乙訓寺に行った。一昨日行った。
アキレス腱断絶後、初の京都散策だ。午前中に卒業試験のような診察を受けて、超音波診断の結果ほぼ完全に繋がっていることを確認。
医者は、「足を引きずることなくしっかり歩いてますね!」
「いやいや、先生が見ているので見栄張っているだけで、まだまだです。」
「そうですか?もうそろそろゴルフでもどうです?」 医者の割になかなか強気な発言。
思わず、「崖の下にでも落ちたらどうしてくれます?」
「そんなところに打たんようにしたら良いじゃないですか?」「そんなこと出来たら苦労しまへんわ。」
先生も遠慮がちに、「とりあえず練習ですね。」しかし、「わし、練習嫌いでんねん。」
「ほな勝手にしてください。とにかくダッシュしないように。」「先生、ゴルフでダッシュする事アリマヘン。」ざっとまあこんな具合に、最終診察が終わり、私は一人リハビリ難民となった。
断絶後、98日目、全治3か月。誠に長い長い闘病生活だった。もちろん本格的な力強い足取りではないが、そろそろ出かけるか?腰もつらいが・・・・。
乙訓寺は、歴史が古い。以前書いた光明寺や楊谷寺など西山を散策した時にどうしても見つけられなかった小さな寺だ。広隆寺と同様聖徳太子の創建だ。御承知のように、平城京から平安京への遷都は、長岡京をはさんでいる。藤原種継の暗殺の疑いで、早良親王(桓武弟)が捕らえられここ乙訓寺に幽閉されている。親王は無罪を主張し断食を行うが、淡路島に送られる途中憤死する。そのご遺骸にも処刑を加えたというから物凄い。お陰で歴史上有力な「怨霊」となる。
後日慌てて崇道天皇と追贈するが皇統には数えられていない。どのような場所で食を絶たれたのか見たかったが、当時の広大な寺領はなく、悲しいくらいこじんまりしたお寺だ。
拝観料も500円となっているが、受付に人影はなく事実上無料である。
本堂の御本尊は有名な「合体大師」八幡様と弘法大師の合体したものと言う。残念ながら本堂内は入れず、秘仏のようだった。周辺の住宅地まで寺域は広がっていたはずだが、その痕跡も見いだせなかった。小さな境内はボタンの名所でシーズンは過ぎているが、そのわずかな名残を見て帰った。やっぱり、自分の足での京都散策は良いものだ。