アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

番外 アチャコの京都日誌

2017-06-20 08:24:30 | 日記

またまた、籠池騒動。補助金の不正受給の疑いで大阪地検が動いた。そして私の大好きな?籠池のオバハンが、各テレビに主役級の扱いで写っている。

吉本の芸人でもあれほど笑いが取れるタレントはいない。

しかし考えても見よ。世界には、テロの問題、トランプの動向、ヨーロッパの選挙の行方、国内でも経済動向が非常に重要な局面だ。

しかし、トップニュースがこれでは日本人に何か問題の本質を伝えないマスコミの陰謀としか思えない。

今の日本には、池上彰氏以外に、事の本質を分かりやすく伝えるジャーナリストはいない。偏っている評論家ばかりだ。日曜日の関口宏の番組の様に出演者全員が一致して批判するような、偏り報道が主流だ。

籠池の本質は、国有地の不当な価格での売却が問題であったはずなのに・・・・。加計問題も規制改革特区問題が本質であるはずなのに、野党の追及が低俗すぎる・・・。

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77 アチャコの京都日誌 再びの京都 二宮金次郎

2017-06-20 08:10:38 | 日記

77 アチャコの京都日誌 

 

 歩きスマホは、平成の二宮金次郎?

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人込みで歩きスマホの人間にぶつかりそうになった方は、少なからず居ると思う。相手が見ていない以上、仕方なく当方から避けねばならない。現在の私のように、アキレス腱回復途上の人間には、ぶつかって転倒するのは極めてまずい。

まさに、平成の二宮金次郎だ。

御存じでしょうか?昭和の我々世代には、各小学校の校庭には、石像の少年が立っていた。背中には柴を担いで親の仕事を手伝っていたのであろう姿だ。

そして歩きながら本を読んでいる。辛い仕事の合間にも本を手放さないその勤勉さが称えられた。金次郎はその後、「二宮尊徳」と称し立派な学者になったのだ。

 「二宮金次郎イラ...」の画像検索結果「二宮金次郎イラ...」の画像検索結果「二宮金次郎イラ...」の画像検索結果

しかし、昭和も40年を過ぎる頃から、交通事故に合う子供が増えて、歩きながらの読書は危険で推奨できないと、教育委員会などの抗議で撤去したのである。

本末転倒とはこの事で、勤勉さの例えと交通事故とは分けて教えれば良いことであって、二宮金次郎像が交通事故を誘発するとは思えないのだが・・・。

歩きスマホの話題で、久々に思い出した二宮金次郎像。

平成の現在、その像はこうなってました。

 「座った二宮金次...」の画像検索結果

スマホもこうしましょうね。


76 アチャコの京都日誌 再びの京都 余談

2017-06-19 12:04:29 | 日記

76 アチャコの京都日誌  

 

 我が家の刃傷松の廊下。

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長い闘病生活であった。弱者に成り下がった吾輩は、わがままも言わずじっと耐えた。いろいろ不便はあったがじっと耐えた。途中、配偶者による小さな攻撃にもじっと耐えた。かの生物兵器(蜂に刺された)の時も耐えた。

 

しかし、昨夜帰宅時、誰もいない。あれおかしい。様子がおかしい。配偶者の帰宅が遅い時はある。そんなときもある。もしかしたら吾輩が聞き逃したか?飯がない。飯がなければ出前でも取るか。

いつもの中華屋に電話を入れていたら、ちょうどご帰還だ。

「あれ。帰ってるの?帰るって言ってた?」「今日は早く帰るって前から言ってたやろ?」「・・・・?」

遂に、内匠頭(吾輩)は、上野介(配偶者)に、「遺恨覚えたかっ!」右手を大きく振り上げて威嚇した。しかし悲しいかな、筋力衰えた内匠頭は、足元が定まらず上野介に完全にかわされる。

もう一度、拳を振り上げたその時、我が家の名犬茶々丸、内匠頭の前に後ろ足だけで立ち大きな声で吠える。「うーうーっ!わんわん!」

ええっ?吠える相手は上野介ちゃうの?

