透明な気圏の中から

日々の生活の中で感じたこと、好きな作家についての思いなどを書いてみたいと思います。

『クリスマスってなあに?』

2020-12-25 17:55:16 | 

曇り時々晴れ。最低気温−7.2℃、最高気温−0.3℃。

 マックス・ボリガー文 

 ジョヴァンニ・マンナ絵 

 らんぱると・あつこ訳 


 この絵本は「あるところに、遠い国から来た女の子がいました。」で始まります。女の子はちぢれた髪の毛で、こげ茶色の肌をしていました。アッシアという名前であることが絵本の中ほどで明かされます。彼女の国ではクリスマスとは違ったお祭りがありました。

 アッシアは戦争が起きている国から逃れてきたのです。その国では食べ物が足りないだけではなく、多くの人たちがひどくいじめられて苦しんでいました。クリスマスが何かを知らないアッシアは難民の子なのでした。

 クリスマスとは何か?

 アッシアの先生は古い聖書のお話を子どもたちに聞かせるのが自分のクリスマスと言います。そして、「へいわを、わたしたちにはこんで来てくださるイエスさまが、お生まれになった時のお話。クリスマスのお話よ。それはね・・・」と続けていくのです。

  では、アッシアにとってのクリスマスとは何だったのでしょうか。絵本は彼女の次のことばで締めくくられていました。「わかったわ!クリスマスがなにか。クリスマスって、みんなにとって、よろこびの時!」

 さて、私にとってのクリスマスは・・・・、優しい気持ちを取り戻せる特別な日かと・・・・・。ゆえに今日一日は、雪にも寒さにも負けず、欲を捨て、決して怒らず、静かに笑って過ごし終えるのです。

優しい表情の夕空

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『ワルトラワラ』44号が届く

2019-03-31 11:06:32 | 

晴れ。最低気温-2.2℃、最高気温0.5℃。

数日前に賢治の同人誌『ワルトラワラ』44号が届きました。

編集・発行責任者は松田司郎氏。

加倉井厚夫氏の「賢治星景写真の旅(4)」と松田司郎氏の「私の中の『鹿踊り』」を興味深く読み終えたところです。

前者は苫小牧が舞台の賢治作品を紐解いたもので、発表当日伺ったという経緯から。後者は賢治の自然観を探っていた時に手にした作品の一つだったことからです。

松田司郎氏プロフィール(同誌より)

イーハトーブ撮影行も35年。賢治を解く鍵としてゴッホとユングを研究中。『宮沢賢治の深層世界』(洋々社)『宮沢賢治・イーハトーヴへの切符』(光村推古書院)など。第12階宮沢賢治賞受賞、シリトンの会主宰。大阪国際大学名誉教授。大阪府富田林市在住。

松田氏が企画・監修・写真を提供され、講演も予定されているイベントのチラシです。 

 

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『日の名残り』を読む

2018-06-30 21:21:33 | 

曇りのち晴れ。最低気温18.6℃、最高気温27.3℃。

いよいよ六月も今日でおしまいです。

カズオ・イシグロ著の『日の名残り』を朝から晩までかかって、読み終えたところです。

イギリスの古き良き時代を謹厳な老執事が回想する形で綴られていました。

女中頭との淡い恋模様やイギリスの田園風景などが時代背景と共に織り込まれ、いぶし銀のように深い味わいが感じられる作品でした。

余韻に浸っていた時、空が淡い桃色に染まっているのを見つけ、近くの公園まで歩いてきました。

まるで日の名残りのような六月最後の夕暮れの空。

眼にも心にもしっかり映し取ろうと思いました。

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森と『森の絵本』

2018-06-14 15:50:34 | 

 曇りのち晴れ。最低気温7.0℃、最高気温13.5℃。

 午前中、野幌森林公園を歩いてきました。最高気温は13.5℃。冷涼な風がけっこう強く吹いていて、心が洗われるような気はしたのですが・・・・・。

雨が降る度に緑が深まり、今はしっかりした葉がで出そろい、どこも美しい緑いろです。

先日読んだ、『森の絵本』を思い出しました。

 

 

『森の絵本』(長田弘作・荒井良二絵 1999年8月10日第1刷 講談社)

