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僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

そのナニカとは

2019-06-24 22:35:22 | 日記
息子が高校生活を楽しんでいるみたい。

その時々で楽しみ、笑い合い、悲しんだり、もちろん辛いこともあるよ。
様々な経験を、それぞれが同じではないけれど似たように歩む。

息子の話を食事をしながら聞いていた。

「禅。楽しそうで良かったなぁ。でね。俺、思うんだけどね。」
「?」
「誰かにさ、忘れられないようなナニカを与えられる人になれよ。楽しい話の最中に水を差すようなタイミングで悪いんだけど(笑)ふと思ったから忘れないうちに。」
「と言うと?」
「ずっとね、今も忘れてないことって誰かの優しさのような気がする。そのナニカって、きっと優しさだ。」
「うん。はい。」
「たまにでいいからさ、優しさを与えられる人になれよ。俺の高校の頃にさ…」

その続きの話で妻が泣き、楽しい食卓がしみったれてしまった(笑)

「だから俺はアベテツとか根本には、一生をかけてナニカをしたいんだ。」

たまにでいいから。

なんか底抜けの優しさを、誰かに与えてみればいいような気がします。
そう思ってやってても伝わらないこともあるけどね、そうしたら普通に接するのみ。

でも、いつか気がついてくれるさ。

ナニカを与えられる人になりたい。
そのナニカって、優しさだと思うんだがね。

人は皆。
利己的な人間には利己的に。
利他的な人間には利他的になるものだ。

たまの優しさは、たまの優しさを生む。

それが拡がれば、きっとその日は世界中が幸せだ。

明日、皆でそんな日にしよう。

でも明日。
僕はオヤシラズを抜く日…。

ガチョーーーーーーーーーーン。
怖ーーーーーい!

上海と書かれた服を着て、地べたに座って肉マンを食べる人がいました。
後ろの自転車や原付が相まって、すげぇ大陸の匂いがしました。
あるはずのない屋台が僕には見えるようでした。
コメント
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