AKILA's えgo

気まぐれに、ドラムや音楽の気になった事上げとります。

レジェンドの死

2020-03-11 22:08:00 | ドラム
なんか、コロナコロナと表面の話題がうんざりするね。
どうでも良い事ではないが、そこばかりを取り沙汰にして、その水面下での事がさっぱり忘れ去られてしまっているのも事実だろう。

9年前の今日起きた、あの大震災についての追悼。
一昨年に起きた、熊本の震災。
広島での豪雨被害など・・・

まァ、報道がそうしちまっているだけに過ぎないんだがね、結局は。
また、ソレを隠れ蓑にして、政治でもかき消してしまおうという行動を起こしているとも推測できるしね。

いちいちこの件に対して鬱屈して考えていたくもなくなるわな。

とはいえ、今年初めに起こった訃報を忘れるって事もできない。


RUSHのドラマー、ニール・パートの死。

死因は脳腫瘍によるもの。
本人も既に3年以上前から自覚していたという事で、RUSHを5年前に離脱する事を宣言したのもその為であったんじゃないかと。

曰く、「家族と過ごす時間を今後は重視したい」という事で、もうバンドでツアーはしたくないという事も含めた発言が当初上がっていたが、恐らく自分の年齢からくる肉体的限界と、残された時間が長くないというのを悟っていたんじゃなかろうか。

だから、醜態は見せたくない。大切な人たちとの時間を大事にしたい。
そう考えた上での離脱宣言だったのではないかと思える。


RUSHに触れたのはもう20年以上前かな。
当時好きだったSIAM SHADEのメンバーが、自身のルーツの一つとして挙げていたのがRUSHだって言ってたのもあり、そこからのめり込む様になっていった。

『TEST FOR ECHO』から始まって、過去のカタログを追っていくにつれて、当然ながらとんでもない技巧を提示するバンドであると思ったのと同時に、最初から常に感じていた、耳に心地よい流れ(旋律)を促すバンドだという印象が強まった。

ニールが加入したのは2nd『FLY BY NIGHT』からで、この時点からRUSHは大曲指向のプログレ感覚と、緻密な演奏によるテクニカリティを備えるハードロックバンドとなっていった。
歌詞に関しても、以降は哲学書を愛するニールに依るペンが主となっていき、ますますRUSHというバンドに於ける雰囲気が不可思議な立ち位置にあるようになったとも言える。

ハードロックという感覚が終ぞ無くなる事はなかったが、それでもアルバムをリリースする度に違った様相を見せてきたのもこのバンドの特徴であり、特にそのポップセンスが最大の武器とも言えたんじゃないかと個人的には思う。

正直、RUSHが本当の意味でポピュラリティ(大衆的)な音楽をしていたとは思わないが、それでも多くのリスナーを惹きつけられるに足る魅力が音楽に備わっているとも思った。

淀みを感じさせない、何処か透明な印象を持ちながらも、骨格の強靭さも同時に見せつける感触。
オレにとって、RUSHには“緻密”であるが“繊細”という言葉は当てはまらない。
細身でありながら、その実密度が凄まじく高い、徹底的に磨き上げられた鉄鋼細工に感じられる。

そんな音楽を作りあげていたのが、ゲディ・リー、アレックス・ライフソン、そしてニールによる3人だった(但し、RUSHがハードロックバンドの出自というのを最初期に支えたジョン・ラトジー(故人)も忘れてはならないと思う)。

直接的な影響にはならなかったが、場合によっては〈ヴァース→ブリッジ→コーラス〉という音楽の黄金律的旋律を無視した展開の配置を何の気なしにやってのけている点には、曲の雰囲気の在り方というのを考えさせてくれるバンドであった。

今になって殊更思うのは、テクニックの為の楽曲ではなく、楽曲の為のテクニックを、必要最小限の人数で最大限に発揮させていたバンドだったって事。

だから、オレはRUSHに関してはニールがドラムを叩いているからという以上に、この3人が生み出すサウンドとグルーヴに大いなる魅力を感じたから、聴き続けているのが主な理由だな。
今でも、昔のアルバムを聴いていても色々な発見がある。
好きであるからこそ深く傾倒できるのもあるが、RUSHは音楽的にそこを探れる余地が多く散りばめられていると思う。

晩年のニールは、緻密に計算された所謂機械的なドラムよりも、もっと一音に於ける響き方と柔軟な流れを重視したドラミングを体得し、実践していたという。
今から10~15年以上前に出てきたアルバムには、なるほど過度な音数を詰め込まず、より自然体な流れを感じさせる展開に持ち込めるような叩き方を、音色と共に発していたと言える。

でも、
それでもRUSHの音楽に決定的変化は見られない。
そこは、ニールの持ち味というのが、既にRUSHの楽曲の中で変えようがないくらい表出されていたこと、何よりもこの3人の個々の演奏が、RUSHという音楽に於いてはどうやってもRUSHにしか成り得ないものを引き出していると言える。

これこそ、マジックだ。
この3人だからこそ、「何をやってもRUSHになる」という。

HR/HMシーンにとって、至宝といえるドラマーが亡くなったのは悲劇。
勿論、いつかは誰もがこの世を去る。
だから、その功績を誰かが受け止めて歩み続ける事も大事。

その後には、CYNICのショーン・レイナートも亡くなっている。
彼もまた、デス/プログレッシヴメタルシーンではレジェンドと言える存在だった。

伝説と言われるほどのバンドに居たメンバーもそうだが、だからこそ、そのバンド自体が改めて見直されるべきではないかとも思う。


今年に入って亡くなった2人のドラマーには、その芳醇なリズムの多大な貢献に敬意を払いたい。

安らかに。

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