AKILA's えgo

気まぐれに、ドラムや音楽の気になった事上げとります。

掘り下げの余地

2019-08-28 01:34:00 | ドラム
結局のところ欲しい機材なんてのは、色々と物色していればきりがないくらいでてくるモンだ。

そうやって手を出してみたのがコイツですよ(笑)。


AmediaのRaw Rockシリーズ、8"と10"Splashである。

Amediaってのは2005年に創設されたトルコのシンバルメーカーで、比較的新しい部類に入る。まァ色々なシンバルメーカーで携わっていたマスタークラスの職人が居るって事から、ブランドとしては安心できるのかもしれないが、一方で日本市場は既にIstanbulの天下でもあるから、正直このメーカーの需要は中々厳しいとは思うんだよな。
TMCも、よう今まで取り扱い続けてるモンだなとは思う(笑)。

まァさておき、気になっていたってのは事実で、昔にTraditionalシリーズのスプラッシュを耳にした程度で、それにしたって言葉に悩む状態の鳴りにしか思えなかったんで、今回は手元に置く段階で、やはりテメェにとって魅力的に思えそうなシリーズから食指を伸ばしてみようと思った。

で、
上記のRaw Rockシリーズを選んだワケだが、恐らく「ロック=分厚い/鳴りが明確で明るい」ってな構想の下、あんな仕様になったんだろうな(苦笑)。
ブリリアントフィニッシュでレイジングは無し。ランダムと思われるハンマリングを施したぶ厚めの仕様である。

コレがトルコ所縁ではないシンバルメーカーだったら、ホントにギラギラした硬い響きにでもなっていた可能性はある。

そこがミソな気がする。
今回試したのはスプラッシュだが、耳に入ってくる鳴りは明るいけれどもストレートな感じではなく、まとまりのある丸みを帯びながら歪んだ明るさ。

特に8インチはその成分が強く、オリエンタルな響きが存分に発揮された響き。
やはりトルコシンバルが基ってのがあるからか、両方とも音量としてはスプラッシュの観点からしても良く抜ける音ってワケではないが、独特の雰囲気を醸し出す音作りに貢献できるので、使いどころを考えてみたくなるシンバル。


今回、入りとして負担が無いからという理由でスプラッシュを入手してみたワケだが、所謂エフェクトシンバルでの聴こえが良いと感じると、他のもやはり試してみたくなる。
次はチャイナを行ってみるのが良いかな。

これでスプラッシュ同様に独特の鳴りを持っているのが判ったら、また色々と掘り下げができるようになる。

ま、そこれだけでAmediaの本質を解ったつもりになるのは早計であるが、少なくとも「こーいう鳴りをしたシンバルを持っているメーカーがある」というのを、自分の中で収穫できるのは良い事だろう。

直ぐ次に手を出す、ってワケにはいかないがね。

その時代に呼応した音

2019-08-15 23:00:00 | 音楽・ライヴ
バンドってのは、音楽としては単体でありながら、人間性というものが幾つも交錯して創り上げられる複雑怪奇なものでもある。

作曲者が一人で作り上げてしまうものであっても、そこに他者が介在する事になれば、純度はある意味落ちる。その落ち度に良し悪しがあったとしても。

なので、
人が入れ替われば音に対してもソレは反映される事がある(変わらない事もあったりするが、それでも微細な点では違うと感じ取れる)。
そうした点によって、そのバンドを支持するのを止める人も出たりするが、そこも致し方ない。


前置き長くなったが、つい先日SLIPKNOTの『WE ARE NOT YOUR KIND』を入手。
多分人によってはオレがこのバンド聴くのを意外ととるのかもね。

まァ、このバンドは最早一介のメタルバンドという範囲を超えてるし、音楽的にも正にメンバーの人数と容姿をそのまま露わにした、雑多であるのは間違いない。
このバンドに対して「メタルだ」と言うのは別に悪いワケでもないし、「ラウドロックだろ」というのももっともだと思う。結局カテゴリー内で言い合ってる点で、どっちもどっちってな感じ(笑)。

率直に言えば、オレは別段SLIPKNOTのファンではないし、以前このバンドに関わっていたジョーイ・ジョーディソンのファンというワケでもない。
だから、この10年近くで起こっているバンド内部のゴタゴタに関しても真剣に受け止める事もなかったし、そんなだからアルバムも特に持っていない中で、今作を躊躇なくパッと手にしたりする(笑)。

1999年にデビューするや否やいきなり世界的に注目され、PANTERAやKORNなどと並んで所謂ラウドロックの代表格に躍り出る様になったが、彼らこそ当時台頭していたラウドロックという呼称の、最終形態の様にも思えた。
ただ、好きになれるワケではなかった、とは言っておくよ。当時は。

あの時は自分が欲していたヘヴィの感覚とは違っていたし、混沌という点に於いても、当時はCRYPTOPSYなどテクニカル・デスメタルの極致の様なバンドも聴いたりしていたので、「コイツラよりも遥かに凄まじいバンド知ってるわ!」という世論のヤバイバンド扱いに対しての反発も一役買ってた。

あとは何よりも、コリィ・テイラーのヴォーカルが好みではなかったという点かな。
当時としては、オレはこのバンドの支持をする気は無かった。それは『IOWA』がリリースされた時も変わらなかった。

単純に「重み・速度・切れ味」の中に音楽的な曲術を求めていた、未熟も甚だしい年頃では、SLIPKNOTのやっている事は「わけがわからない=音楽的に聴かせられない=面白みのないバンド」という解釈しか持てなかった。

だからこそ、当時より20年経たんとする今だから、漸く彼らの持ち味というのが見えた気がする。
ある意味、そこは妙に入れ込んでいない、ファンというには冷静で希薄な感覚で接していたからというのもあるだろう。
当時から重要メンバーとされていた者達の離脱が起こっても、悲観に暮れる事もなく、音楽に対しての評価も妙に偏って聴き入る事もなかった。

SLIPKNOTの持つ暗く重みのある混沌はひねくれたポップ感覚を持ち、その大きなうねりを最大出力させるものがあのヴォーカルである。
無論自論であるが、ここに他のバンドとは似ても似つかない持ち味があると思っている。

ある意味ではKORNとも比較できる内傷的暗さとも言えるが、決定的違いは、KORNは膝を抱えて「お前らに理解できるもんかよ」と顔をうずめてしまう所作であるのに対して、SLIPKNOTの「お前らに理解できるもんかよ」は、血と涙を撒き散らし、顔を上げて叫ぶ所作である、というところだろう。

一つ言えるのは、あの時代、この2バンドが表出させていたその感情/音に、世界中の(当時の)若いリスナーが共鳴したって事だ。

メディアコントロールが働くか否かは論議の的となりそうだが、あの時代には、SLIPKNOTの様な、時代の鬱屈した空気を音として、感情的に表出させるものが必要だった。
ソレに呼応し、象徴となったのがあのバンドであると、今ならそう解釈できる。

そうであるからこそ、新作の持つ重く暗いうねりは、20年以上も変わることなくバンドのトレードマークとして存在しているのが聴いて取れる。

『IOWA』だけで、SLIPKNOTの何たるかを語ってはいけないよ。
個々の曲による面白みがどうかは置いておくとして(笑)、演奏の猪突猛進する激烈さだけでない、上述した雰囲気を纏わせた種々の楽曲を持つ事こそが魅力なのだ。


何となく、今回のアルバムを聴いていて、こんな事を書きたくなった。