思わず描いちまった。
どう思うかは、人それぞれ。
そうであるだろうし、ないだろう。
前作『ETERNAL』から7年。
リリース以降も順調にツアー/ライヴをしている傍らで、メンバー各人でソロ活動も行っているのは情報として知っていた。
が、それにしても待たされた感が強かった。
先行MVで、表題曲である「SURVIVE」が配信されたが、コレを聴いた瞬間、「これはまた新たな領域にバンドが踏み込んだか?」と思うと同時に、「新たな名曲の誕生」も感じた。
元々、STRATOVARIUSと言えば、ティモ・トルキのバンドという認識が強かったし、事実、初期は正しくそう見えてもおかしくないほどに、トルキのソングライティングは冴えわたっていた。
尤も、
ソレにしたってバンドのメンバーの関わり方も影響していたし、現実として、トルキが脱退してからも、このバンドの「らしさ」は維持されてきた。
この点に関しては、後任であるマティアス・クピアイネンがバンドを理解している優れたギタリスト/コンポーザーであったのと同時に、バンド最古参であるティモ・コティペルトと、イェンス・ヨハンソンの存在が重要だったと言える。
『POLARIS』以降、トルキ不在に於けるわだかまりを少しずつ解消させていきながら、現行STRATOVARIUSがかつてと変わらない事を立証させてきた様に感じる。
現編成に於ける傑作とされる『NEMESIS』がリリースされた段階で、このバンドがネクストレヴェルへ到達した(=トルキ不在による不満の声がなくなった)事を証明されたと思うが、今回のアルバムは、これまでとは明らかに違う。
BURRN!でのコティペルトのインタヴューや、今回のアルバムでのイェンスによるコメントで、何故ここまでアルバムリリースに時間がかかったのかという理由も納得がいった。
確かに、このバンドはこれまで、2年くらいのペースでアルバムをリリースしてきた。
それだけ多作であるという、ソングライティングの充実ぶりの顕われだと思えるのだが、一部メンバーはそのサイクルに疑問を抱き始めたというワケだ。
「このペースで、本当に自分達にとって良い曲を作れていると言えるのだろうか?」と。
ビジネスとして携わるミュージシャンと、純粋にアートしての感性を信頼したいプレイヤーとしての間に揺れる葛藤、と言えるだろう。
イェンスのコメントで、その辺りの感情の揺れ動きが判る。
その段階で、コティペルトも新たに曲作りの工程に対して提案をしている。
古参メンバーの2人による動きが、今回のアルバムの充実度に反映されていると捉えると、興味深いものがある。
まァ、勿論他メンバーの貢献ぶりが、今回のアルバムに大きく反映されているのも間違いない。
全11曲は、今のSTRATOVARIUSの強靭さを物語る。
「SURVIVE」、「BROKEN」は新生バンドとしての攻撃的な面を強調した新境地の一つであったりもすれば、「DEMAND」や「GLORY DAYS」の様な、かつてのバンドが得意としていた手法による楽曲も入っている。
7年もの歳月が経てば、それなりに新鮮に聴こえるというのもあるワケだが、アルバムに貫かれている一本線が、揺るぎない程に強靭なのだ。
他にも幾つかの曲を作っていたという事だが、この曲数に落ち着いた理由は、理解できる。
『NEMESIS』以降、バンドのドラムはロルフ・ピルヴが務めているが、彼の参加も、STRATOVARIUSが進化していく上で重要な存在となった。
今回のアルバムを聴けば、彼のドラマーとしての力量が如何なく発揮されている事が判ると思う。
また、
伝統的という点では、ベースのラウリ・ポラーの存在も大きい。
彼も曲提供する事があるのだが、その曲が大体にして、往年のバンドらしいスタイルを持つものが多い。
STRATOVARIUSに加入してから約15年ほど経過しているが、もう立派なメンバーと言える。
SINERGYやWARMENと言ったバンドでも腕を振るってきたベーシストが、このバンドでここまでの貢献をしているのは、知っている側としても嬉しい限り。
