AKILA's えgo

気まぐれに、ドラムや音楽の気になった事上げとります。

鋼鉄のロック魂

2017-09-25 04:17:00 | 音楽・ライヴ
暦の上では昨日、Heart Beatで行われたイヴェント「鋼鉄のロック魂Vol.8」にDAMEDETHとして出演。

シルヴァーウィーク期間を狙って2週に亘って開催していたが、諸事情があって変更を余儀なくされた箇所もあったりはしたが、最終日である24日は無事敢行。

イヴェントに参加出来た事も良かったが、そもそも出演理由の一つは、ジェイソン氏と所持しているお互いのアクリルスネアを引っ張り出して使おうという話が実現するという事もあった為。

もう使う理由のなくなったスネアに、今一度照明を当てる機会が出来たのでそれはそれで良かったのかもしれない。
ここに至るまでにぶっ叩いてきた代償が見え始めており、パーツ接触箇所を中心にヒビ割れが出てきている。

現状でもまだ使えるが、症状は進行していくもので。まァ、ジェイソン氏との共演が果たせたので、記念の一撃にはなった(笑)。
以降、少なくともライヴで使う事はもう無いだろう。

で、
肝心のライヴはどうだったかというと、最後の最後でトラブル。
ギターの弦が切れるという、実は以前と同じ事が起こった。

今回は一応理由はハッキリしているのだが、この曲やって連続でトラブル起きるとなると、呪われてるんじゃないかと勘違いしてしまう(苦笑)。

やっていてギターの鳴り方に確かに違和感はあったが、だからといってやり始めた雰囲気からして今更止めるなんてワケにもいかず、ギター不調のまま兎に角押し通した。
悔しいっちゃ悔しい。オリジナルの曲で最後は激烈に終わる予定でここまでやってきたのが、水の泡になってしまったのだから。

でもコレも一つの教訓。
少なくとも、それによるトラブルで弦が切れるという事態は、今後は無いようにしていく事は可能になる筈だからね。

それと、その時に紙屋氏が途中で中止にしなかったのも英断だと思っている。
さっきも書いた様に、雰囲気として止められる気配の曲調では無かった。
コレが単にカヴァーであれば、「すいません、トラブって出来なくなりました~」で緩い形で終了という風にも出来たが、個人的にオリジナルで作り出した緊張感を、そのノリで台無しにしたくないと考えている。

客席側からすればどーいう状態であるかは判明出来てなかったにせよ、妙なカオス感があった事は感じ取っていたんじゃなかろうかと思う。
どのみち、オレは止めるつもりはなかった。

恰好つけるつもりはないが、多少トラブルがあっても尚押し通して演奏していく姿勢も、ロックンロールである。
その心意気は、あって良いものだと思っている。

とは言えど、今のところこの曲に関してはライヴでの完成率はゼロのまま。
新調したギターも、すこぶる評判が良いのは見聞きしているので、やはり次の機会で挽回したいところだ。

今度のライヴは10月29日。
「次回こそは」、なんて言葉を安易に使いたくはないが、今度で3度目の正直といきたいところだ。
WRECKONというバンドの存在表明を、しっかりした形で見せたいからね。


2017.9/24 鋼鉄のロック魂 Vol.8  @Heart Beat

~DAMEDETH Set List~
1.TAKE NO PRISONERS
2.KICK THE CHAIR
3.HEAD CRUSHER
4.MECHANIX
5.SILENT BLAZE <WRECKON>
6.RAVE(N) <WRECKON>


抱えるべきテーマ

2017-09-21 01:53:00 | ノンジャンル
リノベーションギャラリー 冷泉荘へ、個展を観に足を運んできた。


この写真に写っているイラストを手掛けているデザイナー/イラストレーターである、Mitch Ikeuchi氏の個展。

Mitch氏とは以前の仕事場で縁あって知り合う様になり、その時は音楽関係での仲間内という見識であったが、実際彼の主な活動はイラストレーターで、一般的に見れば芸術関係の人である。

恐れ多くもオレもそーいう関係には興味を惹かれている身であるので、Mitch氏の活動を知ってから、見方がちょっと変わった(失礼)。
多分、当時の仕事場の中では、Mitch氏に直で接触する率が高いのはオレだと思うし、お互いの活動を考えても、近しい立場にあるのではないかと思える。

FB上ではちょくちょく確認してくれていたが、現状のオレの事考えるとやはり一歩引いていたようで(苦笑)。
まァ、その辺は仕方のない事だし、折角今回会える機会に恵まれたので、それ以上の無粋な話は無しで、結局話していたのは相も変わらず音楽の話になる、と(笑)。

個展会場内は終始和やかな雰囲気で、Mitch氏の芸術関係での知り合いの方が様々足を運んで来ていた。

その中でお話しさせて戴いたイラストレーターの方とMitch氏と3人で、ちょっと興味深い話となった。
現在の、情報過多による貧しさにまつわる話。

曰く、色々出来るように見えて、本質を捉えきれてない、と。
こーいうのは、何も今の時代ならではってワケでもないのだが、今の時代には妙に当て嵌まる言い分である。

オレも音楽の話と折り合わせながら、3人でそーいった腕の振るいをかける事についての話を長々としていたが、「結局必要になるのは、自分のやる事に対してある種のテーマと、ソレを基盤として続けていく覚悟だろう」というのが結論となった。