文は詩そのもので、絵は緑を基調としたグラデーションが印象的です。

ページを繰るたびに広がる森の生き生きとした姿。それは野幌森林公園で出会った様々な光景とも重なり、とても魅力的でした。

美しい言葉で物語られている作中から終わりの部分の数行を、引かせていただきます。(すべての漢字にルビがふられていたのですが、勝手ながら一部のみにしました。

 

森が息(いき)しているのは ゆたかな沈黙 です。

 

森が生きているのは ゆたかな時間 です。

 

朝がきて 正午(ひる)がきて  午後(ごご)がきて

夕べがきて そして 夜がきて

ものみな 眠り ふたたび 朝がきて

 

夏がきて 秋がきて 冬がきて 春がきて

そして 百年が すぎて

きょうも しずかな 森のなか。

 

どこかで よぶ声が します。

—だいじなものは 何ですか?

—たいせつなものは 何ですか?

 

森がいつまでも豊かな沈黙と豊かな時間を持ち続けられることを願ってしまいます。

大事なもの、大切なものを見失って、大きな歯車に押し潰されてしまいそうな気がする今はなおさらかもしれません。

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『九十歳。何がめでたい』

2018-01-16 19:49:37 | 

晴れ。最低気温-4.1℃、最高気温1.1℃。

『九十歳。何がめでたい』 

佐藤愛子著  小学館

2016年8月6日 初版第一刷発行 2016年9月19日 第4刷発行

昨春に予約していたこの本を図書館から借りてきて、二日で読み終えました。読んでいる最中は痛快、読後は爽快な気分となりました。

目次を見ただけで、笑いがこみあげてきましたが、読み始めて幾度となく吹き出しそうになりました。愛子さんの怒りはごもっとも、対処の仕方に感服です。

そう感じられたのは、明瞭な文の運びにあり、作者の正直で豪快な?人柄によるものだと思います。

「人間は『のんびりしょう』なんて考えてはダメだということが、九十歳を過ぎてよくわかりました。」とも。

それは真実なのだろうとしみじみ思えたのでした。

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「しかけ絵本の世界展」へ

2017-12-23 22:06:24 | 

雨の曇り。最低気温-4.3℃、最高気温3.8℃。

 

 

朝方、傘が要らないくらいの小雨が降っていました。その雨もじきにやみ、日中は最高気温が3.8まで上がりました。

午後から札幌へ出かけ、駅からすぐの紀伊国屋書店札幌本店2階ギャラリーへ。今日から1月10日までの予定で開催されている、「’2017-18冬 しかけ絵本の世界展」を見てきました。

約180年前の仕掛け絵本「のぞきからくり絵本」の復刻版があり、膝を折ってピンホールに片目をあててみました。

のぞき見ると、庭や戴冠式のような光景がずーっと向こうまで広がっています。

思わず、「えーっ」と声がでそうになるくらいで、この瞬間のワクワク感はたまらないものがありました。

「のぞく」というのは、見えない部分の想像力を掻き立て、見える部分をより強く心に焼き付ける効果があるように思います。そうして得たものが美しいものならなおさらでしょう。

展示場には手の込んだしかけ絵本が数々並んでいましたが、やはり、「のぞきからくり絵本」から見た光景が一番印象に残りました。

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『砂漠でみつけた一冊の絵本』続き

2017-11-14 23:09:36 | 

晴れ時々曇り。最低気温6.4℃、最高気温15.8℃。

今日は『砂漠でみつけた一冊の絵本』のプロローグから一部を引用しつつ、続きを書いてみたいと思います。

60歳を迎えた年に「フランダースの犬」を読み返した時、今までとは全く違った意味が迫ってきたと感じた柳田氏はこういうことを綴っています。

 

〈誰の人生にも春夏秋冬が〉

思いどおりにならない人生、辛いことの多い人生、数々の悔いの残る人生、そんな中にあっても、振り返ってみれば、やさしいおじいさんとの日々はあったし、心の通い合った愛犬パトラッシェとのたのしい想い出もたくさんあった、そして、死ぬ前にせめて一度だけでも見たいと思っていたルーベンスの大作を、一瞬射しこんできた月の光によって見ることができた。

「ああ、神さま、これで、じゅうぶんでございます」というネルロの言葉は、まさに自らの人生とその終結への納得を意味しているに違いない。

それゆえにこそ、「よろこびのなみだ」が頬をつたったのだ。

 

