柴田町 さくらマラソンに行ってきました。
このような曇天でございました。

が。
やっぱり晴れます。
百戦錬磨の晴れ男。

青空応援団、大人気でした。

僕らは土手が似合います。

これまでの最長応援時間は1時間半でした。

今日はなんと、トータル4時間!
連続応援時間は3時間!

想像以上にノドが大変でした。

ずうっと精一杯やりますよーい。

ずうぅぅっとです。
いつか、パタリとオジサン死ぬ。

小さな子も手伝ってくれました。

太鼓ドンドン。

「ハハーン、なるほどね。」

保志団員は本日はランナーです。
(実は明日も)

お疲れさん。
走り終わった後は、応援です。
応援し、応援される。
いい世の中だね。
足を引っ張る人もおらん。

最後の一人まで、キッチリ応援しました。
走り行く背中へ。
最後の一押しのエール。
一人じゃねぇんだ、とわっしょいわっしょいと騒ぐ。
僕らの応援は、ゴールの少し手前で終えます。
何故ならば、ゴールはご自身の力でするものだからです。
僕らは、
「僕らのおかげで完走できただろう。」
なんて思うことはない。
少し手前でやめて、数秒、見届ける。
ゴールした直後の拍手は、全て走り抜いたその人へ贈られるべきだから、何秒間か早く終わる。
マラソンのような人生。
人生のようなマラソン。
それを走りぬいたのは、その人だ。
周りではない。
それが分かっているから、僕らはメシが美味いのです。
人の頑張りの結末を、足を引っ張ることなく「見届けた」からメシが美味いのだ。
これは。
僕なりの嫌味です。
これから嫌味を書きます。
熊本や大分で起きていること。
それに対する動き方。
その動き方に対しての言動。
「頑張るのは、最後は本人。」
これが僕のモットー。
人の人生に関わるってことはね、そんな簡単なことじゃねぇんだよ。
とりつかれたように、熊本のことを知ろうとしてしまいます。
見なければいいのに、フェイスブックなどのSNSを見たり、ニュース記事を読んでいます。
Twitterなんかも見たりします。
やっぱり、いつも不思議なのは外野なのに、外野同士で「敵意」がどこかにあるということ。
ムカつきの対象が、自然ではなくて人になっているということ。
悲しみよりも、怒りは幾らか役に立ちました。
でも、それはその場にいる人達が何かを乗り越える為のもので、僕らが周りでヤイノヤイノと言うことに使うためではないと思う。
どっちにも言いたい。
どっちにも。
意味わかる?
まず一方。
当時も言いましたがね、被災地って地名はねぇし、被災者って人もいねぇんだよバカ野郎が。
一番乗りの旗が欲しかった「バカ福男」に皆が呆れたというのがベースにある。
実際は違っていても、そう見えたのだろう。
「あ~あ。行っちゃった。」
という声が広がったからね。
物資物資言ってんのも気持ち悪いんだっつぅの。
なんだ物資って。
聞き慣れねぇ言葉は癪に触る。
ゴハンを買って、持っていくだけだろうがバカが。
物資が足りません物資が足りません。
うるせっつぅの。
経験したことねぇような災害があって、二、三日飯もねぇ電気もねぇ水もねぇなんてのは当たりめぇだろうが!
だから備えておけって言われてんだろう普段から。
(それを忘れた俺たちもさらに上を行くバカだがね。ハッとして、また備えを見直したわい。)
物資が足りません物資が足りません物資が足りません。
分かってんだよバカたれ。
やること探してんなら、仕事しろ!
行ったって、やることはいっぱいあっても普段から居場所のねぇ奴に、やっぱり居場所なんてねぇからな?
居場所は、普段の生活の中で見つけるものだよ。
家に帰る。
実家に帰る。
職場に行く。
友達と遊ぶ。
それ以外の居場所なんて、そんなにいらねぇし。
もう一方。
足の引っ張り合いのように騒ぐのはやめませんか?
『正義』ヅラして、必死に叩いてる姿は言葉遣いも含めて未熟な人にしか見えないし、みっともないし、かっこよくない。
俺たちは普段の生活の中に「震災」があったから戦った。
先輩面してんじゃねぇよ、くだらねぇな。
やるべきこと。
やんなきゃいけねぇ時は、目の前にドカンと来るし、来なきゃ「今回は出番はなかった」でいいじゃない。
なによりじゃない。
善だの偽善だのどうでもいいぜ。
はい、嫌味おしまい。
やっぱり。
終わってからの、おにぎりが美味しかったなぁ。
人を応援するぐらい、誰でも出来る。
やらんかね?
僕らと一緒に、生きていかんかね。

はぁ、終わった終わった。
明日もマラソンの応援。
明日は風土マラソン。
登米に行く。
このような曇天でございました。

が。
やっぱり晴れます。
百戦錬磨の晴れ男。

青空応援団、大人気でした。

僕らは土手が似合います。

これまでの最長応援時間は1時間半でした。

今日はなんと、トータル4時間!
連続応援時間は3時間!

