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僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

ざわざわ

2025-03-11 23:56:00 | 日記
朝から出来る限り静かに過ごしてた。
おにぎりを作って息子と食べ、少し作業をしてから僕は墓参りへ。


ゆきえさんの実家では、相変わらず外犬が飼われてて少し汚い(笑)


「毎年、ありがとう。」
「いや…」
「もう、あなたぐらいだよ、来てくれるの。」
「そうですか。大丈夫ですよ。人類最後の一人になっても、俺は来ます。」

誰も見てなくてもやれる人こそが本物だ。

しかし、そんな感じはしなかった。
お墓には誰かが来てくれてる気配がある。
みんな来てくれてるよ。

もう、47歳になっちゃうよ。
あなたは34歳のままだねぇ。

悲しすぎて誰にも先に死んで欲しくなかった。
だけどね、考えを改めた。
こんな僕でも死んだら寂しがる人がいるなら、僕が後から死のうと思う。
1日でも長生きして、寂しい想いはさせない。

この子らも同じ。
看取ってから死ぬ。


人類最後の一人に僕はなる。

どうせ死ぬなら、生きてやる。
しかもだ。
楽しく生きてやる。

それのどこが悩みだよ、くだらねぇ。


塩むすび

2025-03-11 10:12:00 | 日記
夢を見て、目が覚めました。
今日が3月11日だからでしょうか?
違うと思う。
ずっとそんなストレスがあったんだと思う。
すっかり寝られてないんだろう。
この子らが気を遣ってくれてるのも分かる。


手の中にあるような思いでいたものが、するりと指の間をすり抜けるような。

当たり前であることなんて、この世に一つもない。

備えていなかったことを、どれだけ後悔したか忘れちゃいけない。
忘れながら生きていかなきゃいけないけど、忘れちゃいけないことの方を忘れるのは「バカ」だから。

今日は塩むすび。

息子の進学も決まって、あべてつのとこの娘の進学も決まった。

息子のことを思うと受かるのも一つ。
息子のためを思うと落ちるのも一つ。

それでも、君が行きたい方向へ足を踏み出したのはいいことなのは間違いない。

あと何回も君とご飯を食べることもあるまいね。
それでも、今日は塩むすび。

あの頃の意識を奮い起こせ。
あの頃の記憶や感情は、しまっておきます。

それと、あの時言いにくかったお金のことは、僕ら周りが言わなきゃいけない。

大船渡のこともあります。

どんなことも他人事ではなく、喜びも悲しみも自分事として受け取れたら、それは素敵な人だろうね。

直後にワーーーーーって沸騰するのは結構簡単。
継続するチカラを、僕は保ちたいです。

⚫︎七十七銀行(しちじゅうしちぎんこう)
【支店名】栗生支店(クリユウシテン)
【店コード】294
【預金種目】普通
【口座番号】5061695
【口座名】一般財団法人 スコップ団

その他の口座
⚫︎ゆうちょ銀行
記号 18170
番号 8409961

3月10日

2025-03-10 13:58:00 | 日記
10年目の時に、ほぼ日に寄稿したことがありました。
何も変わっておらず、今年になりました。
父が亡くなり、チバユウスケが亡くなり、八代亜紀さんもいない。

ドンドンみんなが亡くなっていくけれど、僕の周りもドンドン変わるけれど、僕らは今のまま。

今年は、今日も明日も僕らは穏やかに過ごせそうです。


穏やかに、穏やかに。




他人事とは思わず、スコップ団が考える「防災意識」を忘れることなく、どうかつまらないことで腹を立てるようなことがないように、穏やかにお過ごしください。

以下、10年目の時のほぼ日の掲載記事です。

その当時、僕は33歳になる歳でした。今は当然ながら43歳になろうとしています。

10年は、あっという間に過ぎました。なにが正しかったのだろう?」と自問することが多いです。できることを、ちゃんとしたのかな?」そんな風に考えることも多いです。

悲しみや辛さ、悔しさや憤り。

今なら流せるようなことも、当時はできませんでした。結局のところ、若過ぎた僕の中では何も上手にできなかったと思います。

捨身で手を伸ばしても、救えないものがいっぱいありました。いくら表現しても伝わらないことがいっぱいありました。言動や行動が裏目に出てしまうこともありました。失敗や後悔もたくさんあります。