今までとは全く違った読み方に至った背景には、その三年前に、氏のご子息・洋二郎さんが二十五歳の若さで自ら命を絶ったということがありました。

追悼記『犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の日々』(文芸春秋)を司馬遼太郎氏に送ったところ、悔やみ状が柳田氏のもとに届けられました。

その中に吉田松陰が死の直前にしたためたという「留魂録」の「人は、たとえ六十、七十であろうと、二十五、六であろうと、春夏秋冬というのがあるのだ。悔ゆることはない」という一節があり、「この言葉ほど、息子を喪った後の私の胸の奥に深く落ちてきたものはなかった。」と書いています。

二十歳代で斃(たお)れた吉田松陰の言葉からご子息にも「春夏秋冬」があったことを思い起こしたのです。

洋二郎さんが心を病んだ最後の五年半に書き残した短編文集や日記には、この世に生きた意味が物語れるだけの文脈があり、悔いのない人生を生き切ったと思える要素があったからでしょう。

 

とはいえ、

ご子息の死後、しばらくの間、心が乾ききった砂漠のようになり、呆然とした日々を送っていた柳田氏。そのようなときに児童書コーナーで絵本に目が留まり、手に取って読むことになります。

そこで、すぐれた絵本や物語は実に深い語りかけをしていること、具体的には「人間のやさしさ、すばらしさ、残酷さ、よろこびと悲しみ、生と死などついて実に平易に、しかも密度濃く表現している」ことに気づいていくのです。

とりわけ、氏の心を直撃したのが、「よだかの星」だったとありました。

よだかが孤独の河をさまよう物語は、カフカの世界に通じると感じたと綴られています。

そして、

「人は人生において三度、絵本や物語を読み返すべきではないか」という思いに至るのです。

三度とは、自分が幼い時、親になって子どもを育てる時、そして、人生後半になってからか厳しい病気を背負うようになった時。

死の受容に欠かすことのできない「自らの人生への納得」という問題について、自分の生き方にまで結びつけて読み取るということは、人生後半になってからか厳しい病気を背負うようになった時こそではないかと自身の体験と結び付けて結論を導き出していました。

    🍁     🍁      🍁

ネットで調べると、吉田松陰が処刑直前に江戸・小伝馬町牢屋敷の中で書き上げた「留魂録」は全十六節からなるもので、ここで取り上げられているのは第八節の一部と思われます。

 

ネットから現代語訳を引用します。

 

人の寿命には定まりがない。農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。
人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。
十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。
(参考文献:古川薫著「吉田松陰 留魂録」)

 

これを二十代で著したとは、吉田松陰という人は類まれな人材だったのだと改めて思いました。

また、優れた絵本は「人間のやさしさ、すばらしさ、残酷さ、よろこびと悲しみ、生と死などついて実に平易に、しかも密度濃く表現している」との分析になるほどと思いました。語りかけてくるような絵と言葉に心をゆだねるひとときをこれからも持ち続けたいものだと思っています。

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『砂漠でみつけた一冊の絵本』

2017-11-13 22:49:02 | 

晴れ時々雨。最低気温-0.3℃、最高気温9.2℃。

柳田邦男著 岩波書店 2004年10月6日第一刷発行

『砂漠でみつけた一冊の本』を再読しました。
 この本はプロローグと四本の柱、あとがきから構成されています。その三本目の柱となる「おとなこそ絵本を座右に」の中で賢治の「よだかの星」が次のように取り上げられていたので引用したいと思います。

「人間疎外を寓話的に描く」
 人間疎外は二十世紀文学の最大のテーマと言ってもよい。フランツ・カフカが『変身』を書いたのは、一九一六年。宮沢賢治が『よだかの星』を書いたのは、一九二一年(大正十年)頃だ。
 カフカは人間疎外の過酷さについて、主人公がある朝目覚めると毒虫に変わっていて家族から文字どおり疎外されるという、奇譚風の小説という表現法を採ったのに対し、宮沢賢治は童話という表現法を採った。童話という表現は、動物の主人公を立てることによって、テーマをのびやかに表現できると言えようか。カフカが主人公を毒虫に変身させたのも、むしろ奇抜であるがゆえにかえって、目にみえない人間の心の闇を具象化して表現することができたからだろう。
 二十世紀の人間が直面した深刻な問題に気づいた東西二人の先駆的な作家が、それぞれに気づいたテーマを寓話的な表現法に頼ったというのは、興味深い。     ―中略―

