おはようございます。
嫌な地震でした。
嫌な音でした。
「思い出せコンニャロー!」
と言われたような気がする。
「コロナ大変だけど、ここに災害来たらと考えると…」
「ひゃ〜、そりは恐ろしい。」
「マジで終わるよね。」
みたいな話はよく耳にする。
でも、自分の中ではどこかで「あの頃」と「今」を比較してるだけだった。
記憶とか感じ方って上書きされちゃうから「今」の大変さに振り回されちゃうけれど(実際、商売などは今回の方がキツい面は多々あります。)やっぱり、あの頃は酷かった。
生き死にがそばにあって、そして急だった。
「なんで備えてなかったんだろう??」
と後悔したはず。
その想いを真ん中に置いて備えをしつつ、新たな「敵」と戦ってないと、また後悔しそうだ。
「地震なんかこねぇよ!」
と言い切れるアナタが羨ましいし、同時にアホかと思う。
来るか来ないか。
生きるか死ぬか。
来るかどうか分からないけど、
「地震が来るぞ!」
と唱えつつ、僕は一人で備えておきます。
それでも僕らは乗り越えた。
ずっと言ってることがあるけれど。
想像力がない人は、人の悲しみが分からない人だ。
想像し、寄り添う。
その過程の中に、優しさとか思いやりがある。
真似をしたり右に倣えの動きをすると、そもそもダサいし、遅いし、的外れなことがよく起きる。
ダサいのはごめんだね。
生き方がダサいなんてのは、最低だね。
今、僕らが寄り添うべき人はどこにいる?
今は家だろうね。
今はうちにいろっつぅの。
その上で。
いつでも来い、と備えておくのが正しかろうよ。
そこんとこ、忘れちゃいけないね。
不要不急ではない。
必要だよ。
急げ。
水のこと。
食料のこと。
エネルギーのこと。
3日もてばいいというレベルではないことが起きます。
だってまさにナニカが起きてる上に起きるんだから。
避難所で、三密とやらをどう避けて過ごす?
テントか?
色んなこと考えなきゃいけないね。