この5人が結束している限りは、今のSTRAROVARIUSに翳りというのは見えないだろう。
それくらい、『SURVIVE』は充実している。
今後のライヴも、また盛り上がるようになってくるだろう。
台風の影響は、こっちでは去ったが、他の地域ではこれから出てくることもあろう。
こーいう状況だと、ついつい描いてみたくなる。
こーいう人間の心理ってのは不思議なモンだよな。
でも、解ってるのであれば、そこを耐え忍ぶのもまた人間の心理。
命が惜しければ、じっとしておくことも大事、というワケだ。
少し前に、MACHINE HEADのアルバムを買って漸く聴く気になったってのを書いていた。
で、
発売日から少し経ったが、こっちもやっと見つけて聴くに至ったワケである。
まァ、もう言わずと知れたってやつですよ。
前作『DYSTOPIA』から、かれこれ6年が経過。
ムステインの癌が発覚し、治療に臨んでいた期間を除けば、新型コロナによる活動制限、そしてデイヴィッド・エレフソンの解雇劇~後任採用に時間を割かれた印象がある。
前者はともかく、後者はアルバムのレコーディングが完了直後に起こった件だからね。
そこからアルバム発表までに一年以上は確実にかかっている。
エレフソンの行為から発生した所為であるのは事実であるが、そもそも解雇する必要あったのか?とも思ってしまうんよね、個人的には。
色々と言いてェところだが、ここは「くだらねェ出来事」とまとめさせてもらおう。
因みに、現在はMEGADETHが再始動時(アルバムでは『UNITED ABOMINATIONS』、『ENDGAME』)に参加していたジェイムズ・ロメンゾが戻ってきているが、本作のレコーディングに関しては、スティーヴ・ディジョルジオがベースを弾いている。
この辺りの人脈も、流石スラッシュメタルの御大だなと思わせてしまう。
結論を言ってしまうと、
起爆点はMACHINE HEADではなく、MEGADETHだな、と(苦笑)。
こりゃもう仕方が無いよ。
MACHINE HEADを知る前から、オレはMEGADETHを耳にしてファンになったし、ましてや薄れた興味を刺激するほどに楽曲は充実しているんだから。
今年になってから、MEGADETH側もMVを発表していたのは知っている。
好奇心に負けて(笑)、その一つである「SOLDIER ON!」を視聴したが、この段階では「まァ悪くはない、かな」程度の印象だった。
正直今でもそうだが、この系列の曲で言えば、前作収録の「LYING IN STATE」の方がより重々しくて好感触な雰囲気を放っていた(個人的に、『DYSTOPIA』の中でもトップ3に入る曲)。
興味を駆り立てる点では、やはりアルバムの流れが重要。
タイトル曲である『THE SICK,THE DYING...AND THE DEAD!』は、MEGADETH健在と、その威厳を再び携えた事で新旧ファンから圧倒的支持を受けた「DYSTOPIA」の雰囲気を引っ張ってきた曲であり、前作を気に入ったリスナーであれば、呼び込む/引き込むには丁度良い曲だと思った。
だが、続く「LIFE IN HELL」からはもう完全に今回のアルバムのカラーというのを放ってくる。
個人的な見解としては、前作が『RUST IN PEACE』の雰囲気を醸しているとすれば、今作は『KILLING IS MY BUSINESS...AND BUSINESS IS GOOD!』の雰囲気を醸していると思える。
もっと言えば、初期3枚のアルバムにあってもおかしくない様なアイディアを、現在のバンドの解釈でまとめ上げた様な感覚を受ける。
ファストで尖り狂った印象を持ってはいるが、ミュージシャンとして成熟した分行き届いた整合感・・・といったところか。
1stである『KILLING~』は、『DYSTOPIA』の後に実はファイナルリミックス版として再発されている。
本来はこんなだったのか、と往年のファンであっても驚きを隠せないほど楽曲の凄まじさを実感できる点では、オリジナル版と比較する上でも聴いてみる価値のある一枚だ。