 よだかは天にも地にも生きるところがないばかりか、自分をあたたかく支えてくれる誰かとか、甘えて身をすり寄せることのできる誰かとの出会いがない。わずかに弟分のカワセミが慕ってくれるのだが、この世から自分を消そうという決心を変えるほどの力にはならない。ただひとり、力の限りをつくして星空の彼方まで高く高く飛びつづけて、自分の体が〈燐のような青い美しい光になって、しずかにもえている〉のを、自らの眼で見てしまう。こうして星になったよだかは、〈いつまでもいつまでももえつづけました。いまでもまだもえています〉というのだ。つまり、よだかは愛ややさしさによって救われるのではなく、あくまでも疎外された存在として自らこの世での命を絶つことによって、気高く光る永遠のいのちを獲得するという結末になっている。―中略―

 賢治はよく知られるように、この世の本質は「空」であるという仏教の信仰を持っていた。仏教は己の悟りを求める。「雨ニモマケズ」に表現されているように、誰にも頼らず、誰にも迷惑をかけない存在でいたいという人生観の持ち主だった。

 

 私が注目したのは、ここで賢治とカフカの二人が比較される形で取り上げられていることです。
 「二十世紀の人間が直面した深刻な問題に気づいた東西二人の先駆的な作家が、それぞれに気づいたテーマを寓話的な表現法に頼ったというのは、興味深い。」とあるように、二人が東西の「先駆的な作家」として、「人間疎外」という問題を取り上げていること、その問題を人間ではなく他のものに置き換えて表現したことについて柳田氏は興味を引かれています。
 これらの作品を書いた年代を見ると、カフカが賢治より5年先だったということがわかります。
 賢治とカフカの接点がどこにあるのだろうかと意外な気がしたものの、国は違っても同じ時代の風潮から生まれた作品として興味深い比較にも思えました。

 「よだかの星」のよだかは「天にも地にも生きるところがな」い天涯孤独で 「自分をあたたかく支えてくれる誰かとか、甘えて身をすり寄せることのできる誰かとの出会いがない」ために「自らこの世での命を絶つ」ことで気高く生きる道を得たと捉えられています。

 自ら命を絶つ人が年間約3万人にのぼる現代にあって、「人間疎外」の風潮は消えるどころか、広くかつ深まっているように思えます。
 ですから、「人間疎外」というテーマは「二十世紀文学の最大のテーマ」だったかもしれませんが、そのまま二十一世紀の今にも引き継がれるべきものかもしれないなどと思ったのでした。

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宮沢賢治学会イーハトーブセンター会報第55号他が届く

2017-10-06 11:23:38 | 

晴れ。最低気温3.8℃、最高気温18.2℃。

    

 

昨日の夕方、「宮沢賢治学会イーハトーブセンター会報第55号●くるみ」「第28回総会議案書」『宮沢賢治研究Annual.Vol.27』が届きました。

関係者のみなさま、この度もお忙しい中、ありがとうございました。

『Annual.Vol.27』では昨年開催された、賢治生誕120年を記念するイベントの一つ、第四回宮沢賢治国際研究大会の研究発表要旨が掲載されていました。

昨年、八月末に行われた同会に参加したこともあり、その部分は特に読むのが楽しみです。

透明な風が木々を揺らすたびに、落ち葉がぱらぱら舞い落ちる季節を迎えています。今の季節が舞台の賢治さんの作品もたくさん思い浮かんできます。秋の夜長にまた、読み返したくなりました。

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彦根へ

2017-09-11 20:30:54 | 

曇り。

新千歳空港から中部国際空港に降り、彦根に向かいました。

彦根駅から彦根城迄、約1㎞。商店街を楽しみながら歩いて行きました。

さて、この先は登り坂で、お城に着いてほっとしてから、さらに、天守閣迄は軽い登山の趣でした。

せっかくの

そこからの眺めを目に焼き付け、慎重に降りて来たのでした。当時の武将達は、

よほど足腰が丈夫だったでのしょう。

大河ドラマの舞台として、注目されているようで、ポスターが大きく張りだされていました。

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『いやといったピエロ』

2017-08-29 21:44:34 | 

雨時々曇り。最低気温17.1℃、最高気温21.7。

 

