アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

596 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  50番 神光院

2019-04-15 11:02:58 | 日記

50番 神光院

京都市北区西賀茂神光院町120

山号  放光山

宗派  真言宗 単立

開基  慶円

本尊  空海像

 

京都三弘法の一つ

正伝寺から車で5~10分ほど紫竹通りを南に戻る途中に神光院はある。京都に空海ゆかりの寺院が多くあり特に「京都3弘法」として、東寺(教王護国寺)、仁和寺、そして神光院の3寺院は特別扱いである。しかし、創建は鎌倉時代の1217年(建保5年)なのだ。空海の活躍した平安初期からは400年後の事なのだが、本尊が空海自刻の弘法大師像なので「西賀茂の弘法さん」と呼ばれている。境内は自由に入れるが拝観寺院ではないので本堂など建造物には立ち入り出来ない。

筆者は雪の日に行ったので全く人はいなかった。山門横には「厄除弘法大師道」という大きな石碑があり門を入ると、すぐに小さな池と庭園がある。残念ながらお世辞にも手入れが行き届いているとは言えないが、茶室「蓮月庵」と大田垣蓮月所縁の石碑(「蓮月尼旧栖之茶室」と彫られてある)などが拝見できる。江戸時代末期の女流歌人大田垣蓮月は晩年ここで隠棲した事で有名だ。京都観光検定的には、歌碑「やどかさぬ 人のつらさを なさけにて おぼろ月夜の 花のしたふし」は、ここ神光院にある事は必須だ。本堂は左手奥にあるが、外から手を合わせるだけで約10分ほどで一巡できる。

蓮月庵

きゅうり封じ

 「神光院 京都」の画像検索結果

また、7月の「きゅうり封じ」は重要行事だ。同じ空海所縁の蓮華寺でも有名だが、こちらでも土用の丑の頃に、キュウリで体の悪いところを撫でて奉納すると、僧が秘伝の祈祷をしてくれる。秘伝というからどのようなまじないが施されるのか分からないが、ここから暑い夏に向けて伝染病や夏バテに打ち勝つように庶民の願いを受け止めてくれるのだろう。一説には、空海自信がきゅうりが嫌いで、それに悪い厄をすべて託そうとしたとも伝わる。諸説あります。

令和元年の本年は7月21日・27日の「丑の日」に行われる。

 

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595 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  49番 正伝寺

2019-04-15 09:49:15 | 日記

49番 正伝寺

京都市北区西賀茂北鎮守菴町72

山号  吉祥山

宗派  臨済宗南禅寺派

開基  東巖慧安

本尊  釈迦如来

正式名 吉祥山正伝護国禅寺

 「正伝寺」の画像検索結果

借景庭園

鷹峯から坂道を降りて、途中「お土居跡」を横に見ながら、玄琢下の交差点を北に紫竹通りを5分ほど行けば、正伝寺山門に至る。「お土居」とは、秀吉が京都洛中を防御するために造った広大な堤である。市内には数か所その形跡が窺えるところがあるが、この辺りが北限ではないかと思う。いずれ詳しく書こうと思う。「玄琢」とは、野間玄琢の事で、江戸時代初期の医師であり医学研究者である。特に徳川家光の疱瘡を診察し治した事で有名である。映画「柳生一族の陰謀」(主役萬屋錦之助)では、家光役の松方弘樹はあばた顔で演じていたのは印象的だった。「夢じゃ夢じゃ、夢でござる。」の錦之助の名セリフが記憶にある。昔の映画はセリフまで覚えている。やや脱線した。

雪の正伝寺

話は、正伝寺であった。正伝護国禅寺という正式寺名を持つ格式の高い臨済宗寺院である。創建時は、烏丸今出川にあったがすぐ現在地に移る。秀吉から家康の時代は塔頭も多く広大な敷地であったようだが、現在は山門から本堂へ500mほどの上り坂に往年の繁栄は感じない。建造物は一番奥の「鐘楼」と「本堂」までほとんどない。本堂直前の坂道はやや急だが、そこまではなだらかな上り坂を10分くらい歩く。見どころは、庭園と血天井だ。庭園は枯山水とは言え白砂とサツキで表わす「獅子の児渡しの庭」というこじんまりしたものである。7、5、3の刈込で河を母獅子が児を渡す故事を現わしているそうだ。以前、住職にその由来を詳しく聞こうと窺えば、「喝!そんな小難しい事はどうでも良い。感じたままを感じるのだ・・・。」と一喝された。むしろはるか東方向に見える比叡山の山並みを借景にした姿を堪能したい。先日、雪模様の時に白銀の庭をしばらく眺めていたら、静寂の中、突然「喝!」本堂屋根から大量の雪が落ちてきて肝を冷やした。

血天井と写経の観音様

血天井は説明の必要は要らないだろう。こちらもなかなか生々しい。また襖絵は狩野山楽の作と言われ重要文化財だが、必見は写経の観音様像である。本堂正面左の壁一面に慈悲深い観音様の画像が掲げてある。そして、前の机に虫メガネが置いてある。「何々?」と手に取って画像を見ると、描かれた線はすべてお経であった。米粒以下の小さい文字で延々と観音様が描かれていて、遠目には何の違和感もない。絵画のすばらしさに加え写経の根気には驚嘆しかない。先代か先々代かの御住職が描いたもののようだった。京都の寺院はこのような行く度に新たな発見があるものだ。

「経で書く観音様」の画像検索結果
こんな感じ 撮影禁止なので別の作品(すべてお経で画かれている)

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