電影宣伝自由人

香港映画を中心にしたアジア映画のよもやま話などを紹介

阿羅漢

2006-06-15 20:31:14 | Weblog
この前の1月12日に発売された、キングレコード発売のショウ・ブラザースDVD『阿羅漢』のデジタルリマスター版を監修しましたが、これはすごく豪勢な内容になっています。2枚組にしていますが、デジタルリマスター版と日本公開版(これは上映時間が違うため)、なおかつ東和版の字幕(役名を勝手に変えている)と新訳の字幕、そして東和の倉庫に眠っていた当時の劇場予告を特典に入れるなど、できるかぎりの仕様にしました。それ以外にも当時のポスターやチラシ、プレス等、ギャラリーにも入れられるだけ入れてますので、もうこれ以上は何もできないくらい豪華なソフトになっています。うちにあった資料をいろいろ提供したのですが、資料倉庫をごそごそと探していたなかに、この『阿羅漢』の特集を組んでいた香港の雑誌が出てきました。
表紙はにこやかに握手するリンチェイとラウ・カーリョン師父。雑誌のなかでは、撮影風景やそれにともなった現場紹介の記事など、当時の映画の資料としてはすごく貴重なものです。この時代の中国ロケは、悪状況の現場に慣れている、あの香港のスタッフでさえもうんざりするくらい、最悪な状況だったと聞きました。指示しても動かない、勝手に休んでしまう等々、一筋縄ではいかない現場だったそうです。
さて、先だってのラウ師父とのお茶しながらのアクション談義のなかで、リンチェイの『SPIRIT』の話となったのですが、「あのアクションはなんなんだ~」とお怒りの様子でした。「あんな剣の持ち方はない。リアリティがなさすぎる。」と身振り手振りでアクションを熱く語るラウ師父の姿を、私は見入るばかりでした。

「ゴッド・キャンブラー」日本公開版

2006-06-14 22:55:19 | Weblog
今、日本で発売されている「ゴッド・ギャンブラー」のDVDには、完全版と銘打っています。これは、販売元のクロックワークスからこの作品の協力を受けた際に、日本劇場公開およびSPOで発売されたビデオ版は、一部カットされていると伝えたからでした。
これはどうゆうことかと言うと、「ゴッド・ギャンブラー」が日本公開される際にに、2時間を越えているこの作品の上映時間が長い、また劇場での上映回数を考えたうえで多少カットして2時間を切る上映時間にしたい、ということで、配給側でカットしたのでした。こういったことは、昔のインディペンデントの配給会社ではよくやっていて、私の経験では、アメリカ映画に『DCキャブ』という作品があったのですが、アメリカではカットしていた、主題歌を歌うアイリーン・キャラが、劇中に登場してホワイトハウスで歌うというシーンをわざわざその部分の権利のお金を出して、日本で物語のなかに入れ込んで公開した、というようなこともしていました。
今ではそんなこともしなくなりましたが、昔は日本だけでなく、台湾や他の国においても、いろいろな理由において映画をいじっている話は多々ありますが、この話はまた次に。

撮影現場

2006-06-13 14:00:06 | Weblog
以前、ツイ・ハーク監督と交流があった頃、香港に行って彼に連絡すると、食事をしようと言われて、夕食を共にしていました。レストランに行くと、ツイ・ハークだけでなく、奥さんのシー・ナンサンやスタッフ、はたまた俳優がいたりもしました。
ある夕食の席で、「今、撮影やってるけど見に行く?」と言われて、スタッフに連れていかれたのが、『スウォーズマン 女神伝説の章(東方不敗)』の現場でした。場所は新界の山の中、季節は12月、いくら香港といえども、夜は肌寒いです。現場に着くと、そこにブリジット・リンがいました。彼女がカメラに向って目を見開いて睨むというシーンを撮っていました。でも、監督のチン・シウトンと言い争いの喧嘩をしています。何度も撮り直しをしていて、なかなか終わらないことに彼女が怒っているのかと思いきや、実はある理由で怒っていたのです。そのシーンは、夜の森の中でもやが立ちこめているという設定なのですが、そのもやを作るのに、ドラム缶のなかに入れた木を燃やした煙でもやを作っていたのです。皆さんも経験があると思いますが、燃やした木の煙は涙が出るほど目が痛くなります。そんな状況で目を見開いたシーンを何度も撮っているわけですから、彼女の怒る気持ちはよくわかります。でも、そこは彼女の女優魂というか、カメラが回っている時はまったく涙も出さずに、彼女はカメラを睨みつけています。そして監督の「CUT」という声が聞こえた後に、目から涙が溢れ出ていたのです。それを見た時に、女優ブリジット・リンの仕事に対しての凄さを感じたのでした。
その後、映画を見たら、ちゃんとそのシーンは使われていました。皆さんもこの映画を見る機会があったら、ぜひそのシーンを注目してみてくださいね。