 

ミーシャ・ダムジャン作

ヨゼフ・ウィルコン絵

いずみ ちほこ 訳

 

私はサーカスを楽しんで見ることができないまま大人になってしまいました。

幼い頃に読んだ本のためか、それとも、誰かに聞いたからなのか、例えば、動物たちはきっと無理に芸を覚えさせられるのだろうなどという勝手な思い込みが邪魔をしていたのです。

    🍁      🍁      🍁

この本は強いられた芸を披露するのをボイコットしたピエロや動物たちが、団長のもとを逃げ出し、自分が本来やりたかったことをするために自らサーカスを立ち上げ、夢を実現させるというストーリーです。

    🍁      🍁      🍁

サーカスの幕があがり、「はじめるんだ!」とムチを鳴らして叫ぶ団長に、「いやです」と答えるピエロのペトロニウス。いっしょに登場したロバのテオドールも長い耳をふって「いやだ」というジェスチャーをしています。

困った団長が再びムチを鳴らしてせかせると、ピエロは答えます。

いやです。ぼくはもう かなしくもないのに ないたり、おかしくもないのに わらったりしたくない。くたびれました」と。

なにがやりたいんだ」と問われて、「みんなにおはなしをしてあげたい。それが ぼくのゆめでした」と答えるピエロ。

団長がロバにも尋ねると

ぼくは ペトロニウスのおはなしを きいていたいな。もう ごうじょっぱりのふりなんかしたくない。ごうじょっぱりじゃないもの。団長、あなたがやらせたがっているだけでしょう 

業を煮やした団長がプログラムを進め、2番手にワルツを踊ることになっていたポニーのフェルデナンドが登場しますが、何もせずにじっとしています。

フェルデナンド! どうした!」と叫ぶ団長に、「もう いやなんですよ。おしえこまれた芸だけやっているのがー」とポニー。

      🍁      🍁      🍁

誰しも(動物も含めて)、誰かに無理強いさせられることは不本意で不愉快なものです。自分の本心に従って「いやだ」と言ったピエロと動物たちは、その瞬間に束縛から解き放たれて、自由を引き寄せたといえるでしょう。

 自由を手に入れ、それぞれの夢を叶えたこのサーカスは子どもたちにも大人たちにも大好評でした。 

その結果、「みんな とっても しあわせでした。でも いちばんしあわせだったのは もちろん ペトロニウスと そのなかまたちでした。」となったのです。

出場者がみんな幸せなサーカスなら見ている側も幸せになるでしょう。幸せの連鎖なら限りなく続いてほしいものですね。

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日野原重明著『道は必ずどこかに続く』

2017-08-18 22:55:04 | 

晴れ。最低気温17.3℃、最高気温24.7℃。

先日、亡くなられた日野原重明氏の著書です。

この本の中で、「ペイ・フォワード」という考え方について触れられていた箇所が印象に残りました。

日野原氏が他者に善意を伝えることの重要さに気づいたのは、かつて、ハイジャック事件の人質となって、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた経験があったからです。

2000年に公開されたアメリカ映画『ペイ・フォワード』は、氏が日ごろから考えていた思いと合致した内容で、大きな感動を持ったと綴られていました。

私はこの映画を見ていないのですが、日野原氏のわかりやすい語りによって、感動的な場面を思い浮かべることができました。

「ペイ・フォワード」という意味について、また、それを一少年が提案するに至ったエピソードについて綴られたものの一部を引用させて頂くことにします。


場面は変わって中学校の新学期。主人公のトレバー少年が教室に入ると、そこには新しく担任になった社会科のシモネット先生が待ち受けていました。先生は生徒たちを見回すと、こんなふうに話し出します。