一年は10日が36回だと、亡くなった友人が言っていました。

あれから10日がおよそ360回。

どの日も「捨てず」に、1日ずつ最高の日にしようと思っています。

楽しさを見出し、できないことに気を取られずに、できることを。

疲れることもあります。面倒だなぁと気が重い日だってあります。それでも、大切なことを大切にできる人になること。それは案外大きなものではなくて、小さなものなのかもしれないと注意しながら、できることをしていくぞと思っています。

想像力を働かせても未来は分かりません。想像できないようなことも起きたりします。

でも、僕は想像力さえあれば、無限の力を発揮できると信じています。

想像力の先に思いやりがある。

そのことを信じ、なににも屈することなく、決して諦めず、戦いの心ではなくて優しさのような心で生きていきたいと、今はそう思うのです。



へんてこりん

2025-03-04 07:29:00 | 日記
変な話。

変でもなんでもない話を、
「変な話…」
と前置きしてから話し始めるおじさんがたまにいます。

そんなおじさんが好きです。

(あったま悪りぃなぁコイツ)って思いながら、
同時に(かわいい奴だ)と思ってる自分がいます。

「変な話、他にはまだ言ってないんだよ。」
(変じゃないじゃん。)

「変な話、すごく美味しかったわけ。」
(全然、変じゃないじゃん。むしろ結構なことじゃん。)

言いたいだけなんだろうね。

そのうち言ってやろ。

変じゃないじゃん!って言ってやろ。

ソーレ。
お風呂大好き過ぎて、お風呂の前で待ってます。




青空

2025-02-17 19:31:00 | 日記
京都マラソン。
毎年ずっと参加してきましたから、いろんな思い出があります。
ある年は青空応援団がポスターの表紙になったこともありました。
天一でラーメン食べたり、なんとかっていう天満宮を見てまわったり。
色んな思い出があります。
そして、素敵な最後の思い出も出来ました。

応援団結成当初の懸念材料は、
「応援の依頼ってあんの?」
というものでした。

結果からすれば、メチャンコありました。
世界からも日本中からも。
依頼はメチャンコありました。

青空応援団にはたくさんの団員がいます。
僕はたくさんの人生と共に生きて、少しの間だけ同じ目的で集まって、またそれぞれの人生に戻っていく。
そのような12年を過ごして来ました。
飲み会なども殆ど開催せず、家族や仕事を最優先した活動を目指しました。
練習が終わったらまっすぐに帰る。
応援が終わったらまっすぐに帰る。
そんなストイックな活動でした。
もう、僕らは13年生です。
自分で言うのもなんだけど、こんなに長く学ランを着た人もいないだろうし、こんなに多くの人にエールを送った人もいないと思う。
僕らには「エール」という武器がありました。
エールという表現ではなく、ちゃんとそこには武器がありました。

その武器で倒す相手はその人の中に潜む怠け心だったり、周りからの雑音だったり。

京都マラソンの応援がはじめて決まった時、嬉しかった。
「フレフレ京都」
そんなことを言える日が来るなんて、田舎の高校生応援団が当時は思うわけもなく。

「ガンガン一高」と母校の名前しか言えない高校の応援団から、
「フレフレ宮城」や「フレフレ東北」と確実に対象が大きくなって、いつかそれは「フレフレ日本」となって世界やオリンピックの応援に行ったり来たりラジバンダリ。

震災後の活動。
スコップ団は本当に嫌だった。
無くなればいいと思ってやってた。
自分たちは本当はいない方がいいんだと思ってやってた。
色んな人たちが駆け抜けていった気がする。
それでも、やらなければいけなかった。
ずっとやり続けなくちゃって思った。
心を凍らせてスコップで片付けをしていました。

(これからは支援ではなくて、応援に切り替えなくちゃ。)

ある日そう思って、アベテツに相談した。
「応援団やろう」
そんな話から始まった。

「青空応援団」はなにもなかったんです。
当たり前だけどエールもないし、応援歌もない。
旗もないし、なんなら学ランもない。
団員もいない。
そもそも、依頼もない(笑)