スタントマンはすごい!

2006-06-12 23:20:40 | Weblog
香港映画の凄いところは、アクションシーンの派手さです。そのアクションを支えているのが、スタントマンの面々です。最近では、このスタントマンになりたいと思う若い人たちが減っていて、業界ではけっこう問題となっています。昔だと、ジャッキー・チェンを代表するように、スタントからスターになったスタントマンは数多くいます。しかし、今の若者たちは、これも日本も同様ですが、楽して儲けたいと思っている人が多くなったので、なり手が減っているわけです。
確かに、昔の香港映画を見てると、スター、それも女優でさえも命を失うかもしれないようなアクションをこなしていますが、裏方に徹しているスタントマンは、怪我は当たり前、なかには命を失ったスタントマンもいたようです。
『ファースト・ミッション』の宣伝をしていた時のことです。宣伝と同時進行で撮影が行われていたので、たくさんのラッシュフィルムやメーキングフィルムが日本に届いていました。ある日のことです、その日に届いていたのは、映画のクライマックスシーンである、建設中のビルの上から爆発と同時に数人の人間が落ちて行くという、最大の見せ場シーンのラッシュフィルムでした。たぶん6台ほどでしょうか、いろんな角度からカメラが備え付けられており、セッティングの様子も撮られていました。ちょうどスタントマンが落ちるあたりに、スタッフたちが何かを山積みにしています。よく見たら段ボールを2階のあたりまで山積みにしているのです。「え、まさか、この上に落ちる?」そうなんです、エアマット代わりが段ボールだったのです。
段ボールに白い布をかぶせ、セッティング完了。そしてついに爆発とともにスタントマンたちが落ちていきます。段ボールの上に落ちたスタントマンたちのそばに、スタッフが急いで駆け寄ります。2人のスタントマンが落ちる位置がずれたために、起き上がることができません。スタッフたちが怪我をしたスタントマンを救急車に運びます・・・この映像を見た時に、香港のスタントマンは凄い!と思いました。
こうゆう命がけのアクションをスタントマンたちが支えていることで、香港映画のアクションは成り立っているといっても過言ではありません。

懐かしい写真2

2006-06-11 20:32:52 | Weblog
今日の懐かしい写真は、『悪漢探偵』で来日したシルビア・チェンの記者会見写真です。彼女は今も台湾で、女優だけでなく、監督やプロデューサーとして活躍していますが、男優主義の香港映画界で、女優の地位を向上させていった一人でもあり、1990年代に入って未婚の母になって騒がれたりと、香港映画界でも先進的な考えを持った女性としても有名です。
1980年代のシネマシティ作品を支えた一人で、ドル箱シリーズとなった『悪漢探偵』の重要なキャラクターである女警部ホー役は、まさに彼女じゃなければ務まらなかったというくらいのハマリ役となっています。で、この記者会見の彼女ですが、なんと映画の衣装ともいうべき婦警スタイル!昔の映画宣伝って、こんなことまでスターにやらせていたわけですが、そこまでやらせる当時の東宝東和ってすごいですねえ(今だったらスター側に怒られちゃいますが)。制服マニアが萌え~となるような写真ですが、スカートから出ている脚がなんともセクシーですね。

