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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

24日目:フエ2日目。-日本人旅行者とランチを食べる、ベトナム戦争について-

2014-06-15 23:59:43 | 旅行
○午前、ランチに行き、最強のアイテムをゲットする

昨日はスペイン対オランダ戦を何とか観ようとして頑張っていた。
あまりサーバの調子がよろしくないらしく、前半戦までかろうじて観たが、ハーフタイム中に力尽きて寝てしまった。。。

んで翌日に10時くらいに起きた。
近くの店でシジミご飯と、かに入りのうどんを食べた。どちらも美味しかった。
ちなみにシジミご飯は10000ドンで50円しかしなかったのに美味しかった、ちなみにかにうどんは30000ドンで150円だった。


フエ名物のシジミご飯。おいしかった


フエ名物のかに入りうどん。おいしかった


その後、ホテルに戻ってチェックアウトの支度をする。
チェックアウトをしている途中でこれからチェックインする日本人の人に会った。
軽く意気投合し、一緒にお昼ご飯を食べにいく事になった。

彼はノグチさんというのだが、旅行は3ヶ月目くらいで、1年くらい旅行する計画との事。
お昼は一緒に近くにある『リエンホア」っていうベトナムの精進料理を食べに行った。
そしたらかなり安いのにとても美味しかった。精進料理というだけあって、肉とかは全然使っておらず、大豆や野菜といったものを使っており、とても身体にいいランチを食べることができた。


リエンホアの精進料理


そして何と!ノグチさんがこれから訪れる国の「地球の歩き方」を電子データで持っていたので、それを頂ける事になった!
彼も知り合いからもらったらしく、ほぼ全ての国の地球の歩き方を持っていた!機会を見つけて旅先で色んな人に配っているとの事。
これから行くネパール、インドの情報はどうしようと思っていた矢先にこの最高の贈り物!
ロープレでいうなんか最強の装備品を裏技でゲットしたような感覚でした。

そう考えると、この旅行はなんかロープレに似ている気がする。
日本人旅行者と会って情報を集めてそこに行く。とか、サンダルとか服とかを買って装備を整える。とか、旅行の失敗を糧に経験値を貯め、レベルアップして危険を回避する術を身につける。とか
ちなみにまだ全滅にはなっていませんが、ヒットポイントが少なくウィンドウが黄色になった時はありました(笑)
とりあえずこの地球の歩き方が入ったMacBook Airはマジで無くせないな!と思いました。


○午後、ほぼバスに乗っていた

午後に宿に帰って来た後は、野口さんと別れ、自分は14時くらいに近くにあったホー・チ・ミン博物館に行ってきた。
フエはホー・チ・ミンさんが通っていた母校もあり、そのホーさんが来ていた服とか、使っていたものとか、もらった勲章とかが色々展示してあった。しかしそこまで面白かったかというと、そうではなかった。


ホーおじさんの像


んで15時くらいに出て来て、カフェ・パリスという喫茶店で一休みした後、宿に帰ってハノイに行く支度をした。
ハノイに行くバスは16時20分に出ると聞いていたので、16時に宿を出発し、時間通りに集合場所に着いた。
んで16時20分を過ぎても全然バスが来なかった。自分はそこでTV放映されていたスペイン対オランダ戦を観ていた。

んで結構待ってもバスが来る気配が無かった。いつ来るんですか?と聞いても恐らく邪険な答えしか返ってこなそうだったので聞かなかった。
んで1時間くらい待って、ちょっとお腹が空いてきたので近くのレストランでテイクアウェイのサンドイッチ辺りを注文した直後にそのバスが来た。
んでバスの人たちに急かされ、レストランの人には申し訳なかったが、サンドイッチを作っている途中に切り上げてバスに乗り込んだ。
ちょっとレストランの人には本当に申し訳なかったが、17時半くらいにバスに乗り込んだ。

んで17時半に出発。20時半に休憩をした後は、その後ノンストップで翌日の8時にハノイに着いた。
今までで一番長かった夜行バスだった。ここまで長いと結構何していいか迷ったが、日が暮れた後、ライトが消され、wifiも使えず何もできなかったので外の景色を見ながら考え事をしていた。
ちなみに今までの夜行バスで一度もバス内でもよおしたりとか緊急事態にならず、無事に移動ができたので、そこは結構ついていたなと思った。
ちなみにハノイに着いて日本代表戦をどうしても観たかったので早く宿に着けるか?って所が結構気がかりだった。

