地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

拘置所の懲役囚

2021-06-03 22:39:10 | 日記

一生知らなくて良い話・・・

悪い事をして警察官や検察官に逮捕された場合に、警察官だと警察署の中に有る留置所で拘束され、検察官に逮捕されると拘置所に拘束されて取り調べを受けたりします。

検察官は法務省で、警察官は内閣府なので警察署は法務省の管轄外の為、そんな感じになっています。

ただ現実には便宜上、検察官に逮捕されても警察の留置所に留め置かれることが一般的です。

 

刑務所は有罪になり刑が確定した人が入り、拘置所は裁判を待つ人(未決囚)が入る場所。

これが一般的ですが、拘置所は死刑囚も刑が執行されていない人として入ることになります。

あまり知られていない事ですが、拘置所は懲役刑が確定した人も収容する場合があります。拘置所にいる未決囚は、その名の通り刑が確定していないので犯罪者と確定はしていません。ですから刑務所に比べて自由度は大きく、自分のお金で物が買えたり、下着も自分の物だったりします。 

だからと言って本人が自由に行動する事を許されている訳でなく、その人たちに代わって洗濯などを別の人がします。

刑務所なら懲役囚が懲役の作業として、炊事や洗濯の係をさせる事ができますが、拘置所の未決囚は懲役を言い渡されていないので、それを強制することは出来ません。

 

そこで登場するのが、本来なら刑務所に行く懲役囚の人達です。反抗的でなく、必要な作業の出来る人を選択して裁判所が決めます。

これねぇ~ 刑務所で何年も暮らすより、かなり楽ですね。(経験はないけどネ) 私の所に届く刑務所からの手紙と、拘置所からの手紙では、同じ懲役囚でもかなり違いますね。

刑務所では刑務官と囚人。拘置所では上司と部下。感覚的にはそれくらい違いますね。

 

作業でミスをすると懲罰が待っている刑務所ですが、拘置所だとミスをしても、こうするんだと教えてくれるらしい。

同じ作業をする人たちも、ある意味選ばれた人たちですから、平均して大人しく喧嘩になる事も無いし、最初から個室での生活らしく、自分の時間もとれるというのです。 これは刑務所とは大違いです。

 

たぶん一人もいないと思いますが・・・

もし、私のこの日のブログを見て下さった人の中に、身内で刑務所暮らしの人が居るならば参考に・・・

ある男が薬物と窃盗で7年6月の懲役刑を受け服役しました。

その男が刑の満期を迎える1年ほど前に、内縁の妻を身元引受人として仮釈放の申請を勧めようとしていた。

ところが刑務所の所長の許可が下りなかった。

直ぐに男は身元引受人を私に代えて申請すると満期より10ヶ月早く仮釈放で出所しました。

内縁の妻と私とで大きく違う点は手紙の内容にあったと思います。

私は当初より身元引受の可能性を考え、男から来る手紙の返事には必ず入れていた文言が有ります。

「早く出たい気持ちは解るが、決して焦らない様に。私の方は何時でも引き受けはするので、安心して日々の生活を着実に送ってください」

文言は少し変えますが、同じ趣旨の事は必ず書いています。それは相手に言っているのではなく、手紙を見る刑務官に言っているのです。

・刑務所の生活を真面目に務める様に。

・引受人の意思は変わらない。

この二つを何年にもわたって言い続けている事で、懲役囚に仮釈放を与える根拠を1つ作っているのです。

刑務官の進言により所長が判断する仮釈放。 通常の根拠とは別に1つ有るのは大きいんです。


普賢岳の火砕流から30年かぁ~

2021-06-03 12:41:26 | 日記

火山の噴火による災害は2014年の御嶽山の記憶が残っていますが、、、

この雲仙普賢岳の火砕流のインパクトは強烈でした。

 

火山帯の無い四国・徳島で生まれ育った私には、火山による地震・降灰などの実感が無く、むしろ温泉・観光地のイメージが強くあり、そこで人が亡くなるなんて、、、考えもしていなかった。

 

多くの犠牲者が出た普賢岳の火砕流は1991年6月3日に発生しました。

普賢岳の噴火はそれより半年ほど前の1990年11月17日です。 この半年が被害を大きくしたかもしれません。

地元の人達もマスコミの記者たちも、半年の経過を経験して

「この噴火は、、、こんなもの、、」と心の何処かで思っていたのかも知れません。

観光客の多い雲仙での火山噴火ですから、それを見たさに人は増える、、、

こんな大災害になるとは誰も思わなかったし、、、私もその一人でした。

 

大阪に住んでいた時だった、当時の嫁と犬を連れて長崎まで普賢岳の噴火を見に行きました。

長崎に着き、交際の有ったタクシーの運転手が私たちを乗せて案内してくれました。地元の人でタクシー運転手とくれば、安全で視界の良い場所で人が少ない・・・いわゆる「あなば」です。

ところが、、、後で考えると「安全」な場所ではなかった。 多くの死者がでた深江町のなかを通り「安全な場所」に行くのですから、ほぼ自殺行為です。

 

火山噴火後に、、、

一定期間、噴火が安定していた事と、溶岩の粘度が強く見える所まで流れなかった事が大きな問題だった。

 

流れなかった溶岩が大きく溜まり塊となっていた。そして、半年後で今から30年前の6月3日にその下から強い力で噴火が始まり、固まっていた溶岩を吹き飛ばし、一気に流れ出したんです。

その温度は1000度近く、流れ出る速度は時速100kmにもなった。

その映像はほぼタイムリーで全国に放送され、画面からでも恐怖は想像を絶していました。

 

これを予測していた人はほゞ存在しなくて、安全な場所とされた所で多くの人が亡くなりました。

地元の警察・消防団や他から来た記者たちも規制線を守り取材していたのに被害に遭ってしまったんです。

 

その数か月後に再度行った時は、、、以前の光景とは全く違っていました。

火砕流が流れた跡形がその時の惨状を語っていて、それを見ただけでゾッとしました。

もし、、、あの流れの先に居てたら・・・想像するだけで恐ろしい。

そんな恐怖を味わいながら亡くなった人たち、、、故人のご冥福をお祈りします。