DREAM CUP RACE 89

2006-06-10 19:56:59 | Weblog
ついにワールドカップinドイツ大会が始まりました。ちょうど4年前の今頃は、『ファイティング・ラブ』の宣伝をしていたのですが、ウイルス性結膜炎にかかってしまい、1ヶ月ひどいめにあってました。
さて、サッカーというと、香港もサッカー人気があって、古くは『チャンピオン鷹』、そして4年前のワールドカップの時期には、日本でも『少林サッカー』が公開されて、大ヒットを飛ばしてました。で、思い出したのが、昔、日本と香港の芸能人の友好サッカー大会が開催されていたなあと、資料庫をごそごそしていたら、サッカーのパンフではなくて、車レースの方のパンフレットが出てきました。
パンフを読むと、このDREAM CUP というのは、第一弾が1987年3月14日に開催され、明石家さんま率いるザ・ミイラとジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、アラン・タム等、香港芸能人とが、友好サッカー試合を行ったのが最初でした。続く第2弾は1988年3月26日に開催され、日本チームはビートたけし&たけし軍団、香港芸能人チームは、前回と同じジャッキー・チェンを中心とした香港明星チームとの対戦でした。そして第3弾はまったく違うイベントだったのですが、第4弾は1989年5月28日にカーレースとして行われ、再び日本の芸能人と香港映画人のチームがサーキットレースで火花を散らせたのでした。
日本のチームは、岩城滉一率いるTEAM IWAKI、所ジョージ率いるTEAM TOKOROS FACTORY、哀川翔率いるTEAM AIKAWA、三原じゅん子率いるTEAM MIHARA等々、23チームが出場。対する香港は、ユン・ピョウ率いるTEAM YUEN BIAOは、ユン・ピョウ、ドライバーがイー・トンシン(爾冬陞/現監督名デレク・イーで、当時はまだ俳優で活躍していた)、チン・シウホウ(銭小豪)とチン・カーロッ(銭嘉楽)の兄弟コンビ、アラン・タム率いるTEAM ALAN TAMは、アラン・タム、ドライバーがモク・シウチョン(莫少聡)、アンディ・ラウ、シン・フイオン(成奎安)、ラム・ファイオン(林輝煌)というメンバー、そしてチョウ・ユンファ率いるTEAM CHOW YUN FATTは、チョウ・ユンファ、ドライバーにロイ・チョン、トミー・ウォン(黄光亮)、監督のジョセフ・チー(朱継生)という面々。これ、今考えるとすごい面々が集まっていたことになりますし、よく日本でこんなイベント開いたなあと思います。(これもバブルのおかげ?)当時はテレビ朝日で放送されたようなので、どんなカーレースだったか見てみたいですね。

ハリウッドで活躍する日本人スタントウーマン

2006-06-10 01:23:12 | Weblog
映画誌ロードショーに、“ハリウッドで活躍する日本人”を紹介するページがあるのですが、今月はスタントウーマンとして活躍する西脇美智子さんが紹介されていました。
西脇さんは、1980年代に「ボディビル界の百恵ちゃん」と呼ばれて人気を博した方なのですが、『大福星』でジャッキー・チェンと共演し、それをきっかけにして香港映画界でアクション女優として活動していました。その後、ハリウッドへ渡り、『チャーリーズ・エンジェル』でルーシー・リューのスタントインを務めて、今では人気のスタントウーマンとして活躍しています。
西脇さんのその記事を読んだ時に、1度だけお会いした時のことを思い出しました。それは『ファースト・ミッション』の宣伝キャンペーンでのことでした。確か、2日目の夜だったと思います。六本木で食事会をした後に、二次会へ行くということで、ロアビルにあるディスコへ行ったのでした。場所は現在のシネマート六本木のそばなのですが、当時はビルごと全フロアーがディスコという名物ビルでした。ジャッキーには、日本の“五福星”なる5人組がいて、そのうちの一人が東宝東和の名物宣伝マンであったヒゲの宣伝マンこと故・飯田さんでした。この5人組は、ジャッキーが来日した際は、全てセッティングをして歓待していた仲間だったのですが、その2次会のディスコも彼らがセッティングしていました。私はまだかけだしの宣伝マンで、右も左もわからないのに会社命令で「最後までジャッキーに付いていろ~」と言われていたので、その2次会にもついていったのでした。
ディスコに着くと、なんとお客が誰もいません。そうなんです、ジャッキーのために貸し切りにしていたのです。とにかく薄暗い店内に席まで行くと、そこに西脇さんが座っていました。『大福星』で共演した後だったので、ジャッキーが来日しているから遊びにおいでよと、五福星が西脇さんに声をかけたようでした。
とにかく、お客さんは、私たち10人しかいません。その中でわけがわかんないは私一人。そんな私に飯田さんが気をきかしてくれて、西脇さんに「彼と踊ってあげてよ。」と言ったのです。それではと西脇さんから踊りましょうと言われ、私はなぜか西脇さんとチークダンスを踊ったのでした。でも、初めてのスターのアテンド仕事で緊張しまくりだったので、何をその時話したのかは今でも思い出せません。
今ではハリウッドでスタントウーマンとして活躍している西脇さんのその記事を読んで、そのキャンペーンの思い出が甦り、すごく懐かしく感じたのでした。
ところで、この二次会のディスコでは、もう一人意外な人物がいました。私の隣に座っていた男性を、最初は暗かったので誰だかわからなかったのですが、次第に目がなれてよく見たら、なんと「Mr.Boo」ことマイケル・ホイでした。西脇さんがいたこと以上にびっくりしましたが、彼がなぜその時東京にいたのかは、今でも謎です。