「きみたちは世の中のことを考えたことがあるかね。きみたちはいずれ大人になり、世間に出ていくだろう。そこには新しい世界が広がっている。きみたちは自由になれるんだ」

ワーッと 歓声を上げる生徒たち。それをさえぎるように先生はつづけます。

「でも、きみたちを取り巻く世間がきみたちの考えるようなものでなかったら、どうする?世の中がきみたちにとって失望でしかなかったら、いったいどうしたらいい?」

子どもたちは誰も答えられません。

「そのときは、きみたちで世の中をチェンジすればいいんだ」

そういって先生は黒板の文字を指さします。そこにはこう書かれていました。

〈世界を変える方法を考え、それを実行してみよう〉

「これを、今後一年間のきみたちの課題にしておく」

シモネット先生は生徒たちに、そう告げました。


この課題にこたえてトレバー少年は奇想天外な方法を考えつきます。見ず知らずの三人の人たちに何かの手助けをする。そして、その三人には「ぼくにお礼をしなくてもいいから、ぼくと同じように見ず知らずの三人に善意を示してほしい」と頼む。

これがトレバー少年の「世界を変える方法」でした。

英語には「ペイ・バック(pay back=恩返し)」という単語があります。「ペイ・フォワードpay forward)」とは人から善意を受けたとき、その善意を受けた人に返すのではなく、誰かほかの人に伝える、という意味になります。つまり、payするのがback(元に)ではなく、forward(次に)ということですね。正確にいうと映画の原題は「Pay it forward」。

日本語の字幕では「次に渡せ」と訳されていましたが、今、これに当たる日本語として、「恩送り」という言葉もあるようです。

「ペイ・バック」では.なく、「ペイ・フォワード」。その繰り返しをどんどん繰り広げていけば、善意の輪は無限に広がって、やがて、それは世界を変えていくほどの巨大な力になるはずだー。トレバー少年は考えました。

 



シモネット先生が投げかけた問いは暗記したくなるほど素晴らしく、それに応えたトレバー少年のアイデアは想定を超えたものだったといえるでしょう。

日野原氏はこの章の終わりに「人間というものは本来、人のためになりたいという気持ちを内に秘めているものなのではないでしょうか。」と結んでいます。

そうかもしれないと私も思い、そう思うだけでなえそうな心が落ち着くような気がしました。


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『森の絵本』

2017-06-09 21:47:58 | 

晴れ時々雨。最低気温12.2℃、最高気温22.5℃。

 

『森の絵本』(長田弘作・荒井良二絵 1999年8月10日第1刷 講談社)

北海道立図書館の1階エントランス付近で、「山へ川へ森へ海へ」のテーマのもと、たくさんの絵本が展示されていました。

酷寒に耐え、やっと巡り来たきらめく光の季節。「自然を楽しむ季節がやってきた」との言葉に誘われて、絵本を数冊借りてきました。その中の1冊が『森の絵本』です。

文は詩そのもので、絵は緑を基調としたグラデーションが印象的です。

ページを繰るたびに広がる森の生き生きとした姿。それは野幌森林公園で出会った様々な光景とも重なり、すっかり魅せられてしまいました。

美しい言葉で物語られている作中から終わりの部分の数行を、引かせていただきました。(すべての漢字にルビがふられていたのですが、勝手ながら一部のみにしました。


森が息(いき)しているのは ゆたかな沈黙 です。

 

森が生きているのは ゆたかな時間 です。


朝がきて 正午(ひる)がきて  午後(ごご)がきて

夕べがきて そして 夜がきて

ものみな 眠り ふたたび 朝がきて


夏がきて 秋がきて 冬がきて 春がきて

そして 百年が すぎて

きょうも しずかな 森のなか。


どこかで よぶ声が します。

—だいじなものは 何ですか?

—たいせつなものは 何ですか?


森がいつまでも豊かな沈黙と豊かな時間を持ち続けられることを願ってしまいます。

大事なもの、大切なものを見失って、大きな歯車に押し潰されてしまいそうな気がする今はなおさらかもしれません。

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小檜山博氏のエッセー・「好きな言葉」

2017-04-17 20:40:28 | 

晴れ。最低気温-0.4℃、最高気温14.8℃。

JRの機内誌を楽しみにしている一人です。おおむね、最初に目を通すのは小檜山博氏の連載エッセー「人生賛歌」です。

「2017年1月1日発行」

2017年1月1日発行のJR機内誌でのタイトルは「好きな言葉」でした。

三十年ほど前の日本人が好んだ言葉は「努力」「誠実」「ありがとう」「思いやり」「愛」だったそうで、ほっとすると小檜山氏は綴っています。

年をとってからとくに嫌いだと意識しだした言葉は「傲慢」「妄想」「猜疑」「うぬぼれ」怠惰」「嫉妬」。理由は自分の中に生息し続けていて、油断するとすぐ現れるからとありました。

