神戸市のマンションで24才の女性が刺殺された事件。
逃げていた30歳代の男が逮捕されましたが・・
「刃物で刺したのは間違いないが、殺すつもりだったかは解らない」
男の供述で最初に出てきた言葉がこんな風だった。
見た目で誰にでも解る刺したことは認め、他人からは断定できない心の中のことは「解らない」と。
これ、殺意の有無で受ける罰は天地の差があります。その事をよく理解しての供述です。
この言葉を聞いた時に「前」が有るなと思った。
自分が殺人犯として裁かれる立場になると、その犯人は2つのことを考えます。1つは殺意の有無で、もう1つはその時の精神状態をどう自供するか。
この男は「前」で嘘が通っているのです。
3年ほど前に女性に付きまとった挙句、襲っているのです。その時に首まで絞めているのに、それは殺意ではなく性的暴行目的の一連の行為として裁判所が認めてしまっている。その結果、実刑ではなく執行猶予刑ですんでいる。殺人未遂かもしれない事件の犯人が、無罪同様の執行猶予です。
この男にとり警察での取り調べでの受け答えで大成功を収めた経験があるんです。ですから、今回の事件の取り調べでも、何度も頭の中で考えて、どう答えるかを必死になって考えている。
もし、、私が被害女性の親なら、この男を殺したい気持ちになるだろう。
人間が集団で暮らし、社会を作り始めた頃にはルールもできました。
そのルールの中に必ずあったのが「敵討ち」です。これは社会ができる前からその種のことが有った事を示しています。
日本でも「敵討ち」は西暦400年代前半から存在が確認されています。
そこから1000年以上の時を経て、江戸時代にはルールが明確化されています。親兄弟などが殺された場合に主君に申し出て、主君が江戸幕府に届ければ「敵討ち」を行う事ができました。今なら知事に申し込み、知事が内閣に届ける、あくまでも「申し込み」と「届」で、自動的に許可されるんです。
警察の取り調べや司法の判断では「動機」をかなり重要視しますが、
私は殺人などの場合は「結果責任」で裁いても良いと思っています。
何の反論もできない被害者。
犯人を殴ることもできない遺族。
この大きな怒り・不満を何処にぶつければいいのか・・・
今回の様なひどい殺人事件が起こるたびに、法で認められた「敵討ち」が有っても良いんじゃないかと思ったりします。
まぁ、犯人を100回殺しても、被害者は生き返らないし、遺族の怒りも消えないけど・・。