JCパチンコ台

2006-06-09 02:41:37 | Weblog
最近のパチンコ業界は、タレントやアニメ化されたコミックや、はたまた映画をテーマにしたパチンコ台を次々に発表しています。最近のヒット台は、女性にもすごく受けた「CR冬のソナタ」ですが、これはドラマを見ていない人でも、当たりが出て玉をたくさん出している間に、各回のエピソードが紹介されるので、ついつい見た気になってしまい、ドラマも見てみようかという気分にさせられます。
他に出たキャラクター台といえば、ブルース・リーがあり、当たりが出ると『ドラゴンへの道』が流れていました。それから、『スパルタンX』という台もあって、当たりが出ると同映画の映像が流れるので、それ見たさについつい散財することもありました。
と、パチンコ台の話をしていますが、さっきテレビのCMでジャッキー・チェンが出てくるものだったので、何かなと思っていたら、『CRジャッキー・チェン』という、ジャッキーのキャラクターのパチンコ台のCMだったのでした。
こういうパチンコ台が出てくると、ファンの人にとっては一家に1台おいておきたいと思っちゃうでしょうね。

業界内情報

2006-06-08 14:35:44 | Weblog
角川ヘラルド映画が2006~7年度のラインアップを発表しました。
アジア系作品の情報としては、以下の作品が待機しております。

○中華圏
『幻遊伝』
監督:チェン・メイウェン 出演:田中麗奈、チェン・ボーリン
渋谷Q-AXシネマほか 8月

『ウィンター・ソング』
監督:ピーター・チャン  出演:金城武、ジョウ・シュン
みゆき座ほか全国東宝洋画系 今秋

『ドジョウも魚である(原題)』
監督:ヤン・ヤーチョウ  出演:ニー・ピン、ニン・ダーホン
2007年公開

○韓国映画
『グエムル-漢江の怪物-』
監督:ボン・ジュノ 出演:ソン・ガンホ、パク・ヘイル
有楽町スバル座ほか東宝洋画系 9月2日公開

『王の男』
監督:イ・ジュニク  出演:カム・ウソン、チョン・ジニョン
恵比寿ガーデンシネマほか   2007年正月第1弾(つまり2006年12月)

