82 アチャコの京都日誌 再びの京都 池殿
積翠園 ホテル開業前 後ろは阿弥陀が峯
ありがたい事に、大学時代の後輩たちの誕生会にお邪魔したら、逆に退職祝いをして頂いた。場所はセレブ限定の、フォーシーズンズホテルのイタリアン。
昨年10月のオープンで、一度行って見たかったが思わぬ事で訪ねて来た。
退職祝いに頂いた「盆栽」老人にふさわしい?
行って見たかった理由は、その場所が、平家物語ゆかりの「六波羅」の歴史を伝える貴重な場所だからだ。レストランから眺める「積翠園」がそうだ。
六波羅は、今の松原通を北限、六条通りを南限にした鴨川の東岸あたりだった。北半分を泉殿、南半分を池殿と呼んだ。泉殿は清盛の拠点があったことから嫡子の重盛が継いだ、六波羅蜜寺あたりかと思われる。池殿は清盛の継母池禅尼の子、平頼盛の館があった場所だ。私の記憶では、この積翠園がその池殿の「池」に当たるのではないかと思う。(諸説ある)
南に妙法院、智積院。東に京都女子大、豊国廟など歴史遺産に囲まれている一体だ。そこに突然外資系の一流ホテルがマンション一体で出現した。外資系の高級感に加えて京都らしい池泉回遊式庭園をしつらえて、池の向こうには茶室風のラウンジが用意されている。落ち着いた空間を提供してくれている。
清盛の時代、頂点を迎えた平家は、もしその嫡子重盛が長く生きていればむざむざと源氏に滅ぼされることがなかったと言われている。しかし、滅ぼした側の源氏の棟梁である頼朝の命は、平治の乱の後、池殿の母親池禅尼が救ったのだった。息子家盛(頼盛の同腹兄)にそっくりだったからと伝わる。その結果、平家の滅亡を招いた。
切ない話だが、救いは、頼朝はその頼盛を源氏の世にも保護し、結果その子孫まで血脈を繋いでいるのだ。
おいしい高級料理をいただきながら、歴史の微妙なあやを考えた。
京都にはそこかしこに歴史があるのだ。
バースデイケイキと退職祝い