アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

601 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  55番 本法寺

2019-04-22 10:09:10 | 日記

 55番 本法寺

京都市上京区小川通寺之内上る本法寺前町617

山号  叡昌山

宗派  日蓮宗

本尊  三尊像

開基  日親

洛中法華21か寺

 

鍋かむり日親

上京区堀川通寺の内を中心に200m以内に、三千家と日蓮宗の重要寺院が集中する。京都駅から堀川通りをまっすぐ北に30分ほどバスに揺られると着く。堀川通りからも入山できるが、一旦寺の内通りを東に一筋歩き、小川通りを北に曲がると令和の時代から江戸時代に一気にさかのぼる。右手に裏千家の茶室「今日庵」の玄関があり常に打ち水が打たれたような清潔感が漂う。心なしか会話の声も小さくなる。その向かい側に本法寺の山門がある。

洛中法華本山21ケ寺の中でも有力寺院である。開山の日親は、「鍋かむり日親」と呼ばれた。室町将軍義教に、「立正治国論」をもって直訴した。要は、法華宗を採用しないから世の乱れが治まらないのだと主張した。現代でも宗論になると他宗教批判の多い日蓮宗だが、当時は一層過激であったようで、その後「天文法華の乱」において洛中から日蓮宗は一時消える事になる。日親は焼けた鉄鍋を頭にかぶる酷刑を受けたこともある。それでも主張を曲げず「鍋かむり日親」と言われた。寺の見所は、本阿弥光悦の庭園と長谷川等伯の絵画である。

 

等伯と光悦 

山門は東に向いて立つが、本堂は南面している。その前を通り庫裏に受付がありそこから方丈内を順路に従い見学する。まず、京都三大涅槃図の一つ等伯の「佛涅槃図」を見る。この時期は実物を拝見できると言うので来てみたのだが、幅6m高さ10mの大作だ。2階部分が吹き抜けになっていて2階部分から全体を眺める。長男の久蔵が狩野派に所属し修行していたものの急死する。その悲しみの中、一心に描いたのがこの作品だ。涅槃図には定番の釈迦の母摩耶夫人が描かれていないのが切ない。大作にも関わらず微妙な遠近法など細かい技法が駆使されている。

また、「巴の庭」とよぶ本阿弥光悦作の庭園は、日親に深く帰依した光悦の父親の縁から本法寺の伽藍整備の支援を行い光悦が庭園を造った。巴の解説がパンフレットに書いてあるが、年数を経て分かりにくくなっている。ただ、手入れの行き届いた優美な庭を眺めるだけで心が洗われる。

また、方丈正面には「十(つなし)の庭」があり白砂に九つの石が配置されている。十ではなく九の石だが、あと一つは心の中の「意思」だと言う。奥深い。

日蓮宗の苦難の歴史と等伯や光悦の芸術性を感じながら堀川通りに出て、妙覚寺に向かう。