『国境の南』
監督:アン・パンソク   出演:チャ・スンウォン、チョ・イジン
2007年公開

○カンヌその後
いろんな会社からいろんな情報を聞いていたところ、いくつかの作品が買い付けされました。
『龍虎門』に関しては以前にもお知らせしましたが、某社が大金をはたいて買ったといわれているのが、金城武とトニー・レオンの『傷城(原題)』です。それからジョニー・トーの現在編集中の本当の最新作(私たちのなかでは『ミッション2』と言っているあの作品です)も、ジョニー・トー好きの某社買い付け担当がつばをつけました。あとは、ウォン・カーウァイが初めて英語圏で監督する『マイ・ブルーベリー・ナイツ』(原題)も某社が購入しましたが、この作品は来年のカンヌ映画祭で上映する予定になっているそうです。主演が歌手のノラ・ジョーンズ、ナタリー・ポートマン、ジュード・ロウ、レイチェル・ワイズと、ハリウッドの豪華スター共演とのことです。



クイズの解答パート2

2006-06-08 00:57:22 | Weblog
引き続き、先だってのクイズの解答です。

その6ですが、テレサ・テンが亡くなった時に、ジャッキー・チェンは哀悼の意を込めて、テレサに対しての思い出として、交際していたことを公式に話しました。これを聞いた当時は本当にびっくりしましたが、その後も彼女のことについてのコメントを、時々出しております。
でも、その後も女性関係に関しては、いろんなことを発言してますが、『神話』の韓国キャンペーンの記者会見では、大昔、映画撮影で韓国に来ていた時に知り合って、つきあっていた韓国女性がいたなどと発言しており、この発言もけっこうびっくりしました。

7、サモ・ハン・キンポーの競馬好きは業界内でも有名で、よくペニンシュラホテル1Fのカフェで、携帯から馬券を購入していたそうです(よく姿を見かけました)。彼は映画のヒットに恵まれない時期があってお金にも困っていた時に、大穴を当てて800万HKドルを手にし、それを元に映画を作ってヒットさせたということなのですが、本当の話かどうかはわかりません。

8、レスリー・チャンは、すごく肌の手入れに気をつけていて、『金枝玉葉』でのアニタ・ユン、『白髪魔女伝』のブリジット・リン等、共演した女優たちは、どうやったら美しい肌を保てるか、彼にいろいろと聞いていたそうです(あるライターさんがアニタ・ユンにインタビューした時に、彼女が語ったと聞きました。)ちなみに、コラーゲン話は非常に有名な話ですが、これ以上は書けません。

9、ジョイ・ウォンは、宮沢りえと共演した『華の愛』に出演するまでの一時期、半引退状態でしたが、1年ほど日本に住んでいて、新宿でパチンコしていたなどという話を、某ところの某女史から聞いて、まじにびっくりしました。

10、イーキン・チェンは、来日するたびに、池袋のゲームセンターへ遊びに行っているのは、香港映画ファンなら知っている有名な話ですが、このゲーオタ部分が、もしジジと別れた理由だったならば、 呆れられたということになるのでしょうか(あくまで私の想像です)。

ということで、いろんなお話がありましたが、いかがだったでしょうか。クイズというより、ネタ話だったですね。


クイズの解答パート1

2006-06-07 02:56:34 | Weblog
クイズの解答パート1です。

その1、現在も来日するたびに、ラーメンガイドブックを持って、あちこちのラーメン店に行くチョウ・ユンファとジャスミン夫人ですが、日本のラーメンにはまった最初の頃は、新宿アルタの裏にある日高ラーメンや桂花ラーメンによく行ってました。今でこそラーメン・ブームでガイドブックはたくさんありますが、15年前にはそんなものはなくて、ユンファ自身から、「この近所にラーメン食べるところはあるのかい?」と聞かれました。ちなみに新宿のラーメン店のことも本人に聞きました。

2、ジェット・リーに初めてあったのは、東京国際映画祭で上映された『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地黎明』の時で、ホテルのレストランでツイ・ハークに紹介されたのですが、その時は彼の回りが煙だらけっていう感じでたばこをふかしておりました。ただ、ヘビースモーカーだったのかはわかりません。

3、『クローサー』で来日したスー・チーですが、うちのスタッフが前を歩いているスー・チーの後ろ姿をみて「かわいい~」とつぶやいたら、振り返ってニコっと微笑んだそうです。この日本語は、彼女もよくわかっているようですが、日本に来日した女優は、だいたいこの単語は覚えて帰りますね。

