためには非情な決断もできる人なんだなあと思いました。


モウリーニョの頭の良さのエピソードについては、インテルの就任会見の時に、イタリア語を完璧にして臨んだというエピソードである。
面白かったのが、通訳をしていたモウリーニョは、数ヶ国語の言葉を話せるのだが、イタリア後はそこまで堪能ではなかったらしいのだが、若干閉鎖的なセリエAの監督に就任するにあたっては、そういった言葉がまずは重要だと考え、数週間でイタリア語をマスターし、イタリア語のジョークとが、イタリアのニュアンスが分からないと言えないような言葉なども使い、就任会見でマスコミを驚かせたという逸話がある。
それは本当にモウリーニョの頭の良さでもあるし、モウリーニョが努力家であることの証である。


あとフォーメーションで言うと、モウリーニョは、4-3-3のフォーメションで、フィールドをワイドに使う戦術を多用するということが分かった。
3トップというのは結構攻撃的な布陣で、カテナチオを代表とする守備的なフォーメーションを重視するイタリアのサッカーでは前例のないシステムであった。
それはインテル就任前のチェルシーからの戦術であり、このシステムで今までのプレミアリーグとかも制覇してきていたため、この戦術を変えずにインテルに適用しようとしていたらしい。

しかし、国も変われば有効なフォーメーションも変わる。
守備がうまいイタリアでは、中央の1トップが抑えられ、うまく機能しなくなり、そのポジションを任されていたイブラヒモビッチが全然得点が入らなくなってしまったらしい。
数試合を終えて、今までのやり方ではイタリアのサッカーにうまくフィットしないことをを学んだモウリーニョは、中央のフォワードを増やす、4-3-1-2のフォーメーションに移行することを早いうちに決断したらしい。

そういった決断が功を奏し、いい感じにイブラヒモビッチが機能するようになり、インテルの初年度にいきなり優勝し、さらにイブラヒモビッチを得点王にするという結果を残すことができたのだった。
今までのやり方を変え、新しいものを取り入れる、そういった柔軟な考えを持ち、適用することができるのもモウリーニョの凄さなんだなあと思った。


そんなんで、モウリーニョの人間性としては、規律やシステムを第一に考える完璧主義な人なんだなあということがわかりました。
色々うっかりしていたりする自分には完璧主義は難しいなあと思い、モウリーニョになるには厳しいなあと思いました。でも規律やシステムを作ってしっかり回すということは、自分も意識しようと思いました。

一応本を読んだ感想としてはこんな感じでしょうか?
最後にタメになった箇所について抜粋します。

・問題は、バロテッリがその天性のタレントにあぐらをかき、その力をさらに伸ばし自らの可能性を100%引き出そうという努力を厭うことだった。これは、天才肌で自信家のプレーヤーが往々にして陥りがちな陥穽(かんせい)である。本当に傑出した才能を持った選手は、練習で手を抜いてもなお、試合のピッチに立てば並の選手よりもずっと質の高いプレーを見せることができる。しかし、それだけで満足している限り、真のワールドクラス、世界的なトッププレイヤーへの道は開けてこない。世界のトップレベルに辿りつけるのは、天性の才能に加えて努力する才能も備えた選手でだけだ。

・イタリアの監督は、きわめて脆弱な足場の上で仕事をすることを強いられている。上からは会長をはじめとするクラブ首脳陣の我儘や介入に悩まされ、下からは選手たちの不満や抵抗に足を引っ張られる。右からはマスコミが批判の矢を放ち、左からはサポーターによる脅迫まがいの抵抗にさらされる。どの監督も、これらの圧力を甘んじて受けながら、彼らの顔色をうかがい、妥協し折り合いをつけつつ、毎日の仕事に取り組んでいるのが実情だ。~(中略)~
 しかしモウリーニョは、これらすべての圧力を毅然とした態度で正面から受け止め、それに屈したり妥協したりするどころか、時には喧嘩さえも辞さないほどの激しさではね返し、自らが主導権を握ってコントロールしてみせた。それができるのはもちろん、確固たる原理原則と具体的なメソッド、すなわち自らの流儀を確立しているからだ。

・サン・シーロにやってくるチームは、勝つためではなく負けないために戦う。それをねじ伏せるのは決して簡単なことではない。イングランドでは、弱小クラブであってもアウェイで負けることを恐れず、自分たちのサッカーをしようとする。5-1とか4-2という試合が多いのはそのせいだ。実際チェルシーではそういうことがしばしばあった。しかしイタリアではほとんど起こらない。また、試合が動かない時には、チームに戦術的な修正を加えて相手の弱点を突けば、そこを崩すことができた。しかしイタリアでは、相手もすぐに修正してくる。~(中略)~
 イタリアサッカーは、私にサッカー観を変えることを強いた。ポルトでは、3年間で2つのシステムしか使わなかった。チェルシーでも同じだ。しかしインテルでは、1年間に6つもシステムを使わなければならなかった。

そんなんで、今回も結構長くなりましたが、以上⭐︎
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