と、ここまで書くと明日の日記になってしまうので、今日はここまでとする。


最後に、iPhone事件で書く事ができず、今まで書こう書こうと思っていたベトナム戦争の内容について書く。


○ベトナム戦争について

ベトナム戦争は簡単に言うと、北ベトナム、南ベトナムで分かれていた国が、北ベトナムのホー・チ・ミンさんの主導によって南ベトナムを解放しようというスローガンの下、北ベトナムが南ベトナムを併合し、ベトナムを統一したという戦争である。
ちなみに北ベトナムは社会主義の国で、後ろにはソ連、中国がついていた。そして南ベトナムは資本主義の国で、後ろにはフランス、アメリカがついていた。
それぞれ北ベトナムはベトナム民主共和国、南ベトナムはベトナム共和国という正式名称があった。
ちなみに統一された現在のベトナムの正式名称はベトナム社会主義共和国というらしい。

南北統一を果たしたホーチミンさんはベトナムの英雄と見なされ、ベトナムの国中どこでも写真が掲げられていたり、お札の顔になっていたり、各地に博物館があったりと、ベトナムに来て本当に毎日目にします。
ちなみに首都は元北ベトナムのハノイ。しかし一番経済が発展している都市は元南ベトナムのホーチミンと、ちょっと不思議な状況になっています。

そしてホーチミンは南北統一を果たしたホー・チ・ミンさんの偉業を讃えるためにこの名前が付けられ、前の都市の名前はサイゴンという名前であった。
恐らくベトナムの人にとってはホーチミンという名前よりサイゴンという名前の方が身近なのではと思います。
サイゴンという名前はビールの名前だったりホテルの名前だったり色んな所に使われており、自分もどっちかというとサイゴンっていう名前の方がかっこいいなと思っています。


ベトナム戦争は最初、南ベトナムを仕切っていたフランスが、北ベトナムと「ディエンビエンフーの戦い」という戦争で負け、これをきっかけにこのまま南ベトナムが劣勢になっていくのを良しとしないアメリカが北ベトナムとの争いに軍事介入をする。
その後、アメリカはダイオキシンが混入した枯葉剤を空中散布し、ベトナムが汚染され、ベトちゃんドクちゃんなどの奇形児が産まれるようになってきてしまいます。

それでも北ベトナムはアメリカに対して抵抗を続け、アメリカは当時の世論等で国内外から非難を浴び劣勢に立たされ、結局アメリカはベトナムから撤退をする。
そこから北ベトナムはさらに優勢になりサイゴンに突入、制圧し、南北統一を果たすという、大まかに言うとこんな感じの戦争でした。
自分は今までこのベトナム戦争というのは名前は知っていたが、ここまでの流れで南北統一を果たしたという事は知りませんでした。

自分が産まれる前には既に終わっていた戦争ですが、映画でもかなり多くの作品が作られているので、日本に帰ったら観てみたいと思っています。


○ベトナム戦争の背景について

ベトナム戦争が起こった背景には、ソ連とアメリカの冷戦というのが密接に関わっており、ベトナム戦争は言わばソ連側が北側、アメリカが南側を支援し、それをベトナム人が北と南でドンパチやっていたという代理戦争だったということ。
アメリカは直接軍事力を公使したが、ソ連側は軍事物資の援助という形で直接は関わらなかったということです。それもアメリカは北ベトナムにちょっかいを出すと、ソ連が直接戦争に関わってくるかも知れないので、そこは結構シビアに気を使っていたらしいです。
なので結局ソ連とアメリカの直接的な接触は無かったが、ベトナム人がそれぞれの大義名分を掲げ争っていたという、何とも複雑な戦争なんだなあと思いました。

なお、アメリカ介入の背景としては、隣国のカンボジアが社会主義国家を設立すると決めた所で、これが契機になって周りの色々な国も社会主義国家となるのを恐れてアメリカが戦争に介入したという経緯があり、カンボジアも巻き込まれている、というか、戦争に少なくとも介入はしていたらしい。
ちょっと社会主義国家と資本主義国家の違いは厳密には分からないが、そんな二つの主義の対立がそもそものきっかけなのでした。