4、ニコラス・ツェーの両親が昔の大スターだったために、子供の頃からジャッキー・チェンに会う機会があり。その頃からおじさんと言っていたので、今でもどうしてもそう呼んでしまいそうになると、ニコラス本人が語っていました。

5、『ジェネックス・コップ』のキャンペーンで、ニコラスとスティーブンが語っていた実話です。同じく『ジェネックス~』のシンガポール?のキャンペーンだったか、サムがなかなか部屋から出てこないので呼びに行ったら、彼は自分の部屋ではなく、他人の部屋で寝ていたという、サムらしいエピソードを二人の口から語られていました。

パート2はまた後ほど。

クイズ本当かなあ?

2006-06-06 10:46:31 | Weblog
クイズです。下記に書かれていることは本当でしょうか?

1、チョウ・ユンファは、ラーメンにハマった最初の頃は、新宿アルタの裏にある某ラーメン店によく行っていた。
2、ジェット・リーは、すごいヘビースモーカーだ。
3、スー・チーは、日本語の“かわいい”にすぐ反応する。
4、ニコラス・ツェーは、ジャッキー・チェンのことをおじさんと呼ぶ。
5、サム・リーは、宿泊したホテルで、知らない人の部屋で寝ていた。
6、ジャッキー・チェンは、テレサ・テンと結婚寸前までいった。
7、サモ・ハン・キンポーは、競馬で儲かったお金で映画を作った。
8、レスリー・チャンは、共演した女優から美容相談を受けていた。
9、ジョイ・ウォンは、日本に住んでいたことがある。
10、イーキン・チェンは、来日するたびに、池袋のゲームセンターへ遊びに行く。

セブンソード

2006-06-05 14:27:59 | Weblog
ツイ・ハーク監督の武侠片『セブンソード』は、久々にツイ・ハークらしいアクション作品でした。しかし、ショウ・ブラザース好きな私にとってのうれしかったことは、ラウ・カーリョン師父が出演して、年齢を感じさせないアクションを見せてくれたことでした。
香港映画界の歴史を紐解いていくと、クンフー映画のベースを作った最大の功労者がラウ・カーリョンなのです。特にツイ・ハークの功夫片を見ると、ラウ師父からインスパイアされているのがよくわかるくらい、香港映画に影響を与えています。そんなラウ師父とこの前の香港出張で会う機会がありました。それは、今手がけているショウ・ブラザースのDVD用インタビューをとるために、お会いしたのでした。師父と呼ぶのは、彼が本当に洪家拳の使い手で、あの黄飛鴻の直系の弟子にあたるからです。
3時間におよぶロング・インタビューを終え、まだラウ師父は時間があるというので、ホテルのラウンジでお茶をすることになりました。その時に『セブンソード』の話となりました。前に知り合いから、『セブンソード』を撮影した場所がウイグルで、12月が氷点下20度にもなったために、ラウ師父の健康のことも考えて、香港で一部を撮ったと聞いていました。なので、ここぞとばかりにラウ師父に撮影現場のことを聞いたのですが、彼曰く「本当に寒くて、映画で使われている剣は鉄でできてるんだけれど、寒さのためにドライアイスを握っているような状態になっていたんだ。」と話してくれました。過激なアクションシーンも、寒さのために身体が思うように動かなくなったとも言っておりました。
そんなラウ師父のツイ・ハーク評ですが、「彼はすごく上手に絵コンテを書くけれども、こんな風にアクションをやりたいといっても、マンガの世界のようなことばかりで、実際にそんなことができるわけないものばかりだ。」と、話しておりました。確かに、CGではできても、ラウ師父のような現実的な武術アクションを作り上げてきた人にとっては、マンガとしか言いようがないでしょう。
さて、ここにこられている皆さんの中には、ラウ師父のクンフー・アクションをご覧になられた方は少ないと思いますが、これらを見てからツイ・ハーク監督の『ワンス・アポン・ア・タイム 天地大乱』などを見ると、似ているところがあってよくわかると思います。
ちなみに『少林寺三十六房』は日本におけるラウ師父の代表作になっておりますが、私のおすすめとしては、『少林寺秘棍房』、『ワンス・アポン・ア・タイム英雄少林拳 武館激闘』、『少林皇帝拳』、『秘技・十八武芸拳法』、などなど、どれもクンフー映画の基本映画なので、お時間あるときは、ぜひ見てみてください。