あるのは、気持ちだけだった。
「俺が、ずっと応援する」
いつでも、ずっとその気持ちだけを持ち続けなくちゃいけなかった。
心を笑われてズタズタにされることもあった。
人を信じて馬鹿を見ることもいっぱいあったし、
「なんでこんなことしなくちゃなんねぇんだよ。」
と思うこともいっぱいあった。

「男が決めたことだろうがよ」

なにがあってもやり抜く意思と、いつでも「鍛えておく」という鉄の意思、この考えだけは絶対に曲げないぞという固い誓いみたいなもので生きてきた。

青空は、
「君のことを笑う奴を応援してくるから、待っててね。」
そういう応援団だった。
「そうすれば君のことを笑う暇なんて、ソイツにはなくなるじゃんか。」
それが狙いであり、理想だった。

みんなが幸せであれというより、本当は、みんなが自分のことに一生懸命であればいいだけなんです。
誰かに親切にするなんて当たり前のこと。
手伝えることがあるなら、無理のない範囲で。

言いたいことは、僕らに対しても同じ。
僕らも自分のことに一生懸命であるべきだと、やっと分かったということ。

人生はたぶん、本当に短いから。
信じてくれる人と過ごさなくちゃならない。
信じられる人を命がけで護らなくちゃいけない。
その人と様々な場所に行かなくちゃならない。
その人をずっと笑顔にしてあげなくちゃいけない。

ストレスフルな人は、マジでもういい。

僕と阿部副団長は、青空応援団を引退することにしました。

それは「信じる者」であり続けるためにです。

人助けに理由はいらないし、応援はその人を信じるバカモノであればよい。

人助けにオンオフがないように、応援する気持ちにもオンオフなんてあってはいけないよ。

僕たちは団長、副団長ではなくなるけれど、これからも信じ続け応援し続けるのだと思う。

もう少し自分や周りとの時間を大事にしながらね。

昨日の京都マラソンがスポーツの応援ではラストエール。

3月1日の富谷高校の卒業式の応援が本当にラストエール。

僕らの最後のイベントはいずれ発表します。
今は良くても、未来の自分はどうなるか分からない。
誰かの応援が必要になる時は「絶対に」来る。
僕らのエールが未来の自分に必要であれば、どうぞエールを撮影して未来に、未来の自分に我々のエールを持っていってください。

それも、備えであると僕は思います。

備えあれ。

そして、死ぬまで頑張れ。

初代青空応援団は、現在応援の依頼を全て締め切りとさせて頂いております。

もう、僕らのエールは誰も受けられない。
チャンスは、もう、殆どないのです。

でも、全てのことが、なんでもそうなんです。
どんなことも、そうだったんです。
父さんに頭を撫でてもらいたかった。
「頑張ったね」って。
でも、出来ない。

大切に生きてください。

昨日の京都マラソン。
数年ぶりに小南団員が来てくれた。
それだけで、そんなことだけで俺はアガる。
最後だから、太鼓をぶっ壊すぐらい叩いてやれ。
そんな始まりから、一瞬でバチが折れて。
とにかく、ずっと声を出してあっという間に終えました。

小南が旗を振ってるのを見て、涙を堪えるのが大変でした。

澤さんが帰り際に、
「青空応援団で良かったです。」
と涙ながらに言ってくれたことが嬉しくて、涙を堪えるのが大変でした。

マルさんが空港で、
「今までお疲れさまでした。ありがとう…団長。」
と泣いてしまって、涙を堪えられませんでした。

ナイスエールだった。

ずっと一緒だった佐々木さんの太鼓。
それを支えるクマのビート。
バシータの通る声。
辻君の真っ白なまっすぐさ。
ヨコシンのスカポンタン。
潤の安定感。
南の不器用さ。

全部愛してる。

京都マラソンで、素敵な思い出がまた増えました。
お前らがいると、アガるねぇ。

今までありがとう。
俺がいるだけで、アンタの気持ちがアガるなら。
声かけてくれ。

今までありがとう。

アンタの心の傘になりたかった。
傘に、俺たちはなれたかな。

今まで、ありがとう。

青空応援団 団長 平了