曇り時々晴れ。最低気温-12.9℃、最高気温-4.3℃。
新しい年が明けて、今日で一か月が終わろうとしています。午前、散歩の途中でナナカマドの紅い実を見つけました。氷点下の冷気の中で青空に映えるその実がことさらに美しく、頼もしく思えました。
明日からは2月です。光の春に向かって、皆様にも、良いことがたくさんある2月となりますことを。
曇り時々晴れ。最低気温-12.9℃、最高気温-4.3℃。
新しい年が明けて、今日で一か月が終わろうとしています。午前、散歩の途中でナナカマドの紅い実を見つけました。氷点下の冷気の中で青空に映えるその実がことさらに美しく、頼もしく思えました。
明日からは2月です。光の春に向かって、皆様にも、良いことがたくさんある2月となりますことを。
曇り。最低気温-14.4℃、最高気温-7.4℃。
陽射しとともに雪が解け出し、雨だれが滴っていましたが、終日、氷点下の厳しい冷え込みが続いていました。
午後から札幌学院大学にて開催の映像文化公開講座に参加。「『海街diary』の是枝裕和監督を迎えて」と題する公開講座で、全学共通科目となっていることもあり、学生さんたちも参加していました。
講座は『海街diary』の予告編の視聴に始まり、次に是枝監督と担当教授による対談、最後に『福島からのメッセージ』(2012年制作 是枝裕和監督)を約15分視聴して終了となりました。是枝監督のお話は多岐にわたるもので、後日取り上げる機会を持ちたいと思います。
ここでは、講座の最後に視聴した『福島からのメッセージ』にふれてみます。
『福島からのメッセージ』は2012年2月に福島で撮影されたもので、映画館「フォーラム福島」支配人・阿部氏のインタビューを中心としつつ、福島の様子が映し出されていました。
日常的に放射能の数値を気にしなければならない暮らしはいつまで続くのだろう、救われる日は訪れるのだろうか、不安・不便を強いられることになったのは自然災害ではなく人為災害だったのに、などと自問しながらの視聴となりました。
来る3月11日には、東日本大震災からまる5年となります。
《対談する是枝監督》
曇り時々晴れ。最低気温-7.2℃、最高気温-3.2℃。
《2016年1月28日18:27 テレビ報道から》
網走地方気象台は28日、網走で流氷初日を観測したと発表しました。これは、平年より7日遅く、昨年より16日遅いとのこと。観測した時刻は12時20分。心待ちにしていた、流氷の訪れに網走出身の身としてはホッとしたところです。流氷本体の一部とのことですが、今年もそのうち、本体が流れ着くことでしょう。流氷はいつか必ずやってくる律義で気ままな海の旅人。ずーっとこのままの感じでいてほしいものです。
「流氷初日:視界外の海域から漂流してきた流氷が視界内の海面で初めて見られた日」と網走地方気象台公式サイトの報道発表資料にありました。
その報道発表資料には「網走の流氷初日順位表」も掲載されていました。1946年から2016年の70年間についての統計の結果、「早い方から」と「遅い方から」の第5位までの順位が以下のように発表されていました。
晴れのち雪。最低気温-11.9℃、最高気温-1.4℃。
午後から、散歩にでかけました。時折、冷たい風と雪が前から顔に吹き付けてくる吹雪模様となりましたが、森林公園内では雲間から日が射す瞬間も度々訪れました。
大沢口からエゾユズリハコースに向かうと、「昭和の森のカツラ」と呼ばれる、ひときわ立派な桂の木があります。立ちどまって見上げると、枝先まで凛としていて、この森の主のような貫録をみせていました。
大沢コースで、独特の音を響かせていたのがアカゲラでした。すぐに飛び去っていきましたが、いつも一生懸命なような・・・・・・・・・・。そういえば、鳥たちがだらだらする時って、あるのでしょうか。(watasi to tigatte・・・ 賢治さんの真似?をしてみました)
まだまだ厳しい寒さでしたが、森の皆さんは生きることにまっすぐでした。
晴れ時々曇り。最低気温-2.6℃、最高気温0.3℃。
本日付の北海道新聞夕刊に流氷の記事が掲載されていました。
紋別市が27日、紋別港にある観測点オホーツクタワーから肉眼で流氷を確認し、「流氷初日」を観測したと発表したとのことです。これは、平年(1月23日)より4日、昨年(同月15日)よりも12日それぞれ遅いとのことでした。
網走での流氷については、今のところ情報がなく、いつ来るのやらとやきもきしてしまいます。網走から遠く離れて暮らしていても、この時期になると流氷の訪れをどこかで心待ちにしてしまいます。私が「きまぐれな海の旅人」とひそかに名づけている流氷は、オホーツク海のどの辺りを漂っているのやら・・・・・・・・。
《北海道新聞2016年1月27日付夕刊より》
曇り時々晴れ。最低気温-6.9℃、最高気温3.3℃。
信じられないことなのですが、予報通り、気温がプラスに転じ、最高気温は3.3℃となりました。プラスに転じたのは1月20日以来のことで、最低気温は昨日より11℃も高く、二月下旬から三月上旬の陽気となりました。車道は雪が解けだし、ところどころに水たまりができていました。
日が射すと、青と白のコントラストが際立ち、冬ならではの凛としたたたずまいを見せていますが、どこかに春の気配を感じもしました。
《酪農学園大学所用地 14:55》
曇り時々雪。最低気温-17.9℃、最高気温-7.0℃。
今朝は札幌管区気象台によると、強い寒気と放射冷却現象により、下川町で氷点下31.8℃と最低気温を記録するなど、全道173観測地点のうち57地点で今季最低を更新したとのことです。(北海道新聞本日付夕刊)
午後から、北海道立図書館の横を通り、酪農学園大学のキャンパスを目指して歩きました。時折、ぼたん雪が降りしきる時もあり、茫洋とした景色を見ながらの一味違う散歩を楽しめました。
《酪農学園大学の所用地 13:09》
《酪農学園大学敷地内から 13:18》
《酪農学園大学敷地内から 13:22》
《酪農学園大学からの帰り道 13:49》
晴れ時々曇り。最低気温-15.6℃、最高気温-5.4℃。
よく冷えた一日でした。今日の札幌の日の入りの時刻は16時35分。野幌森林公園ふれあいコースへ向かったのは16時頃で、傾きかけた太陽がまだまだ元気な様子でした。雲に隠れながらも、放たれた光は、空と雪の大地をパステルカラーに美しく染め上げていきました。刻一刻と変わりゆく景色にみとれ、氷点下だというのも忘れてシャッターを切り続けました。
何かに気を取られていると、本当に寒さを感じるセンサー働かなくなるのかもしれません。とはいえ、精神論ほど危ういものはないのですけれど・・・・・・。
太陽が沈むのを見送ると、急に寒さが体中に襲い掛かってきました。我に返ったからかもしれませんが、春に向かって太陽の光が強さを増してきて、最後の一矢まで暖かさを投げかけていて、それを失ったからかとも思いました。
NHKラジオ第二放送で先週から「レイチェル・カーソンに学ぶ」と題して、『沈黙の春』や『センス・オブ・ワンダー』が取り上げられていますが、解説を交えてのお話に、自然からの恩恵がどれほど大きいのかに気付かされました。あれもこれもそれも・・・・・・・・・・・。今日の夕暮れのことにも感謝です。
《夕暮れ時の野幌森林公園 百年記念塔を望む 2016年1月24日16:15撮影》
曇り時々晴れ。最低気温-9.0℃、最高気温-2.0℃。
先日、札幌へ出かけた際に、東急の9階催物場で「第7回 みちのく盛岡の名品と観光展」が開かれているというので立ち寄ってきました。会場内には所狭しと名品の数々が並び、昼休みの時間帯だったこともあってか、人だかりができて賑やかでした。盛岡もまた、賢治さんゆかりの地ということで、何度か訪ねたことがあります。
展示場の奥の方に「ぴょんぴょん舎」や「そば処東家」がセットされていて、こちらも満席状態でした。どちらも当地では名高いお店です。
家人と私は「元祖じゃじゃ麺 白龍」というお店で、食べたことがなかった「じゃじゃ麺 (小)」を注文しました。注文を受けてから茹でるために若干の時間がかかるということで、15分ほど待ちました。運ばれてきたお皿には麺の中央に独特の風味豊かなお味噌が乗っていて、その周りにきゅうりの千切りが散らしてありました。お味噌の味が麺にほどよく絡み合って、さっぱりとしたなかにもコクがあり、後を引く美味しさでした。
このじゃじゃ麺の面白さは、まだまだ続きます。食べ終える前に大さじ1~2杯分を残し、テーブル上に備えてあった生卵を割りいれ、十分に混ぜ合わせたところで、お店の方に渡します。お店の方はこのお皿に、熱々の茹で汁を掛けて、再び持ってきてくれます。すると、どうでしょう?!「ちーたんたん卵スープ」に早変わりしているのです。つまり、一皿で二通りのメニューを楽しめてしまうのです。
この合理的で無駄の無いメニューにみちのくの方々の知恵と工夫が偲ばれ、すっかり感心してしまいました。食べ物は大切に無駄なく美味しく最後までしっかり味わって頂きたいものですね。
《札幌東急9階 催物場》
《東急9階 催物場》
《じゃじゃ麺 とりせつ》
《じゃじゃ麺》
《じゃじゃ麺とちーたんたん卵スープのサンプル》
《ちーたんたん卵スープ》
晴れ時々曇り時々雪。最低気温-12.3℃、最高気温-1.7℃。
晴れ間が広がり、いつしか屋根からのつららが長く伸びていました。雪が解けて滴となって落ちるはずが、落ちる切ることができずに凍りついてしまうのです。落ちるに落ち切れずにだんだんと、いや、つらつらと凍りながら下に伸びてきたのです。つーら・ら、つーら・らと ♪♪。