「出世」「名声」「おカネ」「地位」「有名」には、これらが欲しくてじたばたした経緯あるからたじろぐとか。

 八十歳まじかの今、好きな言葉に「謙虚」「自制心」「高潔」「誠実」「知性」「寛容」「上品」を挙げていました。自分の中にこの言葉と正反対の心が潜んでいるのでこの言葉にすがるのだと。

さらに「奥ゆかしさ」「つつしみ深さ」「思いやり」を加えて自分をどやしつけ、「あいつはたいしたやつではなかったけど、まあまあだったな」と思われたいと。

そして、「ぼくは見えを張って生きたい」と結んでいました。

           🍁      🍁       🍁

「努力」「誠実」「ありがとう」「思いやり」「愛」が好まれることにホッとしたという気持ちは分かる気がします。真摯な姿や他の人の気持ちを汲みとる心を良しとする人たちがいるという証をそこにみるからでしょう。

「謙虚」「自制心」「高潔」「誠実」「知性」「寛容」「上品」はどれも好ましいと感じます。

「奥ゆかしさ」「つつしみ深さ」「思いやり」も持てたならと思う言葉です。

            🍁      🍁       🍁

小檜山氏が嫌いだと意識した言葉に、「傲慢」「妄想」「猜疑」「うぬぼれ」怠惰」「嫉妬」を挙げていました。

私はそのほかに「忖度」と「丁寧に」を加えたいと思います。「忖度」は「思いやり」に、「丁寧に」は「誠実」という言葉にもつながり、好ましい言葉としても使えると思っていたのですが、今はすっかり耳障りになってしまいました。

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『中城ふみ子の歌』

2017-04-15 21:34:26 | 

時々晴れ時々雪。最低気温8.1℃、最高気温18.9℃。

暖かく穏やかな春の日となりました。野幌森林公園のエゾエンゴサクは次々と花を咲かせています。群落をなして、道端が薄紫に煙る日もそう遠くないでしょう。

木々も一雨降るごとに新芽が伸びて、新緑の時を迎えることになります。

今日の「新 北のうた暦」では中城ふみ子の歌が取り上げられていました。解説は田中綾氏。

         🍁       🍁       🍁

 

二月に生田原図書館から『中城ふみ子の歌ー華麗なるエゴイズムの花ー』を借りてきて読みました。

『中城ふみ子の歌ー華麗なるエゴイズムの花ー』

山名康郎著

短歌新聞社

平成12年8月3日発行

 

三十代後半に読んだ、渡辺淳一著の『冬の花火』では恋多き女性というイメージが強く、短く華やかに咲いて散った中城ふみ子の生きざまは冬の花火そのものだと納得したものでした。

この『中城ふみ子の歌ー華麗なるエゴイズムの花ー』では彼女の1000首を超えるともいわれる歌の中から121首を元道新記者で歌人の山名康郎氏が選出し丁寧な鑑賞を加えています。

『乳房喪失』というエキセントリックな表題の歌集が出版されるに至った事情や、病を得た後にも青年と恋に落ちるなど、等身大の彼女の生きざまを誠実に描こうと苦心されたようです。

例えば、帯広時代のことは生身の中城ふみ子を知る人の言葉を尊重し、入院してからの札幌のことは自分の目で見、直接触れたことを忠実に鑑賞の中で生かすように努められたとか。

歌人仲間であり、ふみ子が心を許せる数人の中の一人であったと思われる山名氏の鑑賞の言葉は亡き人をしのぶ挽歌のようにも思えました。

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*ふみ子は1922 年11月、帯広に生まれる。42年、19歳で札幌鉄道局に勤務する中城博氏と結婚。43年に長男孝さん、44年に次男徹さん(生後3カ月で死亡)、46年に長女雪子さん、47年に三男潔さんを出産した。51年に離婚し、孝と雪子を引き取った。「乳房喪失」が発行された約1カ月後の54年8月に31歳でその生涯を閉じた。(ウキペディア等参照)

 

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