絵を描いていても、そこは同じ事だと思う。
色々な絵描きの真似をして描ける器用さを持っている人も居たりするが、「いざ絵を描く事に対して自らを投影させたものを表現させる」としたら、何(本質)を出せるだろうか。

昨今は、音楽を作るとなれば、特に楽器を扱えなくてもDTMソフトなりを利用すれば、いかにもな質で曲を作り出すことが可能。
イラストの世界でもそこは同じで、グラフィックツールを使いこなせれば、実際に手描きしなくてもそれなりに上手いと思えてしまうものが出来上がる。

話が盛り上がったのも、そのイラストレーターの方も音楽嗜好が近いところにある(人間椅子が好きだという。他は予想通りというか、アニメやゲーム音楽)ので、その際に上記した話題に発展していった。
思うところは、どこの分野でも同じなんだな、と妙な嬉しさを感じた。

根本で感じ取るものって、分野に精通した人間は各々が手をかけているものが違っていても共鳴出来るものだ。
そーいう人たちと話が出来たのも、なんだか久しぶりな気がした。

先の話に戻るが、「これしか出来ない」と「これをやり続ける」という言い回しを分断させるのはかなり難しいが、そこにある種のテーマを設けているかどうか、というのが重要になってくると思う。
この2言の要素が含まれている事で、個性というのものが強く生じてくる。

Mitch氏が描いているものも、正にその要素があってこそだろう。
一見シンプルだが、だからと言ってありがちな、と言えるものでもない。
個展内では様々な画材を使っており、その上で特有の個を発揮している。

楽器の演奏も同じ事が言える。
同調は出来るが、それ以上に主張する何かがある響き。そこにその人間の個が表れているのだ。

よく「続けることが大事だ」、と言ったりしているのを聞いたりするが、ソレも「自分が抱えるテーマを根底に敷いているのが大前提」であるべきだろう。

Mitch氏の個展は今週末まで開催しているが、オレはスケジュール上、もう今日しか行ける余裕がなかった。
が、それでも足を運んで良かったと思えるひと時だった。

みつめていた人たち

2017-09-16 10:13:00 | ノンジャンル
小説はそこそこ読んでいる方だが、特にSFものが多かったりする。
最近だとジェイムズ・ロリンズの「地底世界」や「暗黒結晶」を読んでいて、この“無いんだろうケド有りそうなワクワク感”を掻き立てられる、未知の生物との遭遇場面などは面白い。

この著者の場合、米国自衛隊活動に対しても聡いというか、軍事ありきで進めていく内容が大半なので、殺害シーンも出てきたりするからその辺で支持が割れるかもね。

以前によく読んでいたのが、アイザック・アシモフとJ.P.ホーガン。
どっちもスペースサイエンス小説家としては大御所で、特にアシモフに関しては、ロボット小説の先駆と言える存在で、「私はロボット」はその手の原典。ホーガンも「星を継ぐもの」が代表作で、人類史に関して大胆に切り込んで見せた内容が興味を引く。

で、
大抵SFものは近未来的なものが舞台となっているもので、アシモフもホーガンもその分野での小説では例に漏れず。
描かれているのは、「世界大戦後の未来」という方が当て嵌まりやすいか。

特に、個人的にアシモフの関しては舌を巻く洞察力だと感じた。
アシモフ自体、第二次大戦を生き抜いてきた人物なので、戦争に対しての皮肉さを取り上げている事が場面として顕著だったりする。また小説家の一方で科学者でもあった為に、今読んでも説得力の強い内容のものは多い(時代背景的に翻訳のされ方に関しては、好き嫌いは多少出るかもしれないが)。

アシモフはもうずっと前に亡くなっているが、人類史上最も不毛な争いと言っても過言ではない時を体感してきた人物だけあって、もし今この時代にも存命だったら、何を描こうとしていただろうか?と思ってしまう。
対してホーガンはテクノロジーの発展により、世界が一丸となって人間社会を快適に生き、宇宙へと足を延ばすというある意味前向きな未来を作品で描いたりする事が多い。

共に方向は違えど、人間の未来に向けた描写はギラリと光る。
アシモフが皮肉を込めて描いた、人の居る地球世界は、現実に迫ってきているかもしれない。

現在の人間社会は危機に対して守ろうというよりも、意識を遠ざけようという方向が強い。
辛い時期への反動であるのは解る。が、蔓延しきっている感は否めない。

オレとしても、だからといって現実を知れなどといっぱしの事を説くつもりはないし、そんな事をそもそも出来ると思っていない。
嫌な事から逃避した時を過ごす楽しさを知っているからね(笑)。ただ、そこだけが全てではないというのを念頭に置いておく必要があるって話。

そーいった感情が渦巻きながら、アシモフやホーガンは先をみつめて小説を書いていたのかもね。

初刊発行されてから数十年が経とうとして尚読まれる理由は、時代を超越したというより、彼らの描いた世界に現実が未だ到達しえないからこそだろう(SFの魅力は本来そこにあるワケだが)。
所詮フィクションであるが、先のロリンズとアシモフの内容を複合させると、どうしようもなくノンフィクションに感じてきてしまうのはオレだけなのかな(苦笑)?