今回の『THE SICK~』は、『KILLING~』を再発した事で、当人達も少なからず刺激を受けたのではないかと思う。
今回、『OF KINGDOM AND CROWN』を発表したMACHINE HEADと同じように。
コレはファンとしちゃ嬉しいところだが、今回のアルバムは、『DYSTOPIA』ほど各曲が❝コンパクトなキャッチーさ❞となっていない。
ある時に一気に切り替わる展開を含め、一曲の中で情報量が中々に多い。
耳のしやすさは当然ながら持っているが、即座に把握できる程度のものでもない。
だが、それでも今回良しと受け取れるのは、曲の持つ緊張感とドラマ性が合致しているからこそだろう。
ムステインが首を手術する前の最盛期の一つであったアルバム『ENDGAME』以降、どうにも統一感というか、緊迫感に欠ける雰囲気があった。
非難の矛先を向ける様で申し訳ないが、そこは当時関わっていたメンバーによるところがあったんじゃないかと思う。
コレも個人的見解に過ぎないが、今回のアルバムは『TH1RT3EN』と『SUPERCOLLIDER』での緩慢さの穴埋めをした仕上がりにも思えてしまう。
2枚のアルバムとも、良い曲はあるんだが、『ENDGAME』と『DYSTOPIA』というアルバムに挟まれては、印象の薄さは否めない。
寧ろ失敗作などと言われてしまっている『RISK』の方が、ある意味強烈な印象を与えていた様にも思えるよ(笑)。
嬉しいね。
MEGADETHファンとしてもそうだが、HR/HMとしてこーいう雰囲気を携えた楽曲が出てきた事が。
このバンドは最初の頃から、ギターを軸にした緊迫感と聴感的とっつきやすさに加え、曲ごとに一種のドラマ性を展開させる手法が武器だった(だから、『PEACE SELLS...BUT WHO’S BUYING?』まではヴォーカル無しでも通用する楽曲などと言われたりもしていた)。
このバンドはギターの持つ表現の可能性をスラッシュメタルとして顕現させたという点が重要であり、そのスリリングな雰囲気が、奇しくも唯一無二の存在たらしめる事になった。
いや、1980年序盤~中期までの、第一線級スラッシュメタルバンドは、それぞれの個性を発揮していたな。
それでも、オレの中ではMEGADETHがずば抜けて好印象だった。
テクニカルと言われればそうなのだが、ギター(時折ベース)に於ける表現が、素人耳にしても面白さを掻き立てられたし、曲展開の持ち運び方もテメェの音楽的好奇心をくすぐった。
現在進行形で、ソレがまだ耳に出来るワケである。
しかも「よし、もう一回聴こう」とさせてくれるアルバムを発表してくれている。
最早ライヴに関してはアレだが(苦笑)、少なくともアルバム単位の楽曲で未だに刺激をしてくれるものを生み出してくれるのだから、やはり偉大なりMEGADETH。
購入してからも、暫く聴く体制に入れなかったMACHINE HEADの『OF KINGDOM AND CROWN』。
周辺で色々と良く思わない事があり、音楽自体耳にしようという気になれなかった。
事実、今日も良くない事はあった。ぶっちゃけ、割り切ろうと思っても直ぐに切り替えなんて出来ねェよ、という出来事だった。
そんな気分になっているからこそ、「今こそ聴くべき」という思いに駆られ、漸く耳にするに至ったワケである。
前情報としては、前作がバラエティにケッコー富ませた楽曲を並べていた事で、あまり良い評価を受けなかった為に、このバンドらしいヘヴィ、アグレッシヴ&ガッツィーなメタルアルバムに焦点を絞った内容に仕立て上げたというのは聞いている。
1曲目の「SLAUGHTER THE MARTYR」のアコースティックギターとクリーンヴォーカルでの幕開けも、昨今のこのバンドでもお馴染みの手法と思えるが、そこからスラッシー且つヘヴィなギターリフが入り込んだ時の緊張感は、「これぞMACHINE HEAD」と、反射的に背筋が伸びた。