「犬が吠える絵」の画像検索結果

長い闘病生活中の散歩の相手は、上野介。餌の世話も上野介。いつの間にか犬における一番の序列は相手に移っていたのだ。遂には、アキレス腱に噛みつかん勢い。振り上げた拳を下ろさざるを得ない。

とうとう、内匠頭は切腹覚悟で、その場に膝をついた。場所は玄関すぐの廊下、約2メーターしかない。逃げ場所もない。上野介が、チャチャ丸を抱いて誇らしげにほほ笑んだ。

 

 「刃傷松の廊下事...」の画像検索結果自室に蟄居閉門のうえ沙汰を待った。

 

「風誘う 花よりもなお われはなお 春の名残を いかにとやせん」

わたしには、内蔵助もいない。


75 アチャコの京都日誌 再びの京都 乙訓寺

2017-06-18 16:06:43 | 日記

乙訓寺に行った。一昨日行った。

アキレス腱断絶後、初の京都散策だ。午前中に卒業試験のような診察を受けて、超音波診断の結果ほぼ完全に繋がっていることを確認。

医者は、「足を引きずることなくしっかり歩いてますね!」

「いやいや、先生が見ているので見栄張っているだけで、まだまだです。」

「そうですか?もうそろそろゴルフでもどうです?」 医者の割になかなか強気な発言。

思わず、「崖の下にでも落ちたらどうしてくれます?」

「そんなところに打たんようにしたら良いじゃないですか?」「そんなこと出来たら苦労しまへんわ。」

先生も遠慮がちに、「とりあえず練習ですね。」しかし、「わし、練習嫌いでんねん。」

「ほな勝手にしてください。とにかくダッシュしないように。」「先生、ゴルフでダッシュする事アリマヘン。」ざっとまあこんな具合に、最終診察が終わり、私は一人リハビリ難民となった。

 

 断絶後、98日目、全治3か月。誠に長い長い闘病生活だった。もちろん本格的な力強い足取りではないが、そろそろ出かけるか?腰もつらいが・・・・。

 

乙訓寺は、歴史が古い。以前書いた光明寺や楊谷寺など西山を散策した時にどうしても見つけられなかった小さな寺だ。広隆寺と同様聖徳太子の創建だ。御承知のように、平城京から平安京への遷都は、長岡京をはさんでいる。藤原種継の暗殺の疑いで、早良親王(桓武弟)が捕らえられここ乙訓寺に幽閉されている。親王は無罪を主張し断食を行うが、淡路島に送られる途中憤死する。そのご遺骸にも処刑を加えたというから物凄い。お陰で歴史上有力な「怨霊」となる。

後日慌てて崇道天皇と追贈するが皇統には数えられていない。どのような場所で食を絶たれたのか見たかったが、当時の広大な寺領はなく、悲しいくらいこじんまりしたお寺だ。

拝観料も500円となっているが、受付に人影はなく事実上無料である。

 本堂の御本尊は有名な「合体大師」八幡様と弘法大師の合体したものと言う。残念ながら本堂内は入れず、秘仏のようだった。周辺の住宅地まで寺域は広がっていたはずだが、その痕跡も見いだせなかった。小さな境内はボタンの名所でシーズンは過ぎているが、そのわずかな名残を見て帰った。やっぱり、自分の足での京都散策は良いものだ。


74 アチャコの京都日誌 再びの京都

2017-06-18 09:22:29 | 日記

再びの京都シリーズ。昼食編。

昨夜は、京美人に囲まれて年甲斐もなくはしゃいでしまった。このような翌日の昼食はあっさりしたものに限る。

毎月恒例の京都セミナー(勉強会)の昼食休憩。会場(商工会議所)周辺は、意外に奥まった筋に粋な店が多い。

京町屋を改造して、創作料理など作る店だ。

特徴は、①芸術家のような風貌の店主がいる②店内の佇まいが凝っている③少人数しか入れない④愛想がない⑤けど女店員は美人⑥おいている雑誌もフアッション関係が多い(週刊ポスト・現代は置いていない)

ざっとこんな感じなのだが、味は特徴的でもはずれはない。

こちらの店も典型的なものだった。フラット看板に導かれ飛び込んで見た。案の定、完全にちょんまげ状態の無口そうな店主が、カウンターの向こうにいた。

しかし店員は、和服の似合いそうな可憐で小ぶりな美人。

メニューを見るが、実は入る前から決めていた。店前の立て看板に「和風カレー」とあったのが妙に気になったのだ。

あっさりと思ったが、二日酔いにはカレーが意外に食欲を誘ってくれる。

出てきたのが、以下の写真だ。

もはやカレーと言って良いのかと思う。難しい料理の事は分からないが、今までのカレーの範疇からははみ出たものだ。

極端に言えば、豚汁のような和風煮込み汁を飯にかけて食っているような食感だ。これが実に美味い。

黒く点々に見えているのは、ヒジキだ。まさに和風の汁かけご飯を食べたような、それでいて食後のほんのりした辛さが口に残りやっぱりカレーなのだ。

やるではないか、ちょんまげの若造。

帰りに「御馳走様!」と言えば、「ありがとうございますっ!」

何だ。明るい好青年だった。

京都の夷川通りは、家具の町で有名だが烏丸より西にはこのような粋な店が多い。京都御苑や二条城にも近く散策の折りには、また探してみよう。

午後のセミナーは、半分居眠りしていた。参った。