想像以上にノドが大変でした。

ずうっと精一杯やりますよーい。

ずうぅぅっとです。
いつか、パタリとオジサン死ぬ。

小さな子も手伝ってくれました。

太鼓ドンドン。

「ハハーン、なるほどね。」

保志団員は本日はランナーです。
(実は明日も)

お疲れさん。
走り終わった後は、応援です。
応援し、応援される。
いい世の中だね。
足を引っ張る人もおらん。

最後の一人まで、キッチリ応援しました。
走り行く背中へ。
最後の一押しのエール。
一人じゃねぇんだ、とわっしょいわっしょいと騒ぐ。
僕らの応援は、ゴールの少し手前で終えます。
何故ならば、ゴールはご自身の力でするものだからです。
僕らは、
「僕らのおかげで完走できただろう。」
なんて思うことはない。
少し手前でやめて、数秒、見届ける。
ゴールした直後の拍手は、全て走り抜いたその人へ贈られるべきだから、何秒間か早く終わる。
マラソンのような人生。
人生のようなマラソン。
それを走りぬいたのは、その人だ。
周りではない。
それが分かっているから、僕らはメシが美味いのです。
人の頑張りの結末を、足を引っ張ることなく「見届けた」からメシが美味いのだ。
これは。
僕なりの嫌味です。
これから嫌味を書きます。
熊本や大分で起きていること。
それに対する動き方。
その動き方に対しての言動。
「頑張るのは、最後は本人。」
これが僕のモットー。
人の人生に関わるってことはね、そんな簡単なことじゃねぇんだよ。
とりつかれたように、熊本のことを知ろうとしてしまいます。
見なければいいのに、フェイスブックなどのSNSを見たり、ニュース記事を読んでいます。
Twitterなんかも見たりします。
やっぱり、いつも不思議なのは外野なのに、外野同士で「敵意」がどこかにあるということ。
ムカつきの対象が、自然ではなくて人になっているということ。
悲しみよりも、怒りは幾らか役に立ちました。
でも、それはその場にいる人達が何かを乗り越える為のもので、僕らが周りでヤイノヤイノと言うことに使うためではないと思う。
どっちにも言いたい。
どっちにも。
意味わかる?
まず一方。
当時も言いましたがね、被災地って地名はねぇし、被災者って人もいねぇんだよバカ野郎が。
一番乗りの旗が欲しかった「バカ福男」に皆が呆れたというのがベースにある。
実際は違っていても、そう見えたのだろう。
「あ~あ。行っちゃった。」
という声が広がったからね。
物資物資言ってんのも気持ち悪いんだっつぅの。
なんだ物資って。
聞き慣れねぇ言葉は癪に触る。
ゴハンを買って、持っていくだけだろうがバカが。
物資が足りません物資が足りません。
うるせっつぅの。
経験したことねぇような災害があって、二、三日飯もねぇ電気もねぇ水もねぇなんてのは当たりめぇだろうが!
だから備えておけって言われてんだろう普段から。
(それを忘れた俺たちもさらに上を行くバカだがね。ハッとして、また備えを見直したわい。)
物資が足りません物資が足りません物資が足りません。
分かってんだよバカたれ。
やること探してんなら、仕事しろ!
行ったって、やることはいっぱいあっても普段から居場所のねぇ奴に、やっぱり居場所なんてねぇからな?
居場所は、普段の生活の中で見つけるものだよ。
家に帰る。
実家に帰る。
職場に行く。
友達と遊ぶ。
それ以外の居場所なんて、そんなにいらねぇし。
もう一方。
足の引っ張り合いのように騒ぐのはやめませんか?
『正義』ヅラして、必死に叩いてる姿は言葉遣いも含めて未熟な人にしか見えないし、みっともないし、かっこよくない。
俺たちは普段の生活の中に「震災」があったから戦った。
先輩面してんじゃねぇよ、くだらねぇな。
やるべきこと。
やんなきゃいけねぇ時は、目の前にドカンと来るし、来なきゃ「今回は出番はなかった」でいいじゃない。
なによりじゃない。
善だの偽善だのどうでもいいぜ。
はい、嫌味おしまい。
やっぱり。
終わってからの、おにぎりが美味しかったなぁ。
人を応援するぐらい、誰でも出来る。
やらんかね?
僕らと一緒に、生きていかんかね。

はぁ、終わった終わった。
明日もマラソンの応援。
明日は風土マラソン。
登米に行く。