以降も怒涛の勢いで進んでいくが、緩急のついた楽曲が当然並ぶが、前作『CATHARSIS』での、悪い意味での軽薄さは皆無(こう書いたものの、個人的にはあのアルバムはそれなりに好感触だったとは言っておく)。
リーダーであるロブ・フリンが、自身の息子と目にしたアニメ「進撃の巨人」の内容に感銘を受け、あからさまではないが、アルバムの流れにコンセプトを持たせた点も、一本線をビシッと引いた印象を受ける仕上がりに持って行った事の要因なのだろう。
そして、
今回から、新メンバー加入してから初のアルバムであるという点。
個人的には、ここが最も注目すべき点だろう。
長年、このバンドで活躍してきたフィル・デンメルとデイヴ・マクレインという、大きな貢献を齎してきたメンバーが脱退というのを知らされた時、ものスゲー落胆したのを覚えている。
その直後、今では90年代のメタル名盤として語られるまでになる『BURN MY EYES』の25周年記念として、当時のメンバーであるローガン・メイダーとクリス・コントスを呼び戻し(この時のベースは現メンバーのジャレッド・マクエイカーン)、アニヴァーサリーライヴを敢行する状態などがあり、一時「え、郷愁に浸りたくなるのも解るが、次へ進むつもりは?!」と不信感すら抱いてしまった。
そこから並行する様に、現メンバーとなったヴォッグとマット・アルストンが正式に加入というニュースが浮上したが、依然としてアルバムを作成するという状況が見えずに、モヤモヤした。
何故か?
今回新メンバーとして加入したヴォッグは、オレが大好きなポーランドのデスメタルバンド、DECAPITATEDの中心人物でもある。
現在もバンドはちゃんと活動しており、今年5月にアルバム『CANCER CULTURE』を発表している(因みにアルバム収録の「ICONOCLAST」では、ロブがヴォーカルで一部参加している)。
勿論、MACHINE HEADの新ギタリストのオーディションを耳にして披露したのはヴォッグ側である為、MACHINE HEAD側がとやかく言われる筋合いは無いのは承知している。
そうであったとしても、DECAPITATEDの活動を妨げる行為はしてもらいたくない、とファン心理としては思ってしまうものである。
このメンバーで、バンドの「次」を証明するものが創造されないのなら尚更。
そんな考えも、今回のアルバムを聴いて消え失せた。
ヴォッグがMACHINE HEADで自身のスタイルを盛り込んでいるというのが、曲を聴いていてよく判る。
現在のバンドに必要としているもの(=ロブが必要と思っているもの)が、ヴォッグに備わっている事の顕われである。
また、作曲でもその存在を表しているが、ソレは決してDECAPITATED的ではなく、ヴォッグその人の多彩さの一片としてMACHINE HEADに適合できるものを提供している点も見逃せない。
考えてみれば、
ロブもMACHINE HEADの中で、凡そメタルと言える様相ではない楽曲を披露していたりするが、狭義的な意味でのメタル的アプローチに固執しない点に於いては、ヴォッグも共通している。
今回のアルバムに関しては、『BURN MY EYES』25周年の活動を経た事で、あの当時の曲の在り方に触発されたという事らしいが、2000年代バンドの最高傑作と誉れ高い『THE BLACKENING』の持つ❝黒さ/暗さ❞を同時に彷彿とさせるが、その辺りもロブの中では意識下にあったんじゃないかと思う。
ファンにとって❝バンドの強さ❞と感じさせる自分達の持ち味を、今一度表出させようと試みたアルバムだと感じる。
未だオレの個人的気分は晴れる事もないが、少なくともこのアルバムが、テメェの中で切り替える為のスイッチとなり得そうな存在。
ヴォッグは、この2つバンドでどう上手く渡り歩いていくんだろうか?
そこも注目していきたいが、少なくともDECAPITATEDは止めることないよう願う。
色々書いたが、MACHINE HEADも、1990年代のPANTERAが台頭してきたあの時代のバンドの中では大好きなバンドの一つ。
ヴォッグを擁したこの編成で、少しでも長く活動してもらえたらと思うよ。