ジョン・ウーが影響を受けた日本の映画人

2006-06-04 19:16:52 | Weblog
かねてからジョン・ウー監督は、子供のころから日本映画が好きで、故・深作欣二監督や故・石井輝男監督の作品が好きだと、公言しておりました。彼だけでなく、1960年代から70年代にかけて香港映画界で仕事をしていた映画人は、たくさんの日本映画を見ていました。それは当時、東宝や日活の劇場が香港にもあって日本映画が上映されていたこと、また日本の監督たちがショウ・ブラザースで作品を撮っていたことも大きな要因であり、香港人にとっての日本映画は、大きな目標でした。
数年前のこと、当時、仲のよい雑誌編集者から、石井輝男監督にインタビューする仕事を頼まれたことがありました。三鷹にある監督の自宅におじゃまして、1時間ちょっとインタビューしたでしょうか。それではありがとうございましたと、玄関に向かう途中の居間に、『男たちの挽歌』のレーザーディスクが飾られているではないですか。よく見ると、そのジャケットには、何か文字が書かれていました。
「監督、あの『男たちの挽歌』のLDは何ですか?」
「ああ、あれはジョン・ウーからもらったんだよ。何か書いてあるんだけど、中国語はわからないからなあ。」
そこに書かれてあったのは、ジョン・ウーが石井監督に対してのメッセージでした。
“私は石井監督の作品を中学の時に見てからの大ファンです。”そう書かれていることを石井監督に伝えると、「あ、そういう意味なんだ、うれしいねえ。」とニコニコしておりました。
ジョン・ウーが石井監督にそういったメッセージを送っていたことに、私はすごく感激しました。彼は本当に日本映画の影響を受けていたんだということがわかったということと、そして何よりも、日本映画を見て勉強して、自分のスタイルを作っていったジョン・ウーの、石井監督に対するリスペクトさがよくわかったからでした。

1999年秋

2006-06-03 23:42:13 | Weblog
秋といえば、東京国際映画祭に東京国際ファンタスティック映画祭と、渋谷の町が映画一色に染まります(現在はちょっと違いますが)。1999年の秋、この時ほど渋谷が香港に染まったことはありませんでした。東京ファンタの『ジェネックス・コップ』で、ニコラス・ツェー、スティーブン・フォン、サム・リー、『美少年の恋』でダニエル・ウーとテレンス・インの若手たちが、大挙として来日していたのですが、その渋谷にもうひとつのイベントで、香港芸能人たちが大挙として来日していたのでした。それは、『カンフー・カルト・マスター 魔教教主』『シティハンター』等、ウォン・チン監督の作品で広く知られている女優チンミー・ヤウ(邱淑貞)が、実業家と渋谷の教会で結婚式を挙げたのでした。その結婚式に約40人ほどの芸能人が出席していたというのです。
私は来日のアテンドでばたばたしていて、渋谷の町をうろうろすることができなかったのですが、後からいろんな知り合いから、イーキン・チェンを見た、とか、トニー・レオンとカリーナ・ラウがいたとか、レオン・カーファイを見た等々、本当かどうかわからないほどのスター目撃情報が耳に入ってきたのでした。
映画祭の時期というのは、映画と関係ない香港映画の監督やスターが来日していることがあるのですが、東京で結婚式を挙げた女優は、先にも後にもチンミー・ヤウだけだと思います。しかしながら、彼女はなぜ東京で式を挙げようと思ったのか、その理由を知りたいところですね。
あ、もう一つ忘れていました。映画祭の1週間後に青山で東京コレクションの香港デーというファッションショーがあったのですが、そのモデルにダニエル・ウーとカレン・モクがゲスト出演しましたが、なぜかお客でサム・リーが来ていたのには驚きました。確か先週宣伝キャンペーンに来て香港に帰ったはずじゃん、と、突っ込み入れたくなったほどでした(笑)