因みに、アシモフはサスペンス系小説も手掛けていたりする。
彼の洞察力の鋭さは、この手にも表れていると言えるし、寧ろなるほど、と思ってしまう。

多分、変わってない

2017-09-06 14:26:00 | ドラム
今やってきているバンドの面々と話をしている中でふと思い出して、どっかにあったよなーと思いながら探していたら見つかった。

以前にやっていたバンドの音源。

正直、そんな大層なモンではない。
作っていた当時はまだギターが居なくてベースに録音兼任してもらっていたし、MTR使っていたにしても録音技術が未熟だったので、最終的な仕上がりは飽くまでも当時として納得のいく範囲。

今聴いたらキツイ(苦笑)。
音が割れまくっていて弦楽器のチューニングもおかしい。
自分の作曲に於ける引き出しの狭さもあるだろうが、当時はエクストリームメタルを標榜していたのだが、今改めて聴くと、メタリックハードコア/パンクな印象だ。
まァ、ある意味エクストリームな方向としては合っているとは思うが(笑)。

もう十数年も前の事だ。
楽曲としても、当時影響を受けていたものをありありと思い起こせる。
同時に、「勢い=自己表現」がまだ成立する時代でもあったように感じる。
兎に角自分が影響を受けたものから吸収した衝撃を吐き出そうという、勢いと尖りがあった。

あれから音楽技術もデジタル的に進歩していき、器楽的な面でも個人的に色々と知り得ていったワケで、振り返ればたかだか二十数年ほどで、これほど音楽/楽器シーンって変化していくモンなんだな、と今になってしみじみ思う。

裏を返せば、そう思うのは自分の中にある、音楽に対する考え方や姿勢に変わりがないって事を意味しているんだろう。
ある時からドラムもよりハードな方向を目指していくようになり、ソレをどうやってオリジナル曲として反映させていくか?と考えるようになり、今に至ってるワケだ。
テクニックとかは何とか出来る範囲で色々身につけてきたが、それでもバンドとして表現するのであれば・・・という姿勢は揺らいでいない。
メタルではあるが、常にある種のエクストリーミティが存在しているバンドであることを望んでいた。

現に、当時やっていたバンドの楽曲でのドラミングと今のドラミングに大きな差があるかと言えば、無いと思う。
演奏の引き出しは今の方が多くなったのは事実だが、だからと言って今のオレが当時より優れているとも思えない。
変な話、「あの時よくこれだけのことやってたモンだな」と、妙な感心をしてしまった(笑)。

年を経れば、そりゃあ心身に変化は出てくるものだ。
だが、情熱を抱いたものへの姿勢が変わらないってのも存在するもので、ソレを今ここにきて体感するとはね。
他人に「オレのドラムは変わらない」と言ってきているが、改めて過去の自分と向き合ってみて実感した。

だとしても、このままで良いとは思っていない。
常に、過去の自分よりも成長させたいと思いながらやってきているのも事実。
周囲に自分がスゲェと思う人間がたくさん居るのに、「オレは今のままでいいんだ」とは納得できない。
盗めるものは盗む。そして自分の血肉としていく。
何もあらゆる音楽形態にある技術を片っ端から身につけていこうという考えではない。
耳にした際に、「良いフレーズだな」と思ったものを、自分で表現できるようにしていきたいだけだ。
ソレをこれまでに身につけた自分の演奏と統合させ、本当の意味で自分のものにしていくようにしたい。

それでここまで来てテメェがどのくらい成長したかは判らない。
ただ、「まだまだだな」という感覚だけは捨てきれない。ココを忘れてしまったら、本当に下降していく事になるだろう。

今の今まで、自分自身を高めていきたいと思わせ、続けてこれたのは、ドラムだけだ。
自分が誰よりもドラムを知っているわけではない。
でも、ドラムを前にして自分が出す姿勢に関しては、演奏共々負けるつもりはない。
負けるつもりがないと思っているからこそ、自分をより堅牢強固にしていきたい。

端から見ればそーいうのはストイックと思われるのかもしれないが、結局オレがやりたいのが今はこれだけという話。ストイックとは感じていない。
色々な人にも、角度違えば当て嵌まる事。

ここまでやってきて望むのは、今やっているオリジナルバンドが、少しでも広い範囲で認知されていく事か。
当時はそれが叶わなかった。
今のバンドでも、ソレは中々難しいと思うが、やりたい事を貫く姿勢は、オレは変えるつもりは無い。

こーいう無駄に意固地な姿勢、多分変わってないね(笑)。