○ベトコンについて

ベトナム戦争で大きな役割を果たしたのがベトコン。正式名称は南ベトナム解放戦線という軍事組織で、アメリカ側が南ベトナム解放戦線を言う時にベトコンと呼んでいたらしい。
当初、自分はこれは軍隊だと思っていたのだが、どちらかというと民兵の色が強い事が分かった。
ベトコンが使っていたのはゲリラ戦法という戦い方で、布陣をしたりといった正式な戦闘を介さず、ジャングルなどの地形を利用して罠を作ったり、局地的に地形を利用して相手を追いつめ、またそこで少数での戦闘を行ったりして相手の戦力を削ったりする戦法でした。

南ベトナム解放戦線というのは、農民の中にそういった組織の一員がいて、農民にまぎれて軍事作戦を行ったりするので、アメリカ兵は農民には手を出せないため、誰が戦闘員か分からない中で疑心暗鬼になりながら戦闘を行っていたもよう。
ちなみに農民の姿をして(本当に農民だったかもしれないが)地雷を設置するとか、罠を仕掛けるといったことを南ベトナム解放戦線は行っていたのだ。
なので、アメリカ軍が農民らしき人に対して南ベトナム解放戦線の一員じゃないかという尋問を行っていたりという写真が残っています。

驚きだったのは、女性も南ベトナム解放戦線として戦闘に参加していたということ。農民の女性が銃を持って発砲したりとかが普通にあり得る事だったらしい。そこはかなりの驚きだった。
なので南ベトナム解放戦線は男性でなく女性も一緒に、そして村という共同体で一緒に軍事活動を行っていたので、地の利もあったし、人の利もあったのだ。

今ではこういった活動はテロリストといった扱いを受けて村ごと一掃されるという危険も孕んでいるいるが、当時はそういった軍事活動が認められていたらしい。
なのでアメリカ軍は周りは誰が敵なのか分からないし、どこに罠が仕掛けられているが分からないという、かなり精神的に追いつめられていたんだなあと思い、劣勢になるのもうなずけます。
というかゲリラ戦って結構えげつない戦法だなあと思ったりもしました。


○南ベトナムについて

ここで一つ気になるのが、無くなってしまった南ベトナムに住んでいたベトナム人はどうなってしまったのか?ということ。
南ベトナムも正式な国家ではあったので、南ベトナムでしっかり生計を立てて生活していた人もいるだろうと思う。
そこら辺についてはあまり調べられてはいないのだが、仮に南ベトナムでお金持ちで何不自由無く生活していたベトナム人は、北ベトナムが侵攻してくるという情報には本当にやめてくれという気持ちだっただろう。

南ベトナムの貧しい農民とかの人は、北ベトナムが今の状況を変えてくれるという希望の光だったと思うが、裕福層の人は北ベトナムを本当に憎んでいたんじゃないかと思う。
そういった人は併合された今、どんな人生を辿って、どんな生活をしているんだろうと気になります。ちなみに国外逃亡をした人も少なからずいるらしい。

国家が無くなるということ、いまは勝利した北ベトナム側の意見や、北ベトナム側の考え方がベトナムの大半を占めていると思うが、南ベトナム側だった人の意見、今の生活などといった情報は表には出てこないと思う。
そういった日本と同じ?敗戦国側のその後の状況なども知りたいと思いました。



まあそんな色々知れた事もあり、疑問に思う事もありますが、何より明かなのは、ベトナムはアメリカに唯一戦争で勝った国だということ。
この事実はかなり凄い事だなあと思います。
こういったベトナムを取り戻す!といった団結力が今のベトナムを作る母体となった訳で、こういった一致団結の力や逆境に耐え抜く力がベトナム人にはあるんだなあと思い、日本に似た所があるんだなあと思いました。そして、日本も今の状況に危機感を持たなければ、今のベトナムの成長に追い抜かれるのではないんじゃないかとかなり心配に思ったりもするのでした。

そんなんであまりまとまってない文になってしまったが、今回の日記は以上☆
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