曇りのち晴れ一時雨。最低婚17.8℃、最高気温25.4℃。
網走の姉から自宅で獲れたサクランボが送られてきた。無農薬で獲りたてをクール宅急便で送ってくれた。色良し、味良し、形良しと三拍子そろっていた。甘くて美味しい。姉によると、熟す時期に雨にあたらずに済んだことが奇跡的に良い味に仕上がった理由らしい。
《送られてきたサクランボの一部》
ウキペディアによると「サクランボまたは桜桃(おうとう)は、バラ科サクラ属サクラ亜属の果樹であるミザクラの果実。食用。」とあった。木を桜桃、果実をサクランボと呼び分ける場合もあるそうだ。他にこの手の果物があるのだろうか。木の呼び方と実の呼び方が異なるもの。少し、考えてみたが思い浮かばない。
サクランボはかなり古くから食べられていたようで、桜桃の一種である甘果桜桃(セイヨウミザクラ, Prunus avium)はイラン北部からヨーロッパ西部にかけて野生していたらしい。また別の品種である酸果桜桃(スミミザクラ, Prunus cerasus)の原産地はアジア西部のトルコ辺りだとか。
原産地の推定は、1世紀の古代ローマの博物学者プリニウスが著書「博物誌」に書いた説明に基づいているそうだが、これについても諸説あるようだ。興味深いのは、ローマの執政官が駐屯していた戦地に生えていたサクランボの木を自国に持ち帰ったという話だ。商戦の才にも長けていたのかと思わせられるエピソードだ。
このセイヨウミザクラとスミミザクラの二品種は黒海沿岸からヨーロッパ諸国に広まり、特にイギリス・フランス・ドイツで普及したという。名称がノルマン人によってシェリーズ (cherise) となり、イングランドに渡ってシェリー (chery) となり、英語のcherryになったとか。16世紀ごろから本格的に栽培されるようになり、17世紀にはアメリカ大陸に伝えられた。
中国には昔から華北・華中を中心に、支那桜桃(シナノミザクラ, Prunus pseudocerasus)・唐実桜(カラミザクラ)があり、口に含んで食べることから一名を含桃ともいうそうだ。漢の時代に編纂された礼記『月令』の仲夏(旧暦5月)の条に「含桃」の記述がみえると。日本に伝えられたのは江戸時代で、西日本でわずかに栽培されている。材が家具、彫刻などに使われ、暖地桜桃と呼ばれる。この「桜桃」という名称は中国から伝えられたものということだ。
日本にセイヨウミザクラが伝えられたのは明治初期で、ドイツ人のガルトネルによって北海道に植えられたのが始まりだとされているらしい。後に、東北地方に広がり、各地で改良が重ねられたという。
サクランボは、有史以前から繋がっている長い道のりを経て、今ここにあるのだと改めて思う。噛みしめなければ・・・・・・。