つららを窓から見上げると、ネジのようにも、ドリルのようにも見えました。その棒状の多面体に空の青さや周りの景色を映し、重ねられていく時間の分だけ伸び続けるのです。
一つとして同じものがなく、全体としてもバランスがとれていて美しい。こんなことができるのは、雪や水や光や風などの自然の大きな息吹なのでしょう。自然の為せることには不思議がいっぱいです。
《空から伸びてきたかのような氷柱です。 15:22》
曇り時々雪。最低気温-10.7℃、最高気温-1.7℃。大寒。
《大寒の今日、道立図書館から大沢口までの道はシンとしていました。》
大寒を広辞苑でみると「①非常に寒いこと。また、その時。②二十四節気の一つ。太陽の黄経が300度の時で、12月の中(ちゅう)。太陽暦の1月21日頃に当たる。」とありました。ウキペディアでは、今日から次の節気の立春前日までの期間をも指しているとのことでした。
いずれにしても、寒さが底をつけば、あとは春に向かっていくだけなので、心が少しは暖かく、明るくもなる・・・・・・ような気がしてきます。そういえば、「冬来(きた)りなば春遠からじ」という言葉があったなと思い、広辞苑を引くと、以下のように書かれていました。
(P.B.シェリーの詩「西風に寄せる頌歌」の一節 If winter comes,can spring be far behind?)つらい時期を乗り越えれば、よい時期は必ずくるということ。)
ここまで広辞苑に頼りつつ辿り着いたので、ネットではなく広辞苑でと、妙なこだわりを持って「P.B.シェリー」を引いてみました。すると、以下のようにあったのです。
シェリー【Percy Bysshe Sheiiey】イギリスの詩人。キーツ・バイロンと共にロマン派の代表。革命的情熱や神秘主義、純粋な抒情性などをもつ。イタリア滞在中にボートが転覆して溺死。詩「西風の賦」「雲雀に寄す」や「チェンチ」「解放されたプロメテウス」など。(1792~1822)
「冬来(きた)りなば春遠からじ」を信じて、大寒の時期を乗り越えたいものです。
曇り時々晴れ。最低気温-2.7℃、最高気温0.5℃。
北海道内は太平洋側や私の故郷網走を抱えるオホーツク海側で大荒れの天気となったようです。道東や道北のJRや都市間バスなどの交通網は寸断され、人や物の行き来に支障がでていると北海道新聞の夕刊は伝えていました。
同じ北海道でも日本海側のこの辺りはおおむね穏やかな天候状態で、青空が広がり始めました。暴風雪の警報が相次いで出されている最中にまさか青空を望めるとは思いがけないことでしたが、これが自然の采配なのですね。午後から、青空を眺めながら、野幌森林公園ふれあいコースを散歩してきました。
を
《ふれあいコース 13:54》
《大沢口 14:09》
曇り時々雪。最低気温-3.6℃、最高気温0.2℃。
心配していた天候でしたが、積雪はあったものの、この辺りのJRは順調に動いていました。今日は札幌にて3コマの授業(国語)を予定していたので、先ずはホッとしたところです。この度の授業も前回とほぼ同じ内容での展開となりました。
雪は終日、断続的に降っていましたが、交通機関の乱れもなく、無事に我が家へ戻ることができました。
《「永訣の朝」の授業風景》
曇り。最低気温-20.4℃、最高気温-4.0℃。
午後、野幌森林公園を散歩。大沢コースを少し歩き、我家に戻りました。途中、民家の庭に雀が群れていたので、思わずカメラを向けました。すると、殺気を感じたのか、一斉に飛び立って電線へ。集団で行動する雀にも、群れから一歩遅れるものがいたりして・・・・・・。
帰り着いてホッとしたのもつかの間、カメラの電池を入れる箇所のカバーが無くなっているのに気付きました。大雪の予報もでているので、今日歩いたコースをまた歩いたのでした。目を凝らして探したのですが見つからず、肩を落として戻りました。
ところが、家人が探索に出かけてくれ、「見つかった!」と携帯で知らせてくれたのです。 一枚、上手でした。
今日も氷点下の真冬日でしたが、雀たちは元気いっぱい。私たちもいっぱい歩きました。
《黒の線で囲んだところです。見つかってホッとしました。》
晴れのち雪。最低気温-14.6℃、最高気温-3.3℃。
我家のエサ台に久しぶりにヒヨドリがやってきました。そうなると、ひとまわり小ぶりの雀たちは遠慮してか、エサ台の下でこぼれた餌をついばんでいるのでした。自然界ではおおむね体が大きい者の方が有利なのでしょう。
エサ台を独占している一羽のヒヨドリと、その下でこぼれた餌をついばむ7羽の雀。雪中の雀の姿はそれなりに風流でもあり、一方で、人の世の縮図